第770話 別世界
結局、フラムに背中を押される形で炎竜族の国に向かうことが決まった。
フラムが言うには昼頃に『次元門』が開かれるとのことらしいが、どうやら『次元門』に介入する手段がこちら側には一切ないようで、俺たちは炎竜族側のタイミングで半強制的に転移させられてしまうらしい。
ちなみに『次元門』を起動するには膨大な魔力と緻密な座標の計算が必要らしく、今回のタイミングを逸すれば炎竜族の国に向かう手段を失うに等しいとのことだった。
転移する際にフラムから指定された場所は屋敷の庭。
時間までに俺たちは庭に出て待機しておかなければならない。
昼まで残り四時間を切った今、俺とディアは慌ただしく荷造りをすることに。
部屋に戻った俺は、クローゼットにある着替えをアイテムボックスの中に次々と投げ入れ、収納していく。
季節感などを考えている余裕はないし、そもそも向こうの季節さえもわかっていない。俺自身は気温や天候に左右されない身体だが、見ばえというものがある。
どの季節や気候にも対応できるように満遍なく着替えを用意しておいた方が無難だという判断のもと、結局、クローゼットの中にあった衣類のほとんどをアイテムボックスの中に詰め込んでいった。
「食料は……まあ備蓄がまだまだ残ってるし、大丈夫かな」
一通り準備を終えた俺はそこで一息つき、自室の椅子に腰を下ろし、部屋に立て掛けてある時計に目を向ける。
準備を始めてから既に一時間も経っていたようだ。時計の針が十二時を指すまで三時間を切っていた。
「ディアはもう少し掛かりそうか」
それぞれ準備を終えたら俺の部屋に一度集合することになっているのだが、まだディアは準備を終えていないのか、まだ俺の部屋に来る気配はない。
おそらく今頃、さっきまでの俺と同じようにどんな着替えを持っていくのか悩んでいるのだろう。おしゃれに人一倍気を遣っているが故に、まだまだ時間が掛かりそうだ。
そして、朝食を食べる前から既に準備を済ませていたフラムはというと……屋敷を空けてブルチャーレ公国に向かっていた。
この空き時間を使って
どうやら事前に約束を取り付けていたらしく、昼までには戻って来られるだろうとも言っていた。
それにもし仮に間に合わなくても、フラムならば『次元門』を使わずに炎竜族の国に転移できるため、取り残される心配はない。とはいえ、フラムなしで炎竜族の国に転移するほどの勇気があるかどうかは全く別の問題。
絶対に戻ってきてくれと願いながら、俺はぼんやりと時計の針を見つめて時間を潰した。
「悪い悪い、待たせてしまったな」
屋敷の玄関の方からフラムの声が聞こえてくると、駆け足で俺とディアが待っていた庭の中央に向かってくる。
現在の時刻は十一時五十分。
約束の時刻まで残り十分という結構ギリギリのタイミングで戻ってきたフラムの姿を見て、俺とディアはほぼ同時に安堵の息を漏らす。
「良かった……間に合わないかと思った」
「あんま心臓に悪いことをしないでくれ……。かなり焦ったよ」
「ルヴァンの奴とざっくり待ち合わせをしていたのだが、どうにもすれ違ってしまってな、そのせいで遅れてしまった」
余裕をもって十一時ちょうどに庭に出てからというもの、なかなか戻って来ないフラムにハラハラさせられたのだから、愚痴の一つや二つくらい許されるだろう。
きゅっとなっていた心臓が正常なリズムを取り戻す。
とにもかくにも、これで準備は整った。
玄関の前ではナタリーさんとマリーがこちらに向かって大きく手を振って見送り来てくれてくれている。二人を屋敷に残していくのは少し不安だが、もし何かあればゲートを使って逃げるように言ってあるし、この辺りは治安もいい。過度な心配は不要だろう。
俺はナタリーさんとマリーに手を振り返し、留守を任せる旨を伝えようと口を開こうとしたその瞬間、突如として視界がぐにゃりと歪み、平衡感覚を失いかける。
「これは……」
脳内に、けたたましい警報が鳴り響く。
その直後、『
「すごい量の魔力……。魔力の密度だけで視界が歪むなんて……」
「長い年月を掛けて溜まっていった『次元門』の魔力を一族の者たちがこの地に集束させているのだ」
フラムが落ち着き払っているということは、これで問題はないのだろう。
失いかけていた平衡感覚と心の平穏を取り戻す。
準備は万端。覚悟も決まっている。
俺はぐっと握りこぶしを作り、その瞬間を待つ。
真っ白な光に包まれ、そして視界が――世界が切り替わった。
白に染まっていた世界が徐々に色をつけ、曖昧になっていた五感が研ぎ澄まされていく。
最初に感知したのは若干の埃臭さと、焼け付くような熱の匂いだった。
呼吸をすると鼻腔に熱気が侵入し、焚き火のような焦げついた匂いが鼻を刺激してくる。
次に感知したのは俺たちとは別の荒い息遣い。
激しく体力を消耗しているのか、耳に届いてくる複数の呼吸音は著しく乱れていた。
そして視覚を完全に取り戻す。
真っ先に目に飛び込んできたのは工夫も装飾もない壁と、揺らめく蝋燭の灯り、それに照らされ宝石のように紅く輝く石畳、そして苦しそうに息を吐き、額から大量の汗を流す者たちだった。
数は五人。
青年から老人までその年齢も性別も様々。だが、その中に不思議と目が惹かれる存在がいた。
無意識の内に俺が見つめていたのは、金に赤を差したような髪を持つ青年だった。
容姿は男の俺が見ても思わず目を奪われそうになるほど整っており、その内に秘める輝きが、青年が只者ではないことを物語っていた。
「はぁ……はぁ……。お待ち……して、おりました……」
今にも気を失ってしまいそうな疲弊した声色で青年が俺たちに頭を下げてくる。いや、勘違いをしてはいけない。頭を下げる前まで、青年の瞳に映っていたのはただ一人――フラムだけだった。
かといって俺とディアに害意や敵意を振り撒く様子もなかった。
おそらく青年は純粋な想いからフラムだけを見つめていただけなのだろう。もしくはあまり考えたくはないが、人間なんて眼中にないか。考えられるのはこの二つに一つしかない。
下手に口を開けない俺とディアとは正反対に、フラムが堂々たる面持ちでその言葉に応える。
「苦労をかけたな、ラーヴ。他の者たちも良く引き受けてくれた」
「「――はっ」」
ラーヴと呼ばれた青年を含む五人は短くそう答えると、示し合わせていたかのように、おぼつかない足取りで一斉に動き出し、俺から見て右奥にあった巨大な扉の奥へ消えていった。
俺たち以外に誰もいなくなったところで、ようやく緊張の糸が切れる。
呼吸を忘れていたわけではないが、大きく息を吸って肺の中に酸素を取り込んで強張っていた身体をほぐす。
ディアも多少なりとも緊張していたのか、胸に両手を当てて小さく安堵の息を吐き、おもむろに口を開く。
「今の人たちはみんな竜族……なんだよね?」
「当然だ。ここは正真正銘、炎竜族の国なのだからな」
その一言を切っ掛けに改めてぐるりと周囲を見渡す。
しかし、窓もなければ特にこれといった目新しい物もない。それでも強いて挙げるとするならば、今俺たちがいるこの建物自体の大きさと、出入り口になっている巨大な扉くらいだろうか。
「やけに大きい建物だな……。やっぱりここは何か特別な塔か何かなのか?」
そう俺が独り言を零すと、フラムが悪そうに口角を上げて笑う。
「まあ特別な場所ではあるが、この建物自体はそう特別な造りにはなってないぞ? むしろ他の建物と比べて小さいくらいだ」
「「……小さい?」」
俺とディアは全く同じことを全く同じタイミングで口にする。
その反応が余程面白かったのか、フラムは悪戯心に満ちた表情のまま俺たちに背を向け、出口となる扉に向かって歩き出した。
フラムについていき、建物の外に出る。
その直後、俺の視界に飛び込んできたのは、星明かりが輝く夜空と、超高層ビルと見間違うほどの巨大な建造物の群れだった。
「――ようこそ、炎竜族の国へ」
フラムはくるりと華麗に反転すると、巨大な建物群を背にしながら両手を広げ、俺とディアを歓迎したのだった。
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