第760話 静かな朝

 地図から消えた大陸――『失われた楽園ロスト・エデン』。


 地続きの巨大な大陸が一つと、他には小さな島々しかこの世界にはないと俺はずっと思っていたが、それは大きな間違いだったようだ。


 言われてみれば確かにと思う部分もある。

 顕著にそう感じたのは移動の面だろうか。隣国に移動するのに馬車で数週間から長くて一ヶ月少々しか時間が掛からなかったことを考えると、地球と比べてしまうとこの世界は小さすぎる気がしていた。

 しかし、地図にはない別の大陸があったとなれば、小さ過ぎると思っていたこの世界にも色々と合点がいくというもの。


 ディアとアーテによる戦いで、一つの大陸から人類が消え去ったという衝撃の事実を自分の中で消化するのは難しい。

 だが、実体験しただけではなく、その原因となってしまったディアの心中を察する方が余程困難だった。


 彼女が何を思い、何を感じたのか。簡単に聞けるような話ではなかった。

 蒸し返すことでディアが俺の前からいなくなってしまうのではないか。

 そんな恐怖が俺の口を塞ぎ、何も聞けないままその日は解散。結局、翌日の朝までほぼ丸一日ディアが俺たちに顔を見せることはなかった。




 静かな朝を迎える。

 屋敷の食堂には俺の他に朝食の準備をしてくれているマリーとナタリーさんしかいなかった。

 おそらくフラムはただ単にまだ寝ているだけだろう。炎竜族の国では特に忙しくしていたわけではないらしいが、それでも疲れが溜まっていたのかもしれない。どうせお腹が空いたら起きてくるだろうし、放って置いても心配はいらないだろう。


 問題はディアだ。

 一日経ったとはいえ、罪と後悔の記憶が呼び起こされたことで心が押し潰され、精神的に参ってしまっているかもしれない。

 ディアは滅多に感情をおもてに出さないため、一見すると普段通りに見えてしまうかもしれないが、注意を払っておくべきだろう。


 そんなことを思っているタイミングで、食堂の扉が開く。

 入念に整えられた絹のような銀色の髪に、ルビーのような輝く美しい瞳をしたディアが一日ぶりに顔を出した。


「おはよう、こうすけ。昨日はごめんね」


 そう言いながら席に着くディア。

 目元が腫れていないことから、枕を涙で濡らしていたようなことはなさそうだが、それでも心配だ。

 たった一日で立ち直れるほどディアのメンタルが強いのか、それは俺にはわからない。

 しかしそれでも彼女は彼女なりに俺に心配を掛けないように気丈に振る舞ってくれているであろうことは想像に難くない。

 掛ける言葉を頭の中で何度も反芻しながら、慎重に返事をする。


「謝ることなんて何もないよ。俺なんかより、ディアの方は大丈夫?」


「……うん。全然平気って言ったら嘘になっちゃうけど、今のわたしにはこうすけがいる、フラムがいる、家族がいる、皆がいる。だから大丈夫。それに……過去を振り返るよりも今を失う方が怖いから」


 そう言ったディアは優しく、そして思わず目を奪われてしまうほど美しく微笑んでいた。

 その笑みに嘘も無理も感じられない。俺の目が節穴じゃなければ、きっと今の言葉が彼女の本心なのだろう。


 過去よりも今日。今日よりも明日。

 決して消えることも忘れることもない後悔だらけの過去をそっと胸の中に抱きながらも、懸命に未来を見続けようとするディアの姿はまさに尊敬に値するものだ。

 誰にでもできることではない。少なくとも俺にはできそうもない。

 真の意味の『強さ』とは、こういった心の在り方なのかもしれないと俺はディアに教えられたような気がした――。


 静かだった朝は時間ともに賑わいを増していく。

 大きな欠伸をしながらフラムが食堂に現れ、そのすぐ後にゲートを使って訪れたリーナが朝食を食べに食堂に姿を見せた。今ここにいないのはフラムに仕事を丸投げされて炎竜族の国に残っているイグニスと――そしてプリュイだった。


「あれ? 珍しくプリュイが来ないね」


 ディアもプリュイの不在が気になったのか食堂の入り口を眺めながらそう話を振ると、あまり興味のなさそうな声でフラムが応じる。


「奴がいないと静かでいいではないか」


「フラムは相変わらずプリュイに対して厳しいな……。皆で賑やかに食べた方が料理がより美味しく感じると俺は思うけど……」


「賑やかと煩いは違うからな」


「それはそれは……手厳しいことで。それはそうと、リーナはプリュイのことで何か知ってたりしないか?」


 美しい所作で朝食に舌鼓を打っていたリーナに話を振ると、リーナは一瞬だけ目を丸くしてから、たった今思い出したかのように答える。


「あーそのことなんスけどね……先日、私が突拍子もないことを言ったじゃないッスか」


「『竜王の集いラウンジ』に連れてってくれってやつ?」


「そうッスそうッス。申し訳ない話なんスけど、プリュイは私を『竜王の集い』に連れて行くためにどうやら奔走してくれてるみたいで、国境線の警備を他の水竜族の方々に任せてどっかに行っちゃったみたいなんスよ」


「あーなるほどね。なら当分戻って来ないだろうな……」


 水竜族の国がどこにあるのか知らないが、一日や二日で戻って来られるとは思えない。移動もそうだが、最大の問題は父親であるヴァーグさんの説得だ。

 プリュイがリーナを『竜王の集い』に連れて行くためには説得を成功させ、かつ『竜王の集い』が始まるまでに全ての準備を終えなければならない。

 フラムが言うには約二週間後に『竜王の集い』は開催されることになっているはず。

 タイムリミットが刻一刻と迫る中、移動と説得――この両方を終え、さらにはリーナを『失われた楽園』に移動させる必要があるのだが、果たしてプリュイは間に合うのだろうか。


「無理を言った私のせいッスよね……」


 おそらくリーナはここまで大事になるとは考えずに、あの時はつい思ったことを口に出してしまったのだろう。

 とはいえ、既にプリュイが動き出してしまったのだ。今さら発言を撤回することはできない。


 申し訳なさそうに眉を下げるリーナに、フラムは微笑を浮かべながら告げる。


「そう気に病むことはないぞ。あいつが勝手に動き出しただけだしな。それにどうせ……主たちを連れて行く私に対抗心でも抱いたのだろう」


 フラムの口振りはリーナへの慰めではなく、確信めいた推理を披露するようだった。


 プリュイがリーナのために、そして何より自分のプライドのために奔走していることがほぼ判明したところで、話題はリーナから依頼された護衛の件に移り、ある程度詳細を伝えられたところで、朝食を食べ終えたリーナはマギア王国に帰っていった。


 護衛は二日後。

 とはいっても危険性は皆無に等しく、万が一のための保険――実質、ただのお飾り――のようで、指定された王都プロスペリテ近郊までリーナとアクセルを送り迎えするだけとのことだ。


 王都の周辺は冒険者たちの活動が盛んということもあり、治安が良く、魔物や盗賊に襲われることはまずあり得ない。

 暗殺者が差し向けられる可能性も低いだろう。

 ラバール王国は反王派貴族が排除されたことで安定しており、マギア王国もシュタルク帝国との戦争を機に一致団結している最中。

 そもそものところ、リーナは女王でありながらその実力は並のSランク冒険者の上をいっているのだ。暗殺しようものなら、凄腕の暗殺者を数十人……万全を期すならば百人近く用意しなければ難しい。そこにアクセルまで加わるのだから、暗殺計画を練ること自体が馬鹿馬鹿しい話だと言えるだろう。


 しかし、そんな俺の予想に反してトラブルというものは不意に訪れる。

 護衛当日、に狙われたのはリーナでもアクセルでも、エドガー国王でもなく――俺だった。

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