第771話 摩天楼
――炎竜族の国。
ここには確かな文明が築かれていた。
整備された街並み、人工の明かり、確かな生活の匂い。
計算されて建てられたであろう建造物がズラリと並ぶ光景は、飾り気が足りないという部分を除けば俺が知る人間国家の大都市にも劣っていない威容を誇っている。
建物の高さだけを見れば、まさに摩天楼と呼ぶに相応しいだろう。
「ははっ……。これは……凄いな」
乾いた笑い声と共に、ありふれた驚嘆の言葉が俺の口から無意識に飛び出る。
目に映る全ての物のスケールが違った。
自分が小動物になり、人間の住む街に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥りそうになる。
時差のせいでつい先ほどまで蒼かった空が、急に夜の闇に染まっていることも、現実感を喪失させた一因となっていた。
「お家の扉も門みたいに大きい……」
俺と同じく現実感を喪失させているのか、目を丸くしたディアがポツリと感想を零す。
門もそうだが、街灯一つとってもその大きさに頭が混乱しそうになる。予めここが竜族が住まう場所だと知らされていなければ、より大きな混乱に陥っていたに違いない。
「今は物珍しい光景かもしれないが、いずれは慣れる。一度慣れてしまえば、ただ巨大なだけのつまらない場所だ」
俺とディアの反応を見て楽しそうな表情をするフラムだったが、その表情とは裏腹に口から出た言葉は冷めていた。
この国に生まれ、この国で育ったからこそ、フラムにとって炎竜族の国は当たり前の景色であり、同時に見飽きた景色なのかもしれない。
ましてやフラムは人間の国を知っている。スケールだけを比べれば炎竜族の国に軍配が上がるが、景観や細やかな飾り、街の彩り、そして活気などは圧倒的に劣っている。
フラムが『つまらない場所だ』と一刀両断した気持ちもわからないでもなかった。
とはいえ、慣れるにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
俺の目は忙しなく動き回り、新しい物を勝手に探していく。
だからこそ、俺はその違和感に気付くことができた。
「建物の数に比べて、人の――竜族の気配が少ない……?」
数百メートル先まで伸ばした『
しかも妙なことにそれらの気配は数箇所の建物の中に集まっており、まるで息を殺しているかのようにほとんど動きがなかった。
「ほとんどが空き家ってこと?」
「んー……そういう訳ではなさそうだけど……」
俺が持つ『観測演算』には地形把握能力がある。
ディアの疑問に答えるべく、詳細に空っぽの建物の中を確認してみると、家具らしき物がどの建物にも置かれており、消そうとしても消しきれない生活感があった。
一度気付けばその違和感はどんどん大きくなっていく。
視界の先にある建物の窓から漏れる仄かな明かり。しかしその建物の中には気配がなかった。まるで中にいた住人が神隠しにあったかのような不自然さが至るところに点在している。
拭い切れない違和感に眉を顰めながら首を傾げる俺に、答え合わせをしてくれたのは他の誰でもない。この国を統べる王――フラムだった。
「この辺り一帯に住む者たちには今、家から離れてもらっている。面倒が起きるかもしれないと思ってな」
「俺たちのためってことか……」
薄々わかっていたが、どうやら俺たちの来訪に備え、人払いならぬ竜払いをしてくれていたらしい。
ここは炎竜族の国。別の大陸に住む人間が立ち入れる場所ではない。
当然、竜族の中には人間を見たことがない者もいるだろう――いや、隔絶された世界にいるのだ。人間を見たことがある者の方が珍しいに違いない。
竜族の間では人族は劣等種とされている。
そんな人族が突如として自分たちの
感情の赴くままに良からぬ言動を起こす者が現れるともわからない。そのための一時的な対処として、俺たちの来訪に合わせて準備をしてくれていたということのようだ。
徹底的なリスク排除と俺たちへの配慮に頭が下がる。
細かいことを気にしない大胆不敵な性格をしているフラムが、まさかここまで用意周到に準備を整えてくれていたとは思いもしていなかった。
「ありがとう、フラム」
自然と感謝の言葉が口から零れる。
ディアも柔らかな表情でフラムに微笑みかけていた。
それがフラムにとって余程むず痒かったのか、わざとらしく視線を逸らして背中を向けると、ガラリと話を変える。
「いつまでもここにいても仕方ない。さっさと私の城まで行くぞ」
そう言いながらフラムが指をさした先――俺の後方には、夜の闇を衣のように纏った深紅の城が聳え立っていた。
その天を穿つほどの高さや荘厳さは他の建物とは比べ物にもならない。まさしく炎竜族を統べる王に相応しい威容を誇っていた。
近付けば近付くほど、深紅の城の姿に圧倒される。
そして、誰にもすれ違わないばかりか、気配さえも感じることなく歩き続け、俺たちは城門に到着した。
日緋色金と思しき素材で造られた重厚な金属の扉が俺たちを歓迎するかのように音を立ててゆっくりと開く。
「もうすぐだ」
「……」
一言だけ残し、躊躇することなく中に入ったフラムの背中を、無言のまま追っていく。
広々とした庭に生い茂る緑や噴水が視界に映り込んでくるが、俺はそれらを無視した。気にする余裕がなかったといった方が正確かもしれない。
俺は視界に映ったものではなく、『観測演算』によって脳内に表示された、城内にひしめく強者たちの気配に完全に気を取られていたのだ。
「これがフラムのお城……? ダンジョンよりも濃い魔力が漂って来てるけど……」
ディアは気配からではなく、城から溢れ出る魔力の濃さから警戒心を高めていた。
元よりこの大陸は『
しかし、目の前の城から溢れ出る魔力はそれ以上。筆舌に尽くし難い濃度になっており、本能的な恐怖を呼び起こさせる。
もしここが
この先から感じるのは圧倒的な力の気配と、そして――『死』の臭いだ。
足を踏み入れれば最後、転移能力を有している俺でさえも無事に脱することはできないと思わされる雰囲気が眼前に聳える深紅の城にはあった。
そしてそれは知恵なき魔物とて、英雄と呼ばれている者とて同じだろう。
そうこう考えているうちに城内に繫がる巨大な扉の前に辿り着く。
すると、そこにはイグニスが立っていた。
身内であるフラムの城であるにもかかわらず、俺は過去に感じたことのないほどの緊張感に襲われていたことで、イグニスが立っていたことに気付けなかったようだ。
「皆様、お待ちしておりました」
仰々しくお辞儀をし、俺たちを出迎えてくれたイグニスの服装はいつもの執事服を着ていた。声色も言葉遣いもいつもと同じだ。
しかし、その身に纏う雰囲気だけは違っていた。
そこにいたのは王の臣下として客人を出迎える炎竜族のイグニスだった。
「それではご案内致します――炎竜王フラム様の御城に」
その言葉が合図だったのか、光一つ漏らさずに閉じられていた扉が開いていく。眩い光が開いた扉の先から溢れ、目を細める。
俺は恐る恐る細めていた目を徐々に開いていき、そして呼吸を止めて息を呑んだ。
「今、戻った」
あっけらかんとフラムがそう言い放つ。
俺たちを待っていたのは、紅い絨毯を挟むように列を成し、腰を折って王を出迎える
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