第751話 真紅の城

 人畜無害であることを主張したにもかかわらず、フラムはクレールを安心安全な女から安心安全じゃない女へと変える気満々になっていた。


 勘弁して欲しい、許して欲しい、誰か助けて欲しい。

 そんなクレールの心情とは裏腹に、兄であるレイジは相も変わらずポンコツだった。

 ぽかんと口を開けるや否や、次に出てきた言葉が『羨ましいぜ』の一言。

 根っからの臆病者であり、戦いを怖がっているクレールからしてみれば、羨ましがられる意味がわからなかった。


 顔を蒼白させたまま肩を落とし、地面を見つめながらとぼとぼとフラムの後ろをついていく。

 クレールは放心状態だったこともあり、気付いた頃には天を穿くほどの巨大な城がすぐ目前まで迫っていた。


「少し寄り道をしてしまったが――やっと着いたか」


 フラムの声を切っ掛けにレイジとクレールは顔を上げ、闇夜に呑まれて頂上の見えない城を見上げる。


 この城に名前はない。ただし、炎竜族の多くは『真紅の城』と呼んでいた。

 最硬であり、最高の金属とされている日緋色金。

 炎竜族の国付近を除けば滅多に産出されることのない稀少な日緋色金で城全体を覆い、補強を施した真紅の城の外観は美しいよりも恐ろしいという印象を抱かせる。


「こうして間近で見ると、何て言うべきか……気味が悪いっつうか……」


「おお、お兄ちゃんっ!?」


 レイジの失言に慌ててクレールが口を挟む。

 とはいえ、クレールもレイジと同じ印象を抱いていた。


 真紅の城はその顔を変える。

 日が出ているうちは光に照らされ鮮やかな紅色になるが、日が沈んだ夜は違う。『真紅』から『深紅』へとその姿を変えるのだ。

 赤黒く仄かに輝く城は血を想起させ、見た者の心を凍てつかせる。

 深紅に染まる城が漂わせる怪しい雰囲気はまるで邪悪な悪魔が住まう城のようにさえ兄妹の目には見えていた。


 レイジの馬鹿正直な感想に、フラムは怒るわけでもなく、むしろ同意を示すかのように深く頷く。


「わかるぞ。趣味が悪い見た目をしているだろう? 言っておくが、あれは私の趣味ではない。あの城は私がまだ炎竜王ファイア・ロードになる前からあったものだからな。まあ、建て直すのが面倒だからそのまま使用しているが」


 フラムの言う通り、その城は初代炎竜王が建てたものであった。

 日緋色金をふんだんに使用しており、無駄に強固であるため、フラムは建て直すことなくそのまま利用していた。フラムが無頓着だというのも建て直さなかった理由の一つではあるが。


「建て直させましょうか?」


 すかさずイグニスが至って真面目な表情でフラムにそう提案する。


「いや、別にいい。あれはあれで国の象徴のような物になっているからな。もしかしたら、あんな見た目の城でも憧れを持っている者もいるかもしれない。城を我が物とするために私に挑む……そんな威勢の良い者を待つのも悪くはないしな――っと、無駄話が過ぎたな。さっさと中に行くぞ」


「ほほほ、本当に私たちのような下賤な者がお城の中に入ってもよろしいのでしょうか……?」


 フラムが足を踏み出そうとした直前、クレールが怯えるような震えた声でそんなことを言い出す。声だけではない。足も震えている。

 レイジまレイジで、らしくないほど緊張した表情をその顔に貼り付けていた。

 そんな二人に対し、フラムは首を傾げながらはっきりと言う。


「ん? 何を言ってるんだ? あれは私の家だぞ? 私が誰を招こうが私の勝手だ。誰の口出しも許さん。いいから、さっさと行くぞ」


 それだけを告げたフラムはそそくさと歩き出し、城門の前に立つ。

 すると、まるで主の帰りを待っていたかのように閉じられていた重厚な日緋色金製の巨大な扉が、音を立ててゆっくりと開いていく。


 門が開いた先には広大な庭が広がっていた。

 セキュリティよりも見栄えを重視した庭には緑が生い茂り、城に続く真っ直ぐと伸びる白い石畳の途中には噴水が設置されている。

 ここ一年間、ほぼフラムは城に帰ってきていなかったにもかかわらず庭は完璧に整備されており、鮮やかに咲いた草木が城の主人を出迎える。


 庭には警備の者の姿はどこにもなかった。

 だが、それも当然の話だ。

 ここは絶対的な支配者であり、最強の王が住まう城。さらにはこの国には帰属意識の高い炎竜族しか存在しない。

 街に犯罪者が現れることこそ稀にあれど、犯罪のためにこの城に立ち入ろうとした者は長い歴史の中で一度もいなかったことからも、警備という存在自体が不要だったのだ。

 加えて、城で働く者は全員人化でき、フラムに絶対の忠誠を誓っている。

 無論、ただ人化できるだけではない。ここで働く者はフラムが認めた才ある者のみ。無能はただの一人として存在しないのである。


 迷うことなく歩き出したフラムを先頭に、イグニス、レイジ、そしてクレールと続いた。

 レイジとクレールは緊張しながらも、物珍しそうに周囲を見渡しながら歩く。


 どこまでも続くかと思うほど広い庭にも終着点はある。

 城内に続く扉を目前にしてレイジとクレールは自然と背筋を正していく。

 レイジはごくんと喉を鳴らし、クレールは兄の背中に隠れるような立ち位置を取りながらも長い髪を手櫛で整え、扉が開くその時を緊張の面持ちで待つ。


 そして、フラムに代わってイグニスが先頭に立つと、人の背丈の十数倍もある巨大な二枚扉が音もなく開き、城の中から眩い光が漏れる。


 約一年ぶりの王の帰還。

 にもかかわらず、扉が開いたその先は静寂に満ちていた。

 しかし、誰もいないわけではない。

 強張った表情をしたレイジとクレールの視界に映っているのは、毛の長い赤い絨毯を挟むように一糸乱れず整列し、深々と頭を下げる数多の使用人の姿だった。


「今帰った」


 そうあっさりと告げたフラムは堂々とした立ち振る舞いで使用人たちの波を割ってできた玉座への道を歩く。

 フラムの後ろを歩くのは当然、王の右腕であるイグニスだ。王が歩いた跡を踏まないように僅かに端へずれると、その背中に付いていく。


「ぁ……」


 唖然としていたこともあって、フラムたちに置いていかれてしまったクレールから、か細い声が漏れる。

 レイジも足を止めていた。が、不安に満ちた妹の声で我を取り戻したレイジは、クレールの腕を軽く引っ張り、やや早足になりながらもフラムたちの後に続く。


 レイジは自分たちがこの場に似つかわしくない存在だと理解していた。招かれざる客だと思われても仕方がないと覚悟していた。

 しかし、その覚悟を裏切るように、使用人たちはレイジたち兄妹にも頭を下げ続けるばかりか、嫌そうな雰囲気を一つとして漂わせず、見ず知らずの客にただひたすらに礼を尽くす。


「これが王……」


 レイジは歩きながらそんな言葉を誰にも聞こえないほどの小さな声でポツリ零す。


 肌が粟立つ。手足が震える。生きている心地がしない。

 フラムと初めて出会し、戦った時以上の恐怖をレイジは感じていた。

 改めて実感していたのだ。自分の前を歩くその御方が――フラムが真に炎竜王であることを。


 四人は赤い絨毯が伸びた終着点に到着する。

 そこには日緋色金を土台に金の細工が施された巨大な玉座が置かれていた。

 椅子とは思えぬほどの大きさで、幅一メートル、高さに至っては十メートルにも及んでいる。

 そしてフラムは躊躇うことなくその巨大な玉座に腰を下ろすと、愚痴を零した。


「相変わらず座りにくいぞ、これ……。硬いし冷たいし……」


 座る位置を調整しながら肘を置き、頬杖をつきながら溜め息を漏らす。

 イグニスは玉座に座るフラムの右隣に立ち、レイジとクレールはどうしたらいいのか戸惑いながらもフラムの前で片膝をつき、頭を下げた。


「おいおい、お前たちは私の客だぞ? 別に頭を下げる必要はないんだが……」


 そう言われても困るのはレイジとクレールだった。

 既に先ほどまで頭を下げていた使用人たちはフラムの方向に向き直り、片膝をついて待機している。

 そんな仰々しい雰囲気の中、王の前でぼんやりと立ち尽くすことなど、如何にレイジが世間知らずとはいえ、できようはずがなかった。


 沈黙が場を支配する。

 レイジとクレールは口を開くことができずに口を噤んでいた。

 そんな重苦しい空気に包まれていた中、レイジはチラリとフラムの様子を見てみると、いつの間にかイグニスとは反対に位置するフラムの左隣に、メイド服を着た無表情な小さな少女が立っていることに気付く。


 すると、その少女はそそくさとフラムの正面に立ち、眠くなりそうな声音でこう言った。


「……おかえりなさい、フラム様」

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