第754話 支えし者たち
「お前たち、朝食の時間だ――ぞ……」
翌朝、フラム自ら訓練場の様子を見に来てみると、そこには全身ボロボロの状態で気絶したレイジとクレールの姿があった。
いくつもの折れた剣が床に散らばり、ところどころ血の痕跡が残っている。
気絶しているレイジは白目を剥きながら口から血を流し、クレールは目を回しながら泡を吹いていた。
そんな地獄のような光景の中、訓練場の中央で汗一つ流さずに無表情のまま立ち尽くしていたリアンがフラムに駆け寄り、挨拶をする。
「……おはよう、フラム様」
「う、うむ……おはよう。色々と訊きたいことはあるが……こいつらは大丈夫なのか?」
戦闘狂のフラムをしても、この惨状に頬を引き攣らせそうになる。
ぱっと見でしかないが、クレールの方は問題ないだろう。呼吸は多少乱れているものの、外傷は少なく致命傷を負った様子はない。
しかし、レイジは違う。
袈裟のような服はズタボロに切り裂かれ、その下に隠れていた鍛え上げられた身体をほとんど剥き出しになっており、さらには身体中から血を流して服に赤いシミを作っていた。
人よりも頑丈な竜族と言えども、血を流し過ぎれば人と同じく簡単に死に至るのは変わらない。
目立つ大きな傷こそ見当たらなかったが、そこそこ危険な状態であることはフラムの目から見ても明白だった。
「ふむ……朝食の前にまずは治療が先だな……」
「……治癒魔法使える人、呼んでくる」
城にいる治癒魔法師を訓練場に呼び、二人の治療を任せている間、フラムはリアンに稽古の様子を聞いていた。
「随分と激しい稽古をつけてやったみたいだな。どうだった? 二人の様子は」
「……レイジは根性ある。……クレールは最初、血を見ただけで倒れてた。……でも、少しずつ慣れてきた」
あまり要領を得ない説明だったが、フラムは長年の付き合いから、リアンが兄妹をそこそこ評価していることを察していた。
「磨けば光そうな原石だと思うんだが、リアンはどう見る?」
「……クレールはたぶん問題ない。……覚えるまで何度も身体に教えればいいだけだから。……けど、レイジはいっぱい頑張らないとダメ。……死にそうになるくらい、いっぱい」
リアンは約十時間にも及ぶ訓練を経て、二人の力量をほぼ完璧に把握していた。
クレールの『
血を見ただけで何度も気絶していたクレールは時間の経過につれて慣れが生じ、ある程度耐性を獲得。後半はリアンとレイジの戦いをまじまじと観察し、そこから経験を得て糧にするまでに成長していた。
とはいっても、その経験を実戦に活かせていたかと問われれば首を横に振らざるを得ない。
根本的に身体を動かすことが苦手なクレールではいくら上質な経験を得たところで体現することができなかったのだ。
しかし、今は実戦に反映できなくとも、得たものを失うわけではない。
何度も何度も身体に叩き込むことで、いずれ獲得した経験を体現できるのではないかとリアンは見込んでいた。
当然、体現に至るまでに身体を鍛えたりと補わなければならない点は多々あるが、リアンはクレールに大きな可能性を見出していたのである。
一方でレイジの評価は難しい。
気合いと根性は凄まじいものがあるし、何より負けん気と向上心、そしてタフネスの面では目を見張る物を持っていた。
レイジが所持しているスキルに関しては特段稀少なものこそなかったが、全ては使い方と使い手次第の有用なものばかり。もし仮にリアンがレイジのスキルをそっくりそのまま持っていたとしても、炎竜族屈指の実力者に数えられていたに違いない。
しかし、レイジには致命的な弱点があった――それは頭脳面である。
がむしゃらで恐れを知らない無鉄砲さは、時には戦闘を有利に運ぶこともあるが、それ以上にレイジには駆け引きや工夫、創造力が著しく欠如していた。
これは強者のいない外縁部に長きに渡り住んでいた弊害とでも言うべきだろう。
格下相手ではレイジが持つ才能のゴリ押しでどうにかできてしまった。故にレイジは格上を相手にした時の戦い方をまるで知らなかったのだ。
何度打ちのめしても立ち上がってくるその根性は称賛に値するものだった。
しかし、立ち上がるだけでは意味がない。根性だけではどうにもならない相手がいることをレイジはまだまだ理解できていなかったのだ。
レイジが瀕死になりかけていたのも根性があり過ぎた故の出来事。工夫もなく全く同じ戦法でリアンに立ち向かい続けたがために、レイジは治癒魔法師を連れてこなければならないほどの怪我を負ってしまったのだった。
レイジの負けん気を思い出しながらリアンは言葉を続ける。
「……馬鹿――レイジに勉強、無駄。……何回も死線を越えさせた方が早い」
「たったの一晩でリアンに馬鹿呼ばわりされるとは、レイジの奴は相当だな……。だが、私も同意見だ。方法は全部リアンに任せる。あいつらを鍛えてやってくれ」
「……わかった。……一ヶ月で仕上げる」
「ほどほどに頼むぞ。レイジの奴は喜ぶだろうが、クレールは音を上げて逃げ出してしまうかもしれないからな」
「……逃げ出されると困る?」
感情を覗かせない灰色の瞳でフラムを見つめながらリアンが首を傾げる。言外にそこまでする必要があるのかと問うていた。
それに対してフラムは、ばつが悪そうに苦笑しながら返事をする。
「いや……私自身は困らないが、私が無理に付き合わせてしまったせいで、あの兄妹は多くの者から反感を買ってしまっているかもしれない。同族殺しをする輩がいるとは思わないが、それでも自衛できるだけの力を身につけさせたいと思ってな。当人たちは嫌がるかもしれないが、これは私なりの罪滅ぼしのつもりだ。私の下で働かないかと誘ったのも同じ理由からだな」
「……理解した。……ほどほどに頑張ってもらうことにする」
「ああ、頼んだぞ――っと、そろそろ出掛ける時間か。ついでにレイジとクレールへの伝言も頼んでもいいか?」
フラムは長老たちと会う予定に合わせるため、早めの朝食を済ませていた。
訓練場を訪れたのは出発前にレイジたちの様子を確認したかったという気まぐれに過ぎない。
コクリと一つ頷いたリアンにフラムは満足そうに笑みを浮かべ、伝言の内容を告げる。
「訓練を終えた暁には内縁部に家を建ててやると伝えてくれ。鞭ばかりでは辛いだろうからな。では、二人を任せたぞ」
そう言って背を向けたフラムはリアンに手をひらひらと振り、訓練場を後にした。
途中でイグニスと合流したフラムはそのままの足で玉座の間へと向かう。
面倒だという気持ちがフラムの足を鈍らせるが、相手は炎竜族全体を陰ながら纏め、支えてくれている重鎮――長老たちと、それらを率いる者だ。
如何にフラムが炎竜族の頂点に立つ
「待たせたな」
玉座の間に入ると、そこには既に片膝をつき、頭を下げる者たちが待っていた。
数は男性三人と女性が二人の計五人。
外見年齢はそれぞれ二十代から八十代とばらつきがあるが、外見と実年齢は釣り合っていなかった。
「堅苦しいのは苦手だ。おもてを上げてくれ」
フラムの言葉を持っていたのか、その一言で一斉に五人が頭を上げ、堂々たる面構えでフラムを見つめる。
「急に呼び出してすまなかったな。相談したいことがある」
「我らが王――フラム様のご命令とあれば、如何様にも」
その声に応じたのは真ん中で片膝をつく、青年だった。
外見の年齢は二十代半ば。その者は荒々しさとは無縁の端正な顔立ちをし、金に赤を僅かに差した貴公子然とした、さらさらの髪を靡かせ、爽やかな微笑を浮かべていた。
「命令ではなく相談と言ったんだがな……」
フラムは溜め息を押し殺し、長老を引き連れた青年――先代の炎竜王の息子に、その金の双眸を向けたのであった。
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