第761話 無茶苦茶
マギア王国とシュタルク帝国を分断する巨大な氷壁。
その氷壁が発する皮膚を裂くほどの強い冷気に当てられながら、プリュイは凍りついた木の上に立ち、蒼く晴れた空を見上げていた――冷や汗をかきながら。
「……どうすればどうすればどうすればどうすれば」
プリュイは焦っていた。
初めてできたと言っても過言ではない人間の友達――カタリーナからの『
その願いを叶えるために越えなけれはならないいくつかのハードルを頭の中で描き、解決策を模索し続けること早三日。彼女はたった一つだけ、どうしても導き出せない難問にぶつかっていた。
「参加枠なら何とかできる……はず。妾の代わりとなる新たな警備を用意するのもどうにかなる……はず。うむ……ここまでは大丈夫だ」
指を折りながら、頭を悩ませる障害の数を数える。
想定しうる障害は全部で三つあった。
一つは『竜王の集い』に参加するための付き人の枠を手に入れる手段。
これに関しては水竜王である自分の父親に頼み込む他に選択肢はない。
事情を話し、言葉巧みに説得する。それ以外に解決策は思い浮かばなかった。
けれども三つの障害の内、彼女の中で最も勝算が高いと見込んでいるのはこれだ。
ヴァーグは水竜王に相応しい厳格で誇り高き竜族である。しかし、娘であるプリュイにだけはどうしても甘さが残る一面を持っていた。
次代の水竜王であるプリュイが好き放題やっていても許されているのも、ヴァーグが目を瞑ってくれているが故のこと。
そして、その事実をプリュイは極めて客観的で、邪な視点で理解していた――父はチョロい、と。
自分が必死に頼み込めば首を縦に振ってくれるであろうことは何となく想像がつく。唯一問題があるとすれば、水竜族の中で裏の王と囁かれている母親のシレーヌの存在だけだが、シレーヌの目を掻い潜って父親を説得してしまえば良いだけのことだ。それによって『竜王の集い』後に雷を落とされてしまうかもしれないが、それはそれとして割り切るしかない。
二つ目の障害はマギア王国の新たな国境となった氷壁の警備だ。
こればかりは非常に責任の重い仕事のため、半端者に任せるわけにはいかない。故に、水竜族の中でも優秀な者を探し出し、自分の代わりに配置する必要があった。
彼女が自由に使える者たちは既に氷壁一帯の警備に就いてしまっている。そのため、新たに代役を探すとなると、これもまた父親に頼み込まなければならない。
しかし、プリュイはその楽観主義的な性格が故に、自分が頼み込めば何とかなるだろうと考えていた。
もし仮に断られたとしても、水竜王の娘という地位を存分に利用して、優秀な父親の臣下たちに半ば強引に代役を押し付けてしまえばいいと画策していたのであった。
どれもこれも不確定要素の高い解決策だったが、プリュイの頭を本当の意味で悩ませていたのは最後の障害だった。
それは――時間だ。
水竜族の国はマギア王国のさらに北にある、『
炎竜族の国と同様に、水竜族の国にも『次元門』は存在しているが、『次元門』は一日二日で起動できる物ではないし、如何にヴァーグが娘に甘いと言えども、『次元門』の使用を許すことはないとプリュイ自身も理解していた。
ともなれば移動手段は空を飛ぶか、海中を泳ぐか、舟を漕ぐか。
水を変幻自在に操れるプリュイが舟を操舵すれば、三日もあれば水竜族の国に到着できるだろう。
移動手段としてはこれが最も妥当だ。往復するにしろ一週間もあれば何とかなる。
しかし、そこに父親の説得と警備な代役を探す時間を加えるとどうなるか。そもそも水竜族の国に人間を招いた前例がないため、その許可を得るところから始めなければならない。
何より問題はそれだけではない。
マギア王国の新たな女王となったカタリーナが一週間近く国を空けることがどれほど難しいことなのかくらい、人間の常識に疎いプリュイであっても理解していた。しかも護衛なしのカタリーナを一週間以上連れ回すなど以ての外だろう。
水竜族側の都合だけではなく、マギア王国側の都合まで考慮するとなると、カタリーナを連れ回すのはあまりにも非現実的。
マギア王国が安定していればどうにかなったかもしれないが、『竜王の集い』が開かれるまでの短い時間で解決できる問題ではなかった。
つまるところ、カタリーナの拘束時間を限界まで短縮し、安全に『竜王の集い』に連れて行かなければならないのだ。
プリュイは一人で解決できる許容量を大幅に超えた問題を抱え、延々と悩み続ける。
プリュイは諦めなかった。
友のために……そして永遠のライバルであるフラムと張り合うためにも投げ出すわけにはいかなかったのだ。
「こ……これしかない、か……」
空を仰いでいたプリュイはゴクリと喉を鳴らし、正面にある氷壁を見つめ、決心する。
限界まで追い詰められたプリュイの脳は、たった一つの答えを弾き出した――。
――――――――
護衛当日の朝を迎える。
この数日間、プリュイは一向に姿を見せることはなかった。やはりと言うべきか、
リーナもリーナで今日のための準備があるらしく、朝食を向こうで食べ終えてからアクセルと共に俺たちの屋敷に転移してくるらしい。それまでの間は俺たちも屋敷でゆっくりしながら護衛に向けた準備を整えていく。
今回、俺たちの役割はあくまでも護衛だ。そのため、服装に制限はない。
それぞれ動きやすい冒険者用の装備に着替えた俺とディアとフラムは食堂で雑談を交わしながらリーナたちの到着を待っていた。
待ち合わせの時刻まで残り十分。
日常から非日常へと心のスイッチを入れ替えようとしていた、その時だった。
二階のゲートを設置していた部屋に、一つの良く知る気配が現れる。そして猛スピードでこちらに向かって来たのであった。
「てっきり里帰りしていたと思っていたが……これから忙しくなるというのに面倒な奴が来たな」
ドタバタと廊下を走る音が迫る中、フラムが嫌そうに眉を顰めながら食堂の扉を見つめる。
「プリュイが来たの?」
フラムのその言葉でディアも状況を察したらしく、目をきょとんとさせながらプリュイの到着を待つ。
一方で俺は苦笑いをすることしかできなかった。
そして、扉を壊すんじゃないかとばかりの勢いで嵐がやってきた。
「ふぅ……ふぅ……。こ、ここに居たか……」
大して疲れていないだろうに、わざとらしく肩で息をするプリュイは、何故か不気味な笑みを口元に浮かべながら俺のことを見つめてくる。
「えーっと……それって俺に言ってる?」
俺は戸惑いを隠し切れない中、確認のために声を掛けてみることにした。
すると何を思ったのか、プリュイは何も言わずに俺の正面の席に座るや否や、テーブルの上に置いてあった果物をむしゃむしゃと齧り出した。
「なんだ? 頭でもおかしくなったのか?」
「大丈夫? 治癒魔法、かけようか?」
フラムも辛辣だったが、無自覚なのだろうがディアもなかなかだ。
普段のプリュイであれば、すぐにでも噛みついていただろう。しかし、今日のプリュイは違った。むしゃむしゃと果物を食べ続けるだけで何一つ反応を示さなかった。
そんなプリュイの観察……もとい放置を続けること五分。
約束の時間より少し早く到着したリーナとアクセルが食堂の扉を開け、目を丸くする。
「?? どうしてプリュイがここに……? いや、それよりも今までどこ行ってたんスか?」
どうやらリーナも事情を知らないようだ。
アクセルも瞬きを繰り返すだけで何も言ってこないあたり、何も知らないのだろう。
食堂にいる全員の視線がプリュイ一人に集まる。
ややあってテーブルの上の果物を食べ終えたプリュイは乱暴に汚れた口元を服の袖で拭うと、椅子から立ち上がり、俺に人差し指をビシッと突きつけながら突拍子もないことを言い出したのであった。
「おい、コースケ! 少し妾に付き合え! よいな?」
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