第753話 処遇

 レイジとクレールは戸惑いつつも何も言えずにリアンに手を引かれて城内の長い廊下を進んでいく。

 それからいくつもの扉を通り、いくつもの角を曲がり、気が付けば城の外に出ていた。


「……ついた。……ここ、訓練場」


 二人の目には城に入ってきた時とは違う光景が広がっていた。

 自然豊かな庭が広がっているのではなく、そこにあったのはドーム型の建物だ。色こそ紅色でド派手だが、華美な装飾などはなく実用性を重視した造りになっている。

 建物の高さからして人化可能な者だけが使用できる施設だということは一目でわかったが、未だにレイジとクレールはどうして急に自分たちがここに連れて来られたのか思考が追いついておらず、困惑と混乱の坩堝の中にいた。


「……ついてきて」


 返事を待たずにリアンは訓練場に向かって歩き出す。

 何を考えているかわからないリアンの灰色の瞳に導かれるかのようにレイジとクレールの足は勝手に進んでいってしまう。


 訓練場の中はシンプルな構造をしていた。

 中に入ると真っ先に廊下が視界に飛び込んでくる。その左右には性別ごとに分けられた広い更衣室があり、着替えが必要な者は、そこで着替えを行う。


 レイジはフラムに決闘を挑んだ時と同じ動きやすい服を着ていたため、廊下で待機することに。その間にリアンとクレールは更衣室の中で着替えを済ませる。


 更衣室の中は非常に簡素な造りになっていた。

 三十ほどのロッカーがズラリと置かれ、ロッカーを開けるとその中にはサイズの違う三着の黒い長袖と長ズボンが入っており、自分に合うサイズの服を見繕い、素早く着替えを終える。

 ちなみにロッカーに入っていた訓練着は動きやすさだけを追求しており、防具としての機能はほぼゼロ。伸縮性と耐久性こそそれなりだが、訓練着に防御面を補ってもらうことは期待できない代物だった。


 更衣室から出てきたリアンとクレールを出迎えるや否や、ようやく頭の整理を終えたレイジが疑問を零す。


「本当に今から訓練するのか……す、するんですかね?」


 リアンの見た目に騙され、相手が格上の存在だというのに、ついタメ口を使いそうになるレイジ。

 咄嗟に言い直したことで何とか回避できたつもりになっていたが、リアンの耳にしっかりと届いてしまっていた。


「……敬語、下手?」


「す、すんません。妹よりも幼そうに見えたんで、つい……」


「お兄ちゃんの馬鹿……。本当に勘弁してよぉ……どんどん私の寿命が……」


 目に涙を浮かべながらクレールが誰にも聞こえないほどの小さな声で愚痴を零す。

 当事者であるレイジも反省しており、申し訳なさそうに目を伏せ、リアンからの叱責を待っていた。

 しかし、リアンは表情一つ変えることはない。無表情のまま眠くなりそうな声で、こう言う。


「……わたしに敬語、いらない。……わたしも敬語使えないから」


 ある程度の常識ある者ならば、自分よりも上の立場にいる者の、このような言葉をそのまま鵜呑みにする者はいないだろう。無礼講と言われ、そっくりそのままその言葉を受け取る者はいないだろう。

 しかし、レイジは違った。社交辞令という単語が頭の中の辞書には載っていなかったのだ。


「そうか? それはありがてぇな」


 レイジは嬉しそうに後頭部を掻きながら、白い歯を見せる。


「!?」


 兄の愚行とも奇行とも呼べる言動にクレールは目を瞬かせ、言葉を失う。が、リアンもリアンでクレールの中の常識から外れた奇人だった。いや、器が大きいだけとも言えるのかもしれない。

 レイジの無礼を気にする素振りを見せないばかりか、無表情ながらもどことなく満足そうに頷き返したのだ。


「……わたしも楽、それでいい」


 そこからは思わず目と耳を塞ぎたくなるほどの酷い会話がレイジとリアンの間で広がっていった。


「あーあ。食後の運動があると知っていれば、自分の剣を持ってきたっつうのに」


「……色んな武器、ある。……そこから選ぶ」


「オレの手に馴染む剣がありゃいいんだけどな……。つか、訓練って何すんだ? フラム様みたいなすげぇ強い奴が稽古をつけてくれるのか?」


「……無理。……フラム様、最強。……でも稽古ある」


「おっ、本当か? で、相手は誰なんだ? 誰が相手でも負けるつもりはねえがな」


「……わたし」


「おいおい……本人を前にあんま言いたくはねぇが、大丈夫なのか? 怪我しても知らねえぞ?」


「……心配、ない」


「そうか。なら、遠慮なくいかせてもらうぜ?」


 クレールは寿命が縮まりそうな思いをしながら、前を歩くレイジとリアンについていき、訓練場の廊下を黙々と進んでいく。


 だが、まだこの時は良かった。

 本当の地獄は廊下を抜けた先にある――そんなことは露知らずに片や楽しそうに笑みを浮べ、片や苦しそうに胸に手を当てて大広間に足を踏み入れたのだった。



――――――――



 リアンによってレイジとクレールが連れ去られた後、イグニスはフラムが食事を終えるのを待ち、食後の紅茶を注ぎながら神妙な面持ちで問う。


「フラム様、あの者たちをどうなさるおつもりなのでしょうか?」


 イグニスは既にフラムの意思を把握していた。

 レイジとクレールを鍛え上げ、そして自分の下で働かせる。先の言葉が冗談や社交辞令の類ではないことは承知していた。

 しかし、何故フラムがレイジとクレールを雇い入れようとしているのか。イグニスはその意図を掴みかねていたのである。


 クレールを囲い込むのはまだ理解できた。

 彼女が持つ『経験回顧エクスペリエンス』の有用性と可能性には大いに期待ができる。使い方一つでイグニスの想像さえも超える力を発揮するかもしれないからだ。


 だが、その兄であるレイジはどうか。

 イグニスの見立てでは、レイジのフラムに対する忠誠心や尊敬の念が高まりつつあることは間違いなかった。それに加え、人化ができている点を加味すれば、及第点には届くだろう。

 ただ――言い換えてしまえば、それだけだ。

 レイジの手の内を全て見たわけではないが、その実力はたかが知れている。

 向上心が高く、強さに対する貪欲さに関しては評価すべきだろうが、素材の良し悪しを抜きにしてもレイジはイグニスのお眼鏡にかなう逸材ではなかった。

 つまるところ、イグニスはレイジを不要な人材であると判断を下していたのである。


 とはいえ、イグニスがフラムに直接そのように提言することはない。

 あくまでもイグニスは王を支え、従う者。周囲からいくら『王の右腕』と称されていようが、己の立場を履き違えることはない。ましてや王の意思決定を否定するつもりなど毛頭ありはしなかった。


 フラムの意図を確認すべく問いかけたイグニスに対し、フラムは優雅に紅茶を楽しみながら返事をする。


「んー……あまり深くは考えていないぞ。私の暇潰しに付き合わせたことと、シチューを馳走になった礼をしただけだ。もちろん、あの二人を鍛えてみたらという思いもあるがな。根性のある若者に特異な力を持つ少女――鍛えてみれば案外化けるかもしれないぞ? それに――良い退屈しのぎになるかもしれないしな」


 肩を竦めつつも、どこか愉しそうにそう口にしたフラムはイグニスとは違い、クレールだけではなくレイジの可能性にも期待していた。

 頭は悪いが、強さに貪欲で根性もある。炎竜王ファイア・ロードになるため、そして妹を守るために強さを追い求めるレイジの姿勢をフラムは気に入っていたのだ。

 決して折れることのない鋼の心と、炎のように熱い心を持つレイジならば、もう一つ上の領域に手が届くかもしれない――そんな期待をフラムは抱いていた。


 フラムの気まぐれに付き合わされるのはいつものこと。

 だが、イグニスはただの気まぐれではなく、フラムが何か別の思惑を胸の内に隠していそうだと機敏に察知し、それ以上の言及をやめて別の話題へと移す。


「明日には長老たちとの会合がこざいますので、今宵はごゆっくりと御身体をお休めください」


 イグニスがそうスケジュールを伝えた途端、それまで機嫌を良くしていたフラムの表情が嫌そうに歪む。

 

「ちっ……避けては通れないとはいえ、口うるさいジジババたちに会うのはかなり面倒だな」


「コースケ様とディア様をこの国にお招きするためです。何卒ご辛抱ください」


「わかっているわかっている。炎竜族を実質纏めてくれているのはあいつらだからな。面倒だが、筋を通すためにも会わなければならないだろう」

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