第803話 分かち担うモノ

「――障壁を張ります! 隠れて!」


 セフォンの必死な叫びに呼応し、『不浄の母』とその他の魔物の対処にあたっていた六人の炎竜族は一斉に飛び退き、セフォンが造り出した巨大な鋼鉄の壁の後ろに身を潜める。


 途端、鋼鉄の壁が『不浄の母』が射出した針により、けたたましい金属音を鳴らし、形を歪ませていく。

 鋼鉄の壁はへし折られそうになりながらも、最終的には『不浄の母』が射出した針の悉くを跳ね除け、打ち落とし、七人の身を守り抜くことに成功する。


 辛くも耐え切った。

 セフォンの集中力が僅かでも欠けていたら障壁は破られ、決して小さくはない被害を生み出していただろう。


 既に十回以上に渡ってセフォンたちは同じことを繰り返していた。

 防御に関しては全てセフォン任せ。限界ギリギリの綱渡り状態であったことは言うまでもない。

 そんな状態にあっても炎竜族たちはセフォンに命を預けると決めていた。いや、預けざるを得なかったと言うべきだろう。


 いつ訪れるかわからない救援の到着を待ち続けるため、彼らは持久戦に移行した。

 当初の目的であった殲滅から救援を待つための持久戦に移ったことで多少は負担が減ったとはいえ、リソースは有限。加えて『不浄の母』が産み出し、増え続ける魔物の対処も行わなければ、やがて量によって押し潰されることは容易に想像がつく。


 彼らは限られたリソースで戦わなければならなかった。

 故に、攻撃と防御――この二つを明確に分けることにしたのだ。


 攻撃能力に長けた炎竜族が攻撃を、防御能力に長けたセフォンが防御を。

 戦闘そのものをルーティン化し、作業的にこなせるようにしたのである。

 『不浄の母』の反応や動作がある程度パターン化しているからこそ可能な戦術とも言えよう。


 無論、臨機応変という部分では弱点が多い。

 防御だけに専念できるセフォンとは違い、攻撃を担う炎竜族の負担は実のところ小さくはなかった。

 産まれた魔物の数や出現位置によってアドリブを強いられ、また逐一セフォンの身を案じなければならなかったからだ。


 あくまでも炎竜族たちの負担が減った部分は『不浄の母』が一定周期で放つ針の攻撃だけ。

 その際の回避や防御に魔力を割かなくて済むようになっただけでも御の字と言えるが、まだまだ彼らの負担は大きく、一刻も早い救援が望まれた。


 だが、息をつく暇はない。

 地面に突き刺さった針金の中から新たな子が産まれ、牙を剥く。『不浄の母』も傷ついた身体の再生を終え、次の射出に備え始めていた。


 セフォンのもとから六つの赤い閃光が規則正しく散っていき、大地に蠢く魔物を抹殺していく。

 産まれたばかりの子の動きは鈍い。疲弊しているとはいえども、フラムの配下である精鋭たちの前では今はまだ塵芥も同然。


 瞬く間に大半の魔物を骸に変え、攻撃対象を『不浄の母』に変更する。

 討ち漏らした魔物もそれなりにいたが、そこは仕方がないと割り切るしかなかった。

 これは、これまで散々戦ってきたからこその判断であり、結論だ。


 『不浄の母』は厄介な特性を持っていた。

 その特性とは、身体状態によって変動する子の数と質の変化だ。

 母体である『不浄の母』はその巨躯に蓄えられた魔力量によって子の数と質を大きく変化させる。

 母体が傷ついた場合は蓄えられた魔力を優先的に負傷箇所の再生に割り振り、魔力の余剰分を針金に――産まれくる子に割り振っていた。


 つまり『不浄の母』を放置すれば、より多くの、そしてより強い子が産まれてきてしまうのだ。


 致命傷を与えることができなくても『不浄の母』を放置するわけにはいかない。

 サボればサボった分だけ、未来の自分たちに返ってきてしまう。


 彼らは先の見えない戦いに身を投じ続けるしかなかった。

 救援の到着をただただ祈るしかなかった。


「 ザグレスは……ザグレスはまだなのですかっ!?」


 懸命に戦う炎竜族たちの姿を見守りながら、八つ当たり気味に募りに募った苛立ちをセフォンは爆発させる。


 が、いつまで待っていてもザグレスは現れない。

 そればかりかザグレスを呼びに行かせたはずの従者も未だに帰って来ない。


 そして、セフォンの心に不安と焦れが生まれる。


 助けが来ないのではないか。

 自分も攻撃に参加した方がいいのではないか。


 そんな想いが心の中で駆け巡り始め、やがて根拠のない憶測を巡らせてしまう。


(あの母なる魔物は火に特別高い耐性を持っているということも……? もしかしたら私の土系統魔法なら……)


 そこまで憶測を立てたところで、セフォンは頭を振って馬鹿げた考えを追い出す。

 素人考えで戦場を掻き乱すことの危険性に気付いたのだ。

 均衡が保たれている今、下手を打つことはできない。良かれと思って動いた挙げ句、均衡が崩れてしまってはこれまでの奮戦を無に帰してしまう。


(私が動くとしたら最後の最後……今は役割を果たしましょう)


 セフォンは『不浄の母』の対処を炎竜族に任せ、南に目を向ける。

 視線の先では、南から新たに押し寄せてきていた大量の魔物を相手に、眼鏡をかけた執事服の男が単独で戦っていた。




「しぶといだけの木偶の坊め――」


 男は炎竜族の特性『加速』を惜しみもなく使用。魔物の群れを掻き乱しながら小規模戦闘を繰り返す。

 南から迫り来る異形の魔物は『不浄の母』が産んだ個体とは異なり、既に成長を終えていた。

 俊敏な動きもさることながら魔力保有量が多く再生力も非常に高い個体ばかり。当然、苦戦は避けられない。

 魔物自体の脅威は然程高くないが、再生力を上回るダメージを与えなければならないという都合上、どうしても魔力消費量が他の炎竜族と比較して明らかに増えてしまっていた。


 小規模な戦闘を終え、一部の魔物を駆逐した男はズレた眼鏡をかけ直し、束の間の休息を取る。


「一人で片付けようにも数が多すぎるか……」


 眼鏡の奥の目がキツく細められる。

 万全の状態であっても数が数だ。炎竜族の中でも上位の実力を男は持っていたが、フラムやイグニス、リアンなどの最上級クラスの怪物と比べてしまうと、その実力は数段落ちる。

 しかも『不浄の母』との戦闘で多くの魔力を使い、心身共にボロボロ。万全の状態ならまだ可能性はあったかもしれないが、満身創痍の今ではどれだけ身体に鞭を打とうとも殲滅など土台不可能。

 掻き乱し、群れの中から一定数の魔物を間引いていくだけで限界だった。


「次の……攻撃、までは……まだ時間はある、な……」


 『不浄の母』の攻撃周期は大まかに把握していた。次弾発射まで五分前後の猶予があることを頭の片隅に置きつつ、朦朧とする意識の中、魔物を間引き続ける。


 が、ついに身体が頭についていかなくなっていた。

 魔力の欠乏により、膝から力が抜け、身体のバランスを大きく崩してしまう。


「ちっ……」


 眼鏡の男は炎竜族の特性『加速』を一時的に解除し、制御が利かなくなった身体を強い意思で強引に言い聞かせる。

 幸運にも足を止めてしまった場所には魔物の屍がうずたかく積み上がっているだけで目に見える範囲には差し迫る危険は見当たらなかった。


「これ以上、魔力を使えば死期を早めるだけか……」


 魔力を燃やすことで劇的な速度を得られる『加速』の性質上、使い続けていれば必然と魔力消費量が増加する。

 南方から迫り来る魔物の群れの殲滅速度を上げるためにやむを得ず『加速』を使用していたが、それもここまで。


 ある程度魔物を間引いたことで脅威はだいぶ薄れた。

 これ以上『加速』を使用するよりも魔力消費量を抑えた方が生き長らえると判断し、眼鏡の男は全身から迸る赤い光の粒子を霧散させ、『加速』を自ら封じた。


 だが、結果的にその判断が災禍を呼ぶことになる。


 男は魔物の確認を視覚だけに頼ってしまっていた。

 油断や慢心ではない。度重なる戦闘によって精神と集中力がすり減っていたが故に、魔物の屍が積み重なった山の中で息を潜めていたソレに気付けなかったのだ。


 そして何より、ソレには状況を整理し、判断するだけの知性があった。

 決定的な隙が生じるまで動き出さぬ忍耐力があった。


「ク、キ? クキキキ――」


 希薄な感情しか持たぬはずのソレは待ちに待った獲物を深紅の単眼で捕捉し、嬉々として嗤う。


 ソレは『不浄の母』の子にして不条理であり、理不尽な存在――『特異種イレギュラー』だった。

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