第772話 目の色

 ここはフラムの城。身の安全は確保されているはずだ。

 にもかかわらず、生きた心地がまるでしない。俺という存在が矮小に感じてしまう。


 俺たちを出迎えるために列を成して並び立つ竜族。

 その誰もが使用人として振る舞い、誠意を持って対応してくれているのは明らかだが、その姿が虚像に――カモフラージュに見えてしまうのは俺だけだろうか。


 もはや確かめるまでもない。

 ここにいる使用人たちは誰一人として例外なく強者だった。そのうちに秘めた力、纏う雰囲気、立ち姿、どれをとっても強者のそれだ。


 一瞬でも隙を見せれば殺されてしまうのではないかと錯覚しそうになるほどの緊張感に包まれる中、フラムは堂々たる足取りで赤い絨毯の上を歩いていく。

 その背中を追うように俺とディアが、そしてその後ろにイグニスがつき、絨毯が伸びる先へと足を進める。


 絨毯の先にあったのは巨大な玉座と思しき設置物と、その横で控えるメイド服を着た小柄な少女だった。

 緩いウェーブがかかった桜色の髪を持つ少女は一度フラムの顔を見ると、すぐさま何を考えているかわからない灰色の瞳を俺とディアを向けてくる。


 少女が一体どんな感情を抱いているのか、俺にはわからない。

 しかし、その灰色の瞳が俺とディアを確かめるかのようにじっくりと観察していることだけは何となく伝わってくる。


 と、その時だった。

 静寂に包まれ、荘厳とした雰囲気をその少女が打ち破る。


「……フラム様、この人たちがそう?」


「そうだぞ、リアン。私の客人であり、私の仲間だ。名はコースケとディアと言う」


 フラムからそう紹介されるや否や、リアンと呼ばれた少女はテクテクと俺とディアのすぐ目の前まで近寄ると、感情を覗かせない瞳で俺とディアを交互に見つめ、それからコクリと頷く。


「……コースケ……ディア。……うん、覚えた」


「そうかそうか。賢いな、リアンは」


 フラムはそう言うと、驚くことにリアンの頭をワシャワシャとかなり乱暴に撫でる。

 その行為がフラムなりの愛情表現であることは間違いないが、それにしても珍しい光景だ。たまにマリーに対しても似たようなことをしているが、基本的にフラムは子供を愛でるような性格ではない。

 つまりフラムはリアンに対して相当気を許しているということなのだろう。


「……フラム様、二人の椅子、用意する?」


 リアンの提案にフラムがチラリと玉座に目をやって答える。


「無駄に大きいし、三人で玉座に……は流石にまずいか。そうだな、私の分も含めて三つ用意してくれ」


「……すぐ持ってくる」


 他の使用人たちが未だに頭を下げ続ける中、リアンだけがその場を後にし、左手の奥にあった扉の先に消えていった。


 先の一連の流れから察するに、リアンという少女が他の使用人とはかなり違う立場にあることは間違いなさそうだ。

 そもそも一族の王であるフラムに敬語を使っていない時点で異質な存在であるのは明らか。

 とは思いつつも、もしかしたらただ単にフラムがその辺りのことに寛容過ぎるだけの可能性もあるが、リアンと呼ばれた少女の名前を覚えておいて損はなさそうだ。




 暫くして椅子が運び込まれてくる。

 てっきりリアンが一人で運んでくるのかと思ったが、どうやら違ったらしい。

 扉の奥から出てきたのは椅子の数に合わせて三人。リアンの後ろに続く形で、錆色の髪をした若い二人の男女が椅子を抱えてやってきた。


 が、少し様子がおかしい。

 テキパキと椅子を運び、設置したリアンとは違い、二人の若い男女は緊張と困惑に満ちた表情を浮かべながら椅子を設置しようとしているのだが、お世辞にも手際が良いとは言えない、ぎこちない動きをしていた。


 見てるだけでも不安になる。だが、今の俺には見守ることしかできない。


「――きゃっ!」


「あっ――おいっ! 大丈夫か!? クレール!」


 不安が的中する。

 サイズが合っていなかったのか、メイド服の女の子は自分のスカートの裾を踏んでしまい、椅子を抱えたまま派手な音を立てて転んでしまう。

 ひしゃげる椅子、床に顔面を強打する女の子。


「あっ……」


 ディアの唖然とした声がその後に続く。


 が、災難はそれだけに留まらなかった。

 転んだ女の子を無我夢中で庇おうとした若い男性が、椅子を宙に放り投げていたのだ。

 数秒もしないうちに宙を舞っていた椅子が落下し、ガシャンと音を立てて木片を飛び散らせる。


「「……」」


 嫌な沈黙が場を支配する。

 無事な椅子はリアンが運んできた一脚のみ。あとの二脚は使い物にならないほど無惨な姿に変わり果てている。


 俺は招かれた側――つまり客人だ。

 だが、気まずいものは気まずい。居た堪れない気持ちになってしまう。

 何より、こんなアクシデントが起きたというのに他の使用人たちが何事もなかったかのように黙ったままなのが、気まずさをより一層加速させている。


「おいっ、大丈夫かっ!?」


「きゅぅ~……」


 男性が女の子を抱きかかえて無事を確認するが、顔面を強打した女の子は目を回し、意識を手放していた。


「……教育、頑張ったけど、まだ早かったみたい。……新しいの持ってくる」


 リアンは表情一つ変えずにそう言い残すと、壊れた椅子を持って再び扉の奥へと消えていき、すぐさま替えの椅子を運び込む。そして手際良く俺とディアの椅子を置き終えると、次に気絶した女の子と心配する男性の襟首を掴んで引き摺り、この場を後にしたのであった。


「大丈夫、かな……?」


「た、たぶんね。竜族だし、頑丈なんじゃないかな」


 連れ去られた女の子を心配するディアとひそひそ話をしながら横目でフラムの顔を覗き込むと、予想外なことに呆れるでもなく、かといって怒っているわけでもなく、何故か妙な納得感に満ちた表情をしていた。


「まあ、まだこんなものだろうな」


 うんうんと頷くフラムを見て、ホッと胸を撫で下ろす。

 なんで俺がこんな心配をしているのか自分でも訳がわからないが、何事もなかったようで何よりだ。


 が、フラムが許して万事解決とはいかないらしい。

 いつの間にかフラムの横に立っていたイグニスの様子を確認してみると、底冷えするような笑みを浮かべていたのだ。


 俺は見て見ぬふりをした。

 触らぬ神に祟りなし。これは炎竜族の問題だと自分に言い聞かせ、何も見なかったかのように振る舞うことにした。


「とりあえず、二人とも座ってくれ。この場にいる者たちに紹介をしておきたいからな」


 フラムを中央に据え、俺とディアが左右の椅子に腰を下ろす。

 瞬く間に使用人たちの視線が集まり、居心地の悪さを感じてしまうが、今は我慢する他ない。

 今日から数日間ここでお世話になるのだ。いくら気まずいからといって、挨拶もなしに厄介になるわけにはいかないだろう。


 心臓の鼓動が加速する中、フラムが淡々と俺とディアを紹介していく。

 使用人たちはフラムの話を黙って聞くだけで、質問や疑問を挟むどころか声一つ上げずに耳を澄ますだけだった。


 俺がフラムと契約し、主従関係にあること。ディアについては色々とはぐらかし、端的に仲間だと伝え、フラムは締めに入った。


 が、その締めが問題だった。本当に迷惑だった。

 何を考え、何を思ったのか、フラムは最後の最後に俺とディアに大きな爆弾を落としてきたのだ。


「……ふう、ざっとこんなところか。最後に――主とディアを人間だと思って侮るなよ? 二人の実力はこの私が保証する。そうだな……まだ時間はある。興味がある者は模擬戦でもしてみればいい。きっと楽しめると思うぞ?」


「へっ……?」「えっ……?」


 俺たちを見つめてくる使用人たちの目の色が変わったのは気の所為ではないだろう。

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