第768話 擦り合せ

 ――《氷零の魔女》シレーヌ。


 水竜王ウォーター・ロードヴァーグさんの妻であり、王妃であるシレーヌさんは、水竜族の影の王としてその名を轟かせているらしい。


 政治力、統率力、求心力、そして実力。

 フラム曰く、そのいずれに於いても水竜王ヴァーグさんと並び立ち、こと実力――戦闘能力に至っては水竜王を差し置き、水竜族最強の座を欲しいがままにしているとのことだ。


 歴代最強の竜族と名高いフラムでさえも認めているその実力は、まさに鬼才と呼ぶに相応しいだろう。

 マギア王国で見せた、超巨大氷壁を造り上げたあの光景は記憶に新しい。

 あの時の隔絶した大規模魔法の行使一つ見てもその実力に疑いはなく、シレーヌさんに対してプリュイがあれほど怯えていたのも無理からぬ話だ。




 そんなシレーヌさんが今、紆余曲折あって俺たちの屋敷にいる。

 優雅に温かい紅茶を飲んだり、ナタリーさんが用意してくれた焼き菓子に舌鼓を打ったりと、人間の食文化を楽しんでいた。


「果物のタルト……これは素晴らしい食べ物ですね。果物の甘酸っぱさが飽きを感じさせず、さらに紅茶を一口飲めば、甘さの残る口の中がリセットされる。延々と食べ続けられてしまいそうです」


 そう言いながら春の陽気のような穏やかな笑みを零すシレーヌさん。水竜族の国の近くで出逢ってしまった時とは違って心の底から笑っているように見える。


 一方で俺とプリュイ、そして未だに状況が掴めていないディアとフラムは大なり小なり困惑していた。

 うんうんと頷きながら三切れ目の果物のタルトを口に運ぶシレーヌさんを尻目に、ディアとフラムが俺に対して視線で訴えかけてくる。当然のことだが、何故こうなったのか事情を説明して欲しいようだ。


「……ごめん」


 すぐ目の前にシレーヌさんがいる以上、今は謝ることしかできない。


 何とも情けない話だ。

 謝ることしかできないこともそうだが、こんな状況になってしまったのも全て――いや、半分は俺の責任だろう。もう半分は言うまでもなくプリュイの責任だ。これだけは譲れない。


 唐突にシレーヌさんがフラムと直接会って話すと言い出し、結局シレーヌさんの無言の圧に負ける形で屋敷に招待してしまったのは俺の責任とも言えるだろう。

 しかし、そもそものところプリュイの計画が穴だらけだったのが全ての元凶だ。

 水竜族の国のことならばプリュイが何でも知っていると信じていたのに結果はこのザマ。裏切られた気分である。


 不幸中の幸いだったのは、シレーヌさんの怒りを買わずに済んだことだろう。俺があの時、機転を利かせていなかったらどうなっていたのか、考えるだけでも背筋が凍りそうになる。


 プリュイが役に立たなかったのは言うまでもない。

 相当シレーヌさんに苦手意識を抱いているのか、ご機嫌にタルトを頬張っている今でも、プリュイは居心地が悪そうに椅子の上で背中を丸くしてしまっている。長い髪で隠れて彼女の表情はほとんど見えないが、その背中が醸し出す雰囲気からして、冷や汗を流しながら顔面を蒼白させているに違いない。


 三切れ目のタルトがなくなったタイミングで、ようやくシレーヌさんはフォークをお皿の上に置き、白いハンカチで口元を拭う。


「……ご馳走さまでした。人間の世界にはこれほど美味しい食べ物があるのですね。プリュイが人間に興味を持ったのも、今ならば理解できます」


「う、うむ……? そう、だな……」


 首を傾げながら頷くという器用な真似をするフラム。

 とりあえず頷いておこうと思っての言動だったのは一目瞭然だったが、シレーヌさんは気付かずに話を続ける。


「場所が場所ですから、水竜族の国ではなかなか甘味を食べる機会がなかったので貴重な経験ができました。これまで軽視してしまっていましたが、食文化を発展させていくのも悪くはありませんね」


 真面目な顔で『食』について語るシレーヌさんに、フラムが頬を引き攣らせて苦笑する。

 わざわざフラムと話すために屋敷まで来たにもかかわらず、タルトの美味しさにやられ、すっかりと当初の目的を忘れてしまっているようだ。

 話が完全に脱線する前にフラムが軌道修正を試みる。


「腹も満ちただろうし、そろそろ本題に移ろうではないか。こうしてシレーヌがわざわざ私のもとまで訪ねてきたのだ。相応の話があるのだろう?」


「……あら? わたくしはプリュイが預かったというフラム様の言伝を直接お聞きするために――」


 俺の頬に一筋の冷たい汗が流れる。

 この話の流れはまずい。俺がシレーヌさんに吐いた咄嗟の嘘によって話がこんがらがってしまっている。

 窮地を脱するためだったとはいえ、『プリュイがフラムから言伝を預かった』なんて言ったことに加え、その話をフラムに伝えていなかった――伝える暇がなかった――ツケがここに来て回ってきてしまった。


 大ピンチを迎える。

 が、フラムは俺を見捨てなかった。ちらりと金色の瞳で俺の方を一瞥すると、素早く事情を察して辻褄を合わせてくれたのである。


「ん? ああ、その話だったか。急な話で申し訳ないが、『竜王の集いラウンジ』を開くことにした。シレーヌも知っての通り、議題は竜の約定を破った地竜王アース・ロードプルートンの処遇についてだ。一部の地竜族を率いて人族の国に降った奴をこのまま放置するわけにはいかないと判断を下した」


 機転を利かせた救世主ことフラムの言葉に、シレーヌさんは表情を引き締め、真剣な面持ちで頷いた。


「……やはりそうでしたか。プルートン様……いいえ、プルートンが蛮行に至ったことは我々水竜族の間でも、侵攻を食い止めたあの日以降、大きな議論を呼んでいました。無論、今後の対応についても未だに多くの議論が交わされております。今現在、わたくしの氷壁に近付く地竜族の影は見つかっておりませんが、未来はわかりません。フラム様がお考えになる通り、早急に各竜族の方針を固めるべきであると、わたくしも……そして我らの王も考えておりますわ」


 険しい表情でそう語ったシレーヌさんに嘘偽りは感じられない。

 直接拳を交えたわけではないが、ヴァーグさん率いる水竜族は、地竜王プルートンを加えたシュタルク帝国の侵攻を食い止めた実績があるため、実質的に敵対していると言っても過言ではない状況だ。

 そして現在も水竜族はマギア王国とシュタルク帝国を分断する巨大氷壁の監視を行ってくれており、その上で緊迫した状態が続いていることを鑑みれば、水竜族内部で地竜族に対する議論があったとしても何らおかしくはない。むしろ、議論がない方が不自然だろう。


 とどのつまり、水竜族はフラムと同様の結論に至り、地竜王プルートンを罰するために積極的であることはほぼ間違いない。水竜族という強力な味方を得られたと考えても良さそうだ。


「ならば、参加してくれるということでいいな?」


「ええ、勿論でございます。王も必ずや同意してくれるでしょう」


 その後は、とんとん拍子で話が進んでいった。

 日程の調整も必要なく、フラムが当初から予定していた日時に『竜王の集い』が開催されることに決まり、シレーヌさんは水竜王ヴァーグさんに報告を上げるべく、水竜族の国に戻ろうと席から立ち上がる。


 と、その時だった。

 それまで俯いたまま沈黙を貫いていたプリュイが、屋敷に戻ってから初めて声を上げようと口を動かす。

 そして、ごくりと喉を鳴らすと、緊張した面持ちで立ち上がったばかりのシレーヌさんを真っ直ぐと見つめ、願い出た。


「は、母上! 妾と……友であるリーナを『竜王の集い』に連れて行ってくれっ!」


 プリュイという一人の少女は目を強く瞑り、願った。

 自分のため、そして友のために。

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