第763話 狸寝入り
「や、やりすぎたか……? いやっ、大丈夫だ大丈夫……」
ぶつくさと真横から聞こえたきたプリュイの声で意識が浮上していく。
頭はがんがんと痛むが、手足には力が入るし、致命的な異常はなさそうだ。このままなら数分もしないうちに元の調子を取り戻せるだろう。
しかし、それにしてもプリュイの意図がわからない。何か企んでいることはそれとなく察していたが、まさかこのような蛮行に及ぶとは微塵も考えていなかった。
ひとまず、今起きてもさらに面倒なことになりそうなため、目を閉じたまま頭の中を整理していく。
身体に外傷がないことから、おそらくこのかまくらのような小部屋を、俺の耐性を貫通するほどの強力な毒に近い気体で満たしていたのは間違いなさそうだ。
不意をつかれたとはいえ、まさか昏倒させられるとは思ってもいなかった。
日頃の行いから、心の中のどこかでプリュイのことを騒がしいだけのちびっ子だと侮っていたのかもしれない。次代の
さて、どうするべきか。
狸寝入りを続けたままそんなことを考えていると、身体がふわりと羽のように軽々とプリュイによって持ち上げられ、肩の上に乗せられる。
さらにはぶらりと垂れ下がっていた俺の両手足を氷の手錠のようなもので拘束したのか、軽く力を入れた程度ではビクとも動けなくなってしまった。
「よしよしよし……ババアたちに気づかれる前にさっさと行くか。コースケが目を覚ましても面倒だしな……ひっ、ひひひっ……」
魔女を彷彿とさせる気味の悪い笑い声を上げながら移動を始めたプリュイは小部屋を出るや否や、信じられない速度で山の中を駆け抜けていく。
ぐわんぐわんと大きく揺さぶられる。
頭痛に加えて酔いまで俺を襲うが、まだ我慢できる範疇だ。乗り物酔いで吐くようなことにはならないだろう。
それにしても、俺は一体どこに連れ去られてしまうというのか。
プリュイのことだ。害意や敵意があるわけではないだろうし、手酷い仕打ちを受けるようなことにはならないはずだ。
何かやむを得ない事情があって俺を誘拐することにした――そう考えるのが妥当なところ。
もし万が一のことがあっても、いつでも転移を使って逃げ出せるし、最後の最後の切り札として『召喚魔法』によってフラムを召喚することもできる。
とんだトラブルに巻き込まれたが、そこまで慌てるほどのじゃなさそうだ。ディアたちを心配させてしまうかもしれないし、リーナには申し訳ないが、ここらもう少しプリュイに付き合ってあげることにした。
天日干しされた布団のようにプリュイに担がれること約二十分。
いい加減暇になって来た俺は狸寝入りをやめ、懸命に走り続けるプリュイに声を掛ける。
「で、俺をどこに連れて行くつもりなんだ?」
そう声を掛けた途端、プリュイは身体をびくりと硬直させ、急ブレーキを踏む。
「お、起きたのか!?」
「起きたと言うか、起きてたというか……」
「――ちっ!」
俺の太ももを掴んでいた腕の力が高まる。絶対に逃さないという意思が伝わってくるが、俺は特に暴れるような真似はせず、何とも情けない格好のまま話を続ける。
「目的を教えてくれないか? 内容次第では普通に手を貸して上げるからさ」
「わ、妾を騙すつもりなのだろう!? そうはいかぬっ! お前は黙ってそのままでいろ!! よいな!?」
「ええ……」
「四の五の言うな! 舌を噛むぞ!」
どうやら聞く耳を持ってくれないらしい。プリュイは止めていた足を再び動かし始め、山中を駆け抜ける。
急勾配の坂を登っては下りを繰り返す。
その間に何度もプリュイに声を掛けていたが、返事はなし。むしろ声を掛ければ掛けるほど俺を掴む腕の力が強くなっていく一方だった。
草木の匂いが薄まり、次第に潮風の匂いが鼻をかすめる。
俺の視界のほとんどはプリュイの背中しか映っていないが、今いる場所が海に近いことは海特有の磯臭さでわかった。
「なんで海……? まさか……」
嫌な予感が胸をざわつかせる。
プリュイたち水竜族がマギア王国のさらに北に国を築いているであろうことは過去のやりとりで何となく察しがついている。
そして、俺が今いる場所はマギア王国の北にある海辺。それらから推測するに、プリュイは俺を水竜族の国に連れて行こうとしているのではないだろうか。
「もしもし、プリュイさん? まさかとは思うけど、水竜族の国に行くつもりじゃないよね?」
「……」
返事はない。その代わりに移動速度がもう一段階上昇していた。
プリュイが無視を決め込んでいることは明らか。
こうなったら、こちらも相応の対応をさせてもらうしかない。
「……よし。じゃ、さよなら」
「なっ!? 待っ――」
俺は逃げることにした。
手足につけられた錠なんて関係ない。俺は『
が、俺はまだプリュイのことを甘く見過ぎていた。
重力に身を任せて地上へ落下していたその途中、視界の中に煌めく一筋の光が映り込む。
「まずっ――!」
音速を超えたその光は寸分違わず俺の腹に向かってその距離を縮めていく。
寸でのところで風系統魔法で空を蹴り、半身になって回避に成功。だが、息つく暇なく新たな光が――それも一本や二本ではない。数十、数百の氷の矢が俺に向かって放たれていた。
身体を反らしてどうこうなる数ではない。
俺は再度『空間の支配者』を使用。座標を計算する暇がなかったため、何も障害のない上空へと転移を――しようとしたタイミングで、背中に強い衝撃を受けた。
「――っ!? 追尾、機能……」
あまりにも突然すぎる出来事に、一瞬思考が停止した。それでも何とか転移を成功させ、難を逃れる。
今回の矢は追尾機能がなかったのか、転移先まで矢が俺についてくることはなかった。
落下しながら矢が刺さった背中の状態を確認する。
『
反射のような速度で『
急速に体温が低下していく。凍りついた身体は上手く動かせず、脳の機能も鈍り始める。
抗いがたい眠気が襲う中、俺は何とか地面への落下から逃れるため、『空間の支配者』を再使用しようとするが、脳機能が低下したため、演算能力が足りず、そのまま草木に揉みくちゃにされながら地面に叩きつけられてしまう。
衝撃により、肺から空気が全て吐き出される。
柔らかな地面がクッションになってくれたとはいえ、大怪我は避けられない。骨という骨が砕け、それらが皮膚を突き破り、血をまき散らした。
『再生機関』が自動発動し、瞬く間に再生を終える。
しかし、全身を蝕み続ける氷を取り除くことはできず、俺は地面の上で大の字になって呼吸を整えることしかできなくなってしまう。
寝転がった背中で、迫りくる地面の揺れを感知する。
そして、一分にも満たない僅かな時間でマリンブルーの髪を揺らし、顔を蒼白させたプリュイが息を切らしながら俺に駆け寄ってきた。
「だだだだ、大丈夫か!? すすす、すまぬ! ここまでするつもりじゃ……」
そう言いながらプリュイは俺に小さな手のひらを向けると、俺の身体を蝕んでいた氷が砕け散り、身体の機能が徐々に戻っていった。
本気ではなかったとはいえ、完敗だった。油断がこの結果を招いたとも言えるだろう。
「すまぬ、すまぬ、すまぬ……」
プリュイは瞳を細かく揺らし、今にも泣き出しそうな顔をしながら俺の横に座り、頭を下げて謝り続けた。
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