第764話 タイミング
涙ぐむプリュイをぼんやりと眺めていたせいで、声を掛けるタイミングを完全に見失ってしまった。
意外過ぎる一面を見たせいで気が動転したとでも言えばいいだろうか。
未だにプリュイは鼻をすすりながら、俺に謝り続けてくれている。
何とも言い難い気まずい空気だ。口が避けても『もう元気だ』なんて言えるような雰囲気じゃない。
「すまぬ……すまぬ……」
プリュイの謝罪が重石となって俺にのし掛かる。
責任転嫁するわけではないが、実際問題どちらが悪いかと問われれば明らかにプリュイだろう。
誘拐した挙げ句、脱走した俺を叩きのめしたのだ。客観的に見れば、情状酌量の余地なくプリュイに有罪判決が下るに違いない。
しかし、俺とプリュイの関係はそんな単純な物差しで測れるものではない。
プリュイが俺のことをどう思っているかわからないが、少なくとも俺はプリュイのことを何度も同じ釜の飯を食べた友人であり、手の掛かる子供だと思っている。
実年齢こそ俺よりも遥かに上だろうが、そんなことはあまり関係ない。
プリュイを泣かせてしまったというその事実が、どうしようもないほどに俺の胸を締めつけてきた。
それにしても、この状況から脱するのはなかなか骨が折れそうだ。
怪我は『
だが、もし俺がいきなりそんな真似をすれば、プリュイは瞳に涙をためた自分を恥じて当たり散らしてくるに違いない。
へそを曲げるくらいなら可愛いものだが、烈火の如く憤るプリュイの姿が容易に想像できてしまうのが恐ろしい。
「……」
一歩間違えれば逆鱗に触れてしまう。
ここは石橋を叩いて渡るほどの慎重な判断が必要な場面だ。
足を踏み外せば最後、俺は永遠にプリュイの言いなりになってしまうだろう。
戦いの時よりも脳のフル回転させる。
ここが分水嶺だと自分に言い聞かせ、俺は最適解を導き出す。
「……だ、大丈夫だから、そんな心配しなくても平気だよ」
そう言いながらゆっくりと身体を起こす。
緊張のあまり少し声が震えてしまったが、いい塩梅に無理を押した風にプリュイの目には映ったらしい。
蒼い瞳を嬉しそうに輝かせるや否や、雪のように白い肌をほんの僅かに赤くさせ、すぐさまそっぽを向いて言う。
「そ、そうか。少しだけ……少しだけ心配してしまったではないか。ふんっ……!」
このタイミングでプリュイをおちょくるほど俺は馬鹿じゃない。
まだ第一関門を突破しただけなのだ。ここで気を抜いてしまえば全てが泡となって消えてしまう。
何故、被害者の俺がプリュイの機嫌を伺わなければならないのかなどという真っ当な考えは捨て、ご機嫌取りに精を出す。
「プリュイが強いなんてことはわかってたつもりだったけど、まさかあんなに強かったなんて驚いたよ」
「ふふんっ、当然だ。妾を誰だと思っているっ。ま、まあ、妾に本気を出させたコースケもなかなかだったがな。いや、本気と言っても――」
エンジンが掛かってきたのか、プリュイはいつもの調子を取り戻してきたようだ。
褒め殺し作戦は無事に成功し、第二関門を突破したと言えるだろう。
だが、まだ油断はできない。プリュイは今、俺が無事だったことに安堵し、恥ずかしい姿を見せたことを忘れて悦に入っている段階だ。ふと我に返られてしまえば、俺の記憶を消そうと殴りかかってくるかもしれない。
ともすれば、最終関門の攻略に取り掛かる必要がある。
我に返ってもなお、プリュイが俺に危害を与えてこないように封じるためのとっておきを差し出さなければならない。
幸運なことにプリュイが今、最も求めているものはわかっている。
正直に言ってしまえば、あまり気乗りしないが、ここは将来の安寧を手に入れるための必要経費だと割り切るしかないだろう。
様々な感情が渦を巻く中、俺は精一杯の笑顔を貼り付け、プリュイの求めるものを差し出す。
「今回は俺の負けだ。大人しくプリュイについていくよ」
プリュイが求めるもの――それは俺自身。
俺は俺を差し出すことで、今回の一件をチャラにしようと考えたのである。
被害者が加害者の機嫌を取り、かつお詫びをしなければならないなんて意味のわからない状況に陥ってしまったが、この際もはやどうでもいい。いや、どうでもよくなって投げやりになったと言うべきだろう。
半ば自暴自棄になった俺の宣言に、プリュイは一度目を丸くすると、すぐさま歓喜に満ちた声を上げた。
「本当か!? 本当に良いのだな!?」
ぐいぐいと迫ってくるプリュイに気圧されながらも、俺は首を縦に振り、一つだけ条件を付けて白旗をあげた。
「いいよいいよ。その代わり一度屋敷に戻っていいか? 流石に何も言わずに何日もいなくなると皆に心配をかけちゃうだろうからさ」
「そっ、それはダメだっ! ババアに知られたら妾が殺されるだろっ!?」
顔を蒼白させながら俺の襟首掴んでくる。
どうやら彼女にも罪の意識というものはあったらしい。ついでにフラムに怒られることもわかっていたようだ。
何をどう足掻こうが、フラムに拳骨を落とされることは確定しているのだが、今は誤魔化しておこう。
「大丈夫大丈夫。ナタリーさんに伝言を残すだけだから。心配なんだったら一緒についてきてもいいけど」
「うーむ……確かに伝言は必要か……。心配になったババアが鬼の形相で追い掛けてくるかもわからんしな……」
事が全て済んだ後ならフラムに怒られないとでも思っているのだろうか。プリュイが何を考え、どう結論付けたのかよくわからないが、とりあえず納得してくれたようで一安心だ。
とにもかくにも話は纏まった。
伝言を残す許可が下りたのは幸運だ。ディアやフラムたちに心配を掛けないで済むのは大きい。
とはいえ、面倒事に巻き込まれた事実だけは変わらない。
溜まりに溜まった溜め息を草木が茂る大地に吐き出し、俺とプリュイは一度屋敷に戻り、そこから改めて旅が始まった。
「――やはり海は良いっ! コースケもそう思わないかっ?」
海を出てから丸一日が経過していた。
今にも沈みそうな古びた木製の舟が、ギーギーと悲鳴を上げながら爆走で海の上を走っていく。
舟のへさきに片足を乗せ、腕を組むプリュイの機嫌は最高潮まで達している。
良く喋り、良く鼻唄を歌い、どこまでも広がる青い海に瞳を輝かせていた。
「あー……良いと思うよ」
一方で俺は死んだ魚のような目をしながら、いつぞや購入したクラーケンの吸盤焼き(イカ焼き)をむしゃむしゃと頬張る。
「あっ! 自分だけずるいぞ! 妾にも寄越せ!」
プリュイの叫びと共にガタンと舟が一瞬傾くが、もうこの一日で慣れてしまっていた。
アイテムボックスから、串に刺さったクラーケンの吸盤焼きを渡すと、プリュイは前を見ずに貪り食い始める。
食事中だというのに器用に舟を動かしているのは流石の一言に尽きるが、注意力が散漫になっているのはいただけない。
目と鼻の先にある海の中からサメのような巨大な魔物が大口を開けて迫ってくる。俺たちが乗っている舟を軽く呑み込めるほどの口径を誇る海の怪物だ。
ギザギザと尖った鋭い歯はギロチンのようで、ひと目見ただけで本能が恐怖を呼び起こす。
しかし、恐怖することはない。なにせ、もう慣れてしまっているからだ。
「プリュイ――前、前」
「んお? うむ」
瞬間、海が意思を持ったかのように蠢き、針の形を成す。そして無数の水の針が、大口を開けたサメ型の魔物を串刺しにすると、赤い血を撒き散らし、魔物を海の底へ沈めた。
「コースケ、おかわりだっ!」
何事もなかったかのようにプリュイがクラーケンの吸盤焼きのおかわりを要求してくる。
「魔物の方のおかわりが先に来たみたいだよ」
「ぬっ」
ここは海は海でも俺の知っている海とは程遠いものだった。
水面には虎視眈々と俺たちを狙う魔物の影がそこかしこに点在し、当然のように海中にも俺たちを狙う無数の魔物が群れとなり、爆速で走る舟についてきていた。
「はぁ……海って危険だなぁ……」
見飽きた光景に嫌気が差した俺は、魔物の対処を全部プリュイに丸投げし、狭い舟の中で丸まって横になったのだった。
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