第752話 王の寵児

 メイドを着た少女の言葉にフラムは顔を綻ばせると、玉座に座りながら目の前にいる少女の頭を撫でる。


「元気にしていたか? リアン」


「……うん」


 クラシックなロングスカートタイプのメイド服。頭には白いカチューシャを付けた少女の名前は――リアン。

 桜色のウェーブがかった髪を肩口まで伸ばし、感情を覗かせない灰色の瞳をした少女だった。

 身長は小柄なクレールよりもさらに一回り小さく、一三◯センチ程度しかない。容姿も幼気であるため、一見すると少女というより幼女のような外見をしている。


 使用人の格好こそしているが、幼い容姿のリアンはこの場に於いては明らかに場違い感が拭えない。ましてや彼女の立ち位置が他の使用人とは異なり、玉座に座るフラムの正面に堂々と移動したともなれば、城内の情報に疎いレイジとクレールを驚かせるには十分過ぎた。


 頭を下げることをすっかり忘れたレイジは呆然としながら、リアンとフラムの姿を凝視する。

 二人の間に流れる空気は、ただの王と使用人の関係には見えない。歳の離れた姉と妹――そんな風にレイジの目には映っていた。

 その間にも、フラムとリアンは和やかな雰囲気の中、会話を続ける。


「留守を任せてしまって悪かったな。どうだ? 城の様子は」


「……大丈夫」


「そうかそうか。なら、たくさん褒めてやらないとな」


 そう言ったフラムは人形のように立ち尽くしていたリアンの脇の間に手を通すと、軽々とその身体を持ち上げ、まるで赤ちゃんをあやすかのように高い高いを――否、その程度ではない。天井が高いことをいいことに、宙に何度も放り投げる。


「……」


「はははっ! どうだ? 嬉しいか?」


「……うん」


 数回では飽き足らず、数十回と宙を舞い続けたリアン。

 フラムが満足したことでようやく優しく床に下ろされたが、リアンの表情は相も変わらず無表情のままだった。


 せっかく構ってあげたというのに、表情一つ変えなかったリアンだったが、そのことについてフラムが気に病むことはなかった。

 長年の付き合いが故に、フラムはリアンを熟知しているからだ。無論、それはイグニスとて――この城にいる者たちとて同じ。

 フラムに対する無礼を基本的にイグニスは許さないが、日頃から感情を見せることのないリアンだけは例外だった。

 口下手で口数が少なく、滅多に感情を露わにすることのない性格なのだと城内にいる誰もがリアンのことを理解していたのである。


「うむうむ、リアンは本当に良い子だな。煩くしないし、可愛げもある――お前の爪の垢を煎じてプリュイの阿呆に飲ませてやりたいくらいだ」


 頭をわしゃわしゃと撫でながらフラムは微笑む。

 何を隠そう、フラムはリアンのことをいたく気に入っていた。

 愛嬌こそないが、真面目。それでいてフラムに非常に懐いており、ギャーギャーと騒ぐことのない大人しいその性格。そして何より――リアンはフラムを愉しませられる極限られた実力者のうちの一人だったのだ。

 幼い見た目とは裏腹に、リアンの実力は炎竜族の中で第三位。

 一位と二位は言うまでもなくフラムとイグニスだが、その二人に次ぐ実力を若くしてリアンは持っていたのだ。


 故に、リアンは炎竜族の間でこう言われている――『王の左腕』であり、『王の寵児』である、と。


 とはいえ、フラムが未婚であることは周知されていることであり、当然リアンはフラムの子でもなければ、血縁関係にあるわけでもない。

 にもかかわらず、リアンが『王の寵児』と言われているのは、仲睦まじい二人の関係性と、若くして飛び抜けた実力を有していたが故であった。


 ひとしきりリアンの頭を撫でたフラムは、眼下で片膝をつき続ける使用人たちとレイジ、そしてクレールの様子を見て、リアンに要望を伝える。


「皆に仕事に戻るよう言ってくれ。それと、私が連れてきた者たちに晩飯を馳走したいんだが、問題ないか?」


「……すぐに用意させる。……フラム様も晩御飯、食べる?」


「うむ、とびきり良い肉で頼むぞ」


「……わかった」


 フラムとのやり取りを終えたリアンは正面に向き直り、手のひらを二度打ち鳴らす。

 それが解散の合図となっていたのか、片膝をついて頭を下げ続けていた使用人たちは足並みを揃えて玉座の間を後にし、各々の仕事へと戻っていった。


 そして、この場に残ったのは五人だけとなる。

 フラム、イグニス、リアンという炎竜族きっての実力者であり、権力者である三人と、金縛りにあったかのように未だに膝をつき続けていたレイジとクレールの二人。

 何とも言えない空気が流れる中、フラムはあっさりとした声色でこう告げた。


「色々と語りたいことはあるが、飯を食いながらするか。早くしないと、クレールの腹がまた鳴るかもしれないしな」


「!? う、うぅ〜……」


 クレールは敬意からではなく、恥ずかしさで頭を下げた。




 場所をこじんまりとした食堂に移し、フラムとレイジ、クレールが椅子に座り、イグニスとリアンの手によって続々と料理が運ばれてくる。

 長さ四メートルはあるテーブルの上には所狭しと豪勢な料理が並べられ、室内に充満した料理の匂いで空腹感がより一層刺激されていく。

 その豪勢な料理を目の前に、シチューを食べ損なったクレールだけではなくレイジの腹まで音を立てる。

 しかし、不思議なことに空腹感こそあったが、レイジとクレールの手が料理に伸びることなかった。


「どうした? 食わないのか?」


 ナイフとフォークを上手く操り、上品ながらも信じられない速度で料理を口に運ぶフラムの問いに対し、レイジが頬を引き攣らせながら応じる。


「い、いや、緊張で喉を通らないと言うか……」


「厨房の方はともかく、ここには私たちしかいないんだ、気にせずに食えばいい。ああ、そうだ。私は飲まないが、酒でも用意させるか? 少しは気が楽になるかもしれないぞ」


「気が緩み過ぎたらそれはそれで問題になりそうなんで、酒は遠慮しておきます……」


 城には複数の食堂があり、普段フラムが使用する大食堂ではなく、この小さな食堂を使用したのはレイジたちが過度に緊張しないようにというフラムなりの配慮であった。

 それでも目の前にいる女性がこの国の王だと本当の意味で認識してしまった以上、緊張が解れることはない。

 だが、対話できているだけレイジはマシだった。クレールに至っては料理どうこうの前に、フラムの顔さえ直視できずにフォークとナイフだけを握ったまま完全に固まってしまっていた。


 そんな二人を目の当たりにしたフラムは小さく溜め息を吐くと、テーブルの上に置いてあった骨付き肉を手で鷲掴みし、豪快に齧りつき、ゴクンと飲み込んで指先についたソースをぺろりと舐めた。


「礼儀作法なんて気にしなくていい。私に気を遣わなくていい。だってそうだろう? お前たちは私の素の顔を知っているし、私もお前たちの素の顔を知っている。クレールが引っ込み思案で恥ずかしがり屋なことだって、レイジが馬鹿なやつだってことも、な」


 思い遣りと冗談が入り混じったフラムの言葉にレイジとクレールは目を丸くし、そして自然と笑みが零れる。


「ぷっ、ぷくく……お兄ちゃん、馬鹿だって」


「いやいや馬鹿って……。でも、まあいいか。オレは馬鹿なんで礼儀作法なんて無視してヤケ食いさせてもらいますよ」


 そう言ってレイジはフラムと同じ骨付き肉に手を伸ばし、齧り付く。口元にはべっとりとソースがついていたが、お構いなしに次々と胃の中に流し込んでいく。

 クレールも兄に続くようにイグニスが取り分けてくれた料理に手を伸ばす。レイジとは違ってまだ緊張と恥ずかしさが抜けきっていなかったが、それでも慣れない手つきでナイフとフォークを使い、初めて食べる料理に舌鼓を打つ。


 フラムの気配りによって、城に来てから初めて兄妹の心に余裕が生まれ、時間の経過と共に会話も弾んでいった。

 料理の感想から真紅の城の感想まで話題が尽きることはない。


 そして、テーブルの上にあった料理の大半を食べ終えたタイミングで、フラムはおもむろにレイジとクレールにある提案を投げかけた。


「外縁部に住んでいても暇だろう? それなら私の下で働いてみないか?」


「……はい?」「……え?」


 唐突過ぎる提案にレイジとクレールは声を重ね、意味がわからないとばかりに首を傾げた。

 だが、フラムはそんな二人を置いてけぼりにしたまま話を続ける。


「私の下と言ったら少し語弊があるか。いや、そもそも働くというよりも鍛えると言うべきだろうな」


「鍛える? オレたちを? フラム様が?」


「私自ら――と言いたいところだが、私には色々とやることがあってな……用事を済ませたら国をすぐに出ていくつもりなんだ」


「はぁ……」


 全く理解が追いついていないにもかかわらず、レイジは生返事をし、クレールはうんうんと難しそうな顔で頷き返す。その返事が二人の人生を左右するとも知らずに。


「てなわけで、リアン――二人のことをお前に任せても構わないか? なかなかに面白い素材だ、鍛え甲斐があると思うぞ」


「……うん。……訓練場に連れてく」


 リアンは無感情な瞳でレイジとクレールを見つめると、椅子に座ったまま呆気に取られ固まっていた二人の手を取り、そそくさと食堂をあとにしたのであった。

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