第765話 海の旅、二日目

 つつがなくマギア王国とラバール王国を繋げる転移門の設置を終え、同時にカタリーナの護衛依頼を完遂したディアとフラムは、消息を絶った紅介からの伝言をナタリーから聞かされていた。


「急いでいたみたいで、あまり詳しい話は聞けなかったけれど、数日中には戻って来るから安心してほしいって伝言を預かったのよ。どうもプリュイちゃんから頼み事をされたみたいで……」


 頬に手を当て、苦笑いを浮かべたナタリーに釣られるように、困惑しつつもディアも苦笑し、ホッと胸を撫で下ろす。


「いつまで経ってもこうすけが来ないから、どうしたんだろうって思ってたけど、そういう経緯があったんだね。でも、ゲートが壊れただけって話だったはずだけど……」


 今朝方に聞いたプリュイの言葉をそのまま鵜呑みにしていたディアは首を傾げ、はてなマークを頭の上に浮かべる。

 一方でフラムは長年の付き合いから、すぐさまプリュイの思考とそれに伴う行動の意図を読み解き、深い深い嘆息をした。

 怒りを通り越して、ただただ呆れ果てていたのである。


「……ったく、相変わらず無茶苦茶な奴だ。ディアよ、ゲートが壊れたなんてのは苦し紛れの真っ赤な嘘だ、真に受けるな。大方、主の持つ力に目をつけただけだろうな。だが……まあ主から伝言があったように心配することはないと思うぞ? あの馬鹿は救いようがないほどの大馬鹿者だが、変に情に厚い部分もある。それに水竜族には人を殺めることを禁じる掟があるし、下手な真似はしないだろう」


 フラムはプリュイの暴挙とそこに至った理由までほぼ完璧に見透かしていた。むしろ、そうなるようにフラムが仕向けた部分があったと言っても過言ではなかった。


 プリュイが自分をライバル視していることは嫌になるほどフラムは理解している。

 それは戦闘面だけに限った話ではない。どんな些細なものであっても比較できるものであれば、競い争い、そして勝敗を決しなければ気が済まず、それでいて如何に劣勢であってもプリュイは最低でも引き分けに持ち込もうとしてくる。


 フラムが知るプリュイとは根っからの負けず嫌いなのだ。

 故に、今回『竜王の集いラウンジ』に紅介とディアという竜族ではない異例の存在を連れて行くことをプリュイが知れば、例に漏れず張り合ってくるであろうことは容易に想像がついていた。

 そして、偶然にもカタリーナから『竜王の集い』に参加したいという声が上がった。

 プリュイが一際特別視している人間の友であるカタリーナからの声だ。友の希望を叶えるため、かつフラムと張り合うためにプリュイが動くことは火を見るより明らかだった。


 にもかかわらず、フラムは止めようとはしなかった。

 あえてプリュイの行動を制限せずに自由にさせていたのだ。

 さして深い理由はない。半分は好奇心からのもの、もう半分は手間を省くためだ。

 今回『竜王の集い』の主催者となるのは問題提起をしたフラムに他ならない。

 主催者に課せられる仕事は多岐にわたる。会場の準備から日程の調整まで、各竜族の王を招集するには相応の面倒な手筈を整えなければならない。


 会場の準備などは臣下に――フラムの場合はイグニスに一任してしまえばいい。実際、イグニスが炎竜族の国から戻ってきていないのも、そういった準備をフラムが全てイグニスに丸投げしていたからであった。


 日程の調整も大した問題にはならない。

 竜王を中心にした安定した国家運営、そして永遠に近い寿命を持つが故に、時間にとらわれることなく日々を過ごしている竜王にとって、一日や二日程度の時間を空けることはそう難しいことではないからである。

 何より、今回の議題となる地竜王アース・ロード率いる一部の地竜族の約定破りは捨て置けない大問題。この問題よりも優先されるものなど他にあるはずもないため、声さえ掛けてしまえば日程を擦り合わせることは難しいものではなかった。


 そう……面倒なのは各竜王から『竜王の集い』への参加の約束を取り付けることだ。

 司る属性こそ違えど、それぞれの竜王には敬意を払って相応の者が約束を取り付けなければならない。

 フラムの右腕であるイグニスであれば、十分にその資格があると言えるだろう。


 しかし、事態は急を要している。

 約束を取り付けるためにイグニスを向かわせるにしろ、二週間後を予定している『竜王の集い』に、水・風・土の竜王や代理の者にそれぞれ約束を取り付けるのは時間的に無理があった。

 そのため、今回イグニスには竜王を欠いた地竜族のもとへ向かわせる手筈となっている。水・風については時間的猶予を鑑みて、フラムが直々に交渉を行うことに決まっていた。


 既に風竜王ウィンド・ロードルヴァンにはブルチャーレ公国である程度話を詰めていたため、大した手間は掛からない。後は紅介が設置したゲートを使ってブルチャーレ公国に向かい、指定された場所に赴き、ルヴァンに直接口頭で日程を伝えるだけで済む段階まで進んでいた。


 そして、残すは水竜王ウォーター・ロードヴァーグから約束を取り付けるのみ。

 フラムは初めからプリュイを通して約束を取り付ける予定でいた。

 とはいえ、プリュイは一筋縄ではいかないひねくれ者。

 ただでさえフラムをライバル視しているのだ。そう簡単にプリュイが首を縦に振るはずがないと理解した上で、どうにかしてヴァーグに約束を取り付けさせようと画策していた。


 そのための手段としてフラムが選んだのは、プリュイに対する煽動だった。

 挑発を交えて感情を昂らせることで、プリュイの言動を誘導しようと試みたのである。

 『竜王の集い』という誇りある重大な会議を開くことを聞かされ、プリュイが黙っていられるわけがない。憧憬と嫉妬の感情がくすぐられ、『竜王の集い』に出席しようと躍起になるであろうことは目に見えていた。


 そこまでいけば、後はフラムの思う壺。

 プリュイがヴァーグから席をもらうために直談判しに行くついでに『竜王の集い』への参加を取り付けさせることで、手間をなくそうとしたのである。

 その過程で、カタリーナが参加表明を出したり、紅介がプリュイに誘拐されてしまったことは思わぬ誤算だったが、それらを除けば概ね予測通りに事は推移していた。


「ふむ……少し煽り過ぎてしまったか……。私にもほんの僅かに責任はあるし、半殺しで済ませてやろう」


「えっ??」


 フラムの物騒な呟きを拾ったディアは、わけがわからず疑問の声と共に目を瞬かせた。



―――――――――



 あれだけ青く澄んでいた空はどこへ行ってしまったのだろうか。


 海を出て早二日目。

 分厚い灰色の雲が空を覆い隠し、海には流氷が漂い、まだ春だというのに極寒の冬を想起させる。

 耐性のお陰で寒さこそ感じないで済むが、凍てつく横殴りの冷気によって、髪の毛や眉毛が凍ってうっとおしさを感じる。


「……まだ着かないの?」


 表情筋が死んでしまった俺は仏頂面で舟の上で体育座りをしながら、プリュイに何度目かわからない同じ質問を投げ掛ける。


「あと少しだ」


 これまた何度目かわからない同じ答えが返ってくる。


 舟は相変わらず休むことなく爆速で進んでいた。

 立ち塞がる流氷を粉微塵に砕き、見たこともない凶暴な海の魔物たちを薙ぎ倒し、ぐんぐんと北へ北へと進んでいく。


 俺はどこぞで買った甘酸っぱい木の実をもぐもぐと頬張り、代わり映えのしない風景をぼんやりと眺める。


「壊血病にならないようにビタミンを摂らないとね……」


「何をぶつぶつと……おっ? 大物がかかったか!?」


 無の境地でただただビタミン補給をする俺とは違い、プリュイの元気はまだまだ有り余っていた。

 今は何処からともなく取り出した釣り竿を巧みに操り、釣りを楽しんでいる。

 俺からしてみれば釣りなんてしてないで前を向いて舟の操縦に集中してもらいたかったが、もはや文句を言う気力も失せていた。


 糸の張った竿がしなり、勢い良く釣り竿をひいたプリュイが魚を釣り上げる。


「コースケ! 見てみろ、大物だぞ!」


「おお……すごいすごい……」


 パチパチと拍手をしながらプリュイが釣り上げた魚?に目をやる。

 そこにいたのは全長二十メートルはあろう巨大な海蛇だった。

 赤と黒の毒々しい斑模様に、俺たちをキッと睨みつける金色の瞳。

 どうみても不味そうな見た目をしている。そもそも食べられるかどうかも怪しかった。

 だが、プリュイが満足しているなら俺も満足だ。たとえそれがSランク相当の魔物であろうとどうでもいいし、とっくに慣れてしまった。


「手応えは良かったが、食えそうにないな……」


 そんな悠長なことを言っている間にも、海蛇型の魔物の毒牙が刻一刻と迫ってきている。

 でも、俺は動かない。釣った魚?は釣った者に責任が生じるのだ。それがどれだけ強力な魔物であってもそれは同じ。


「暇だし、寝るか……」


 俺は魔物の悲鳴をBGMにし、荒波に揺れる舟の上で瞼を閉じた。

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