第750話 『経験回顧』

 外縁部と内縁部を隔てる壁。

 その巨大な壁をくり抜いて設置された門の先には外縁部とは異なる景色が広がっていた。


「ここが内縁部……綺麗……」


 巨大門を通り抜ける直前に目を覚ましていたクレールが、視界に広がるでありながら、まだ見ぬの世界を目にして瞳を輝かせ、嘆息する。


 慣れとは恐ろしいものだ。いや、クレールの心情を鑑みれば、ただ吹っ切れただけとも言えるかもしれない。

 つい今しがたまでフラムとイグニスに恐れ慄いていた少女はもういない。

 今、クレールの頭の中にあるのは目の前に広がる内縁部への好奇心だけだった。

 とはいえ、クレールがここまで吹っ切れることができたのも、フラムが好意的な――フランクな接し方をしていた面が大きいだろう。


「なんだ、クレールはこっちに来るのは初めてなのか?」


「はい、フラム様。、怖くてなかなか行けずに……」


 そう言っている今もクレールは兄であるレイジの大きな背中に隠れ、目立たないようにしていた。

 だが、クレールが望む望まないに関係なく、街中から数多の視線が集まってくる。無論、その視線の大半を集めているのはフラムとイグニスなのだが、少なくはない興味や羨望、嫉妬の視線がクレールとレイジにも注がれていた。


「視線が気になるかもしれないが、そこら辺は慣れだ、慣れ。手を出して来ようとする馬鹿なんて滅多にいないから、あまり心配するな」


 フラム、イグニス、そしてクレールの視線が、その馬鹿に集まる。


「はは、はははっ……」


 レイジは頬を引き攣らせ、乾いた笑い声を上げることしかできなかった。


 外縁部にはない商店や酒場には、もう日が落ちたというのに多くの人の姿をした同族の姿がそこかしこにいる。

 街灯の明かりの数も外縁部の比ではない。今が夜だということを忘れたかのように街には光が溢れ、活気に満ちている。酒屋で盃を交わしている者たちの中にはフラムたちの存在にすら気付いていない者もいるほどだった。


「大通りは目立ち過ぎるな。面倒だが、少し遠回りをするぞ」


「仰せのままに」


 フラムの提案を断るイグニスではない。それはレイジにもクレールにも同じことが言える。

 しかし、イグニスがフラムの提案をあっさりと受け入れたのはフラムが王だからという単純な理由だけではなかった。


 フラムはレイジとクレールを守ろうとしていたのだ。その配慮に気付かなければ王の右腕としての役割は務まらない。

 嫉妬や羨望の眼差しが兄妹に向けられていることには内縁部に足を踏み入れた瞬間からフラムとイグニスは気付いていた。

 当然の話だ。多くの者たちが憧れ、尊敬の念を抱いている王とその右腕の近くに、名も顔を知らぬ外の者が連れ添って行動を共にしている。その姿を見て、面白くないと思う者が現れても仕方がないと言えるだろう。


 それだけであれば、問題はない。

 負の感情を抱きながらも理性で押し留められるのであれば、無視もできよう。

 しかし、絶対的な王が君臨する炎竜族と言えど、荒事が起きないわけではない。

 荒事の中には縄張り争いも含まれるが、あれは両者合意の上で成り立っている。喧嘩なども決して褒められた行為ではないが、知性と感情を持つ生き物である以上、多少の揉め事は避けては通れないものだ。余程の騒動にまで発展しなければ目を瞑る他ないと割り切っている。


 しかし、それが悪意によって齎されるものともなれば、話が大きく変わる。

 羨望から嫉妬へ、嫉妬から憎悪へ。

 感情や心が移ろいやすいのは人も竜族も変わらない。

 炎竜族の象徴であり王であるフラムの側に名も知れぬ下位の存在がいる。


 面白くない、許されない。

 フラムからしてみれば、理解し難いつまらない感情だったが、衝動に近いその感情を抑え込むことは炎竜族を統べる王であっても不可能。

 そして、その負の感情が向く先はフラムでもイグニスでもない――レイジとクレールだ。

 負の感情を胸の内に秘め、虎視眈々と感情の捌け口とする機会をうかがっている者がいるかもしれない。

 そういった危惧のもと、フラムは衆目のないルートを使おうと提案したのであった。




 フラムの提案通り、人気――竜族の気配のない通りを歩いていく。

 それでも時折、視線を向けてくる者はいたが、跡をつけて来る者はおらず、暫し穏やかな時間が流れる。

 そんな中、フラムは暇潰しという名目のもと、レイジの話から目をつけていた、人化に至ったクレールの力を悪びれもせずに聞き出そうとしていた。


「レイジから聞いたのだが、狩ろうとしていた魔物に返り討ちにされそうになるほど戦闘面に関しては、からっきしらしいな。にもかかわらず――お前は人化に至った。何故自分が人化できたのか、何か心当たりはあるか?」


 他者のスキルを暴こうとするのはマナー違反だ。それは人も竜族も変わらない。

 しかし、フラムは炎竜王ファイア・ロード。同格の存在ならまだしも、王からの質問ともなればマナー違反もへったくれもない。

 そして、質問を受けた当のクレールも嫌な顔一つ見せずに、答えることが当然のことだと言わんばかりのからっとした表情で答える。


「確信を持てるほどではありませんが、おそらく――知識、でしょうか」


「ほほう。その様子だと、レイジが言っていた『頭が切れる』というのも、あながち間違いではなさそうだな」


 フラムの金色の双眸がきらりと輝く。

 その一方で、クレールは恥ずかしそうに耳の先を赤くしながら、目を瞑って頭をぶんぶんと横に振った。


「おおお、お兄ちゃん……っ!? 違いますっ、誤解ですっ! 私はただ――皆さんのをお借りしただけですからっ」


 顔を真っ赤にしたクレールの言葉に、フラムとイグニスが目を細めた。ただの好奇心だけだった感情の中に僅かな警戒が含まれる。

 そんな二人の僅かな変化に気付かないクレールに、フラムは探りを入れた。


「ほう、興味深いな。知識を借りたとはどういう意味だ?」


「えええ、ええっと……厳密には知識ではなく経験と言うべきかもしれません。私が持つスキル――『経験回顧エクスペリエンス』で、他の方々が得た経験を私の知識として取り入れたのです」


 ――伝説級レジェンドスキル『経験回顧』。

 対象の過去を遡り、その生涯で得た経験をスキル使用者に授けるという極めて珍しいスキルである。

 その能力を一言で表すのならば『追体験』だろう。

 ただし、『経験回顧』には追体験と大きく異なる点がある――それは確度と情報量だ。


 伝説級スキルというスキルの位は飾りではない。『経験回顧』で得た対象者の経験は寸分違わずにクレールの脳に、身体に、知識や経験として刻み込まれるのだ。

 しかも、その情報量に制限はない。クレールが望んだ分だけ対象が持つ経験を得ることができる。


 クレールはその強力無比なスキルの詳細をフラムとイグニスに何一つ隠すことなく懇切丁寧に説明した。


「――ですので、私の知識は所詮、紛い物なのです。借り物なのです……」


 申し訳無さそうに眉をハの字にするクレール。

 彼女の性格もあり、稀少かつ強力なスキルを持っているにもかかわらず、その表情からは自信のなさも窺えた。

 レイジもレイジで、クレールの力を過小に評価していたため、肩を竦めながら付け加えるようにこう言う。


「ってなわけで、妹は頭は良いんですが、戦闘面では全然で……。まあ、オレが力仕事を、妹が頭脳をって感じで、良い具合に役割分担はできてますけどね」


 訳知り顔でそう話すレイジに、フラムは白い目を向けながらもイグニスに意見を求める。


「どう思う?」


「非常に優れた力かと。スキルの稀少性は勿論のこと、将来性も素晴らしいものがあります」


「「???」」


 予想外のイグニスの高い評価に、レイジとクレールは互いに目を合わせ、首を傾げていた。

 全く話についていけてない二人に、フラムは小さく溜め息を吐き、高い評価を得た理由を説明する。


「戦闘面では全く役に立たないようなことを言っていたが、今の話を聞く限り、クレールの力は戦闘に於いても十分過ぎるほど活かせそうだが? たとえば……剣技。それこそ私でも誰でもいい。有数の剣の使い手の経験を得れば、剣士として十分に通用するんじゃないか? そう考えればクレールが持つ『経験回顧』は無限の可能性を秘めていると言っても過言ではないぞ。それに経験を得るということは記憶を得るということだ。そうなると……系統で言えば精神系統スキルにあたるのか?」


 フラムの言っていることは概ね正しい。

 他者がその生涯をかけて得た経験を瞬時に獲得できる『経験回顧』の潜在能力は非常に高く、またその力が持つ可能性の大きさから、彼女の力を知る者であれば、危険だと認識してしまうほど強大な力を秘めている。

 フラムとイグニスでさえも、そのスキルの有用性と危険性に警戒していたほどだった。


 しかし、フラムの説明を受けてもなお、クレールは両の手のひらをぶんぶんと振って否定する。


「あああ、あの! 私の力を少し……いえ、大きく誤解されていると思いますっ! まず私の力は、その方の記憶を覗き見ることはできません。獲得できる対象となるのはあくまでも経験と知識に限られるのです。その方が何を見て何を感じたのか……そういった記憶の部分まで私の力で獲得することはできないのです」


「ふむ……では精神系統スキルではなさそうだな。そういった意味では危険度はたいぶ下がるか」


「ききき、危険っ!?」


 大きく目を見開いたクレールは口をあわあわと動かし、焦燥感を露わにする。


「いいや、なに、こっちの話だ、気にするな」


「気にするなと仰られても無理ですぅ……」


 そう言って恐怖のあまり涙目になるクレール。がっちりとレイジの服を掴み、上目遣いで兄に救いを求める。

 そして救いを求められた当のレイジは事の重大性に気付いておらず、未だに首を傾げ続けていた。


 レイジの服を掴む力が弱まる。

 今の兄は役に立たないとクレールは光を失った瞳で察していた。

 故に彼女はまるで言い訳のように言葉を重ねることで窮地を脱しようと試みる。勝手に窮地だと思い込んでいるだけだとは知らずに。


「自慢ではありませんが、私は運動音痴なのですっ。なので、たとえ経験を得ても再現することができませんっ。身長や体重、骨格や筋肉量、それらの違いによって全く同じ動きをしようとしても再現できないのですっ。ですので、私は危険ではありませんッ!! 安心安全な女なのですッ!!」


「……?? 運動音痴ならば、運動ができるようになるまで鍛えればいい。死ぬ気でやればできないことではないだろう? 違うか?」


「――ッ!? うぅ〜……そんなぁ〜……」

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