第747話 自覚なき感情

 目まぐるしく変わる状況にレイジの頭はまったくついていけていなかった。

 何故、自分が炎竜王ファイア・ロードの隣を歩いているのか。

 何故、散々無礼を働いたというのに殺されていないのか。

 何故、話し相手に選ばれたのか。


 無数の謎が頭の中で渦を巻く。

 しかし、呆けている場合ではないことをレイジは理解していた。

 今までに感じたことのない緊張感が心臓の鼓動を加速させていく。背中には大量の冷たい汗が流れ、表情筋はとうの昔に死んでいる。せめてもの救いがあるとすれば、気合と根性で何とか愛想笑いを浮かべられていることくらいだろうか。


 生きている心地がしない。

 炎竜族として生を受けた者であれば、レイジの今の心境を推し量ることは容易だろう。

 その証拠に、街の至る所から数多の視線がレイジに注がれている。それは好奇心であり、また憐憫の眼差しでもあった。


 影でコソコソと視線を向けてくる者たちは、レイジのことを断頭台に連れて行かれる哀れな存在として見送っていた。

 そんな視線を受けてもレイジの心に怒りの感情が芽生えることはない。むしろ他人事のように共感さえしてしまっている。

 繰り返すが、隣には最強の名をほしいがままにしている炎竜王がいるのだ。それだけでも絶体絶命の危機だというのに、あろうことか後ろには王の右腕であるイグニスまで控えているというのだから、この状況を絶体絶命の危機と言わずして何とか表現すればいいというのか。


 地獄という言葉すら生温い今の状況に激しい吐き気を催しながら、レイジはフラムの雑談に付き合う。


「悪いな。私の暇潰しに付き合わせてしまって」


 悪びれる様子もなくそう口にしたフラムに、レイジは潰されかけていた己の心を奮い立たせ、不器用な笑みを貼り付ける。


「いえ」


 短い返事で済ませたのはレイジなりの配慮だ。敬語が苦手な以上、無駄に言葉を増やせばその分ボロが出てしまう。『はい』か『いいえ』だけで会話を成立させることが最善であると算盤を弾いたのであった。

 しかし、そんなささやかな配慮に気付いていないフラムに慈悲はない。

 容赦なく一言では済ませられない質問をレイジに投げかける。


「最近、めっきりこの辺りに足を運ばなくなっていてな。どうだ? 外縁部の様子は」


「各々自由にやってるんじゃないですかね。オレ――……自分も含めて」


 言葉のチョイスを誤り、即座に修正する。

 レイジは自分なりにそれなりの返答ができたのではないかと胸を撫で下ろしたが――途端、背後から強烈なプレッシャーが膨れ上がっていくのを察知し、そこでようやく自分が失敗してしまったのだと悟った。


(ははっ、終わったな……)


 もういっそのこと好きにしてくれと自暴自棄になる。

 一朝一夕で言葉遣いを直せるはずもなし。雑談という場に引きずり込まれた時点で詰んでいたのだ。

 真紅の城に到着するまで時間はまだまだ掛かる。歩き出して早々この始末なのだから、これから先のことを考えると、仮に今さっき正答を導き出せていたとしても、メッキが完全に剥がれ落ちるのも時間の問題でしかない。

 一時間近くも不慣れな敬語を操り、会話のキャッチボールを成立させるなど、レイジからしてみれば土台無理な話だった。


「おい、イグニス。細かいことでいちいち目くじらを立てるな」


 たったのその一言で、背後に感じていた大きな鎌を持った死神の気配が綺麗さっぱり消えてなくなる。


「……失礼致しました」


「こいつはまだ若い。人化できているだけで褒めてやってもいいくらいだと思うぞ? なあ?


「レイジっす……」


 笑いながら『すまん、すまん』とバシバシと背中をフラムに叩かれる。

 名前を間違えられ、思わずツッコミを入れてしまったが、自分の名前なんて今はどうでもいい。


 窮地を救われた。

 首筋に当てられていた大鎌を払い除けてくれた。

 無礼を働いたにもかかわらず、それを簡単に許し、王の器というものをまざまざと見せつけられた。


 この瞬間、レイジの心に初めてフラムに――炎竜王に対する尊敬の念が芽生えた。

 とはいえ、まだ自覚はない。炎竜王を目指す身として、無意識の内にその気持ちを心の奥底に隠し、蓋をしていた。


「他の者たちの目がある手前、大きな声では言えないが、言葉遣いに関してはあまり気にすることはないぞ。お前なりに頑張ってくれれば、それでいい。肩肘張らずにもっと気軽に接してくれ」


 口の端を僅かに吊り上げ、フラムは涼やかにそう言い放つ。

 レイジが見たその横顔は誰よりも気高く、そして憧れた。

 フラムが炎竜王だからではない。ミーハーな奴らと一括りにされるのは心外だ。

 ただレイジはその姿に憧れた。自分もそうありたいと胸に誓った。

 性別など、そんなものは関係ない。子供のような青臭い感情かもしれないが、ただ純粋にフラムのことを格好いいと思ったのだ。


 ゼロと言ったら嘘になるが、もう緊張はほとんどしていない。

 半ば抜け殻と化していたレイジの身体に力が戻る。活力が宿る。


「その言葉に甘えさせてもらいますよ、フラム様」


 この日、初めてレイジから自然な笑みが零れた。




「なるほどな。どうりで国の中で国取り合戦みたいなことをしていたわけだ」


 レイジの舌が良く回るようになってからというもの、話題は縄張り争いに移っていた。


「縄張りの広さ――それが手っ取り早く力の証明に繋がるんで」


「徒党を組んだりはしないのか?」


「オレはしてませんが、中にはそういう奴らもいますね。ただ、そういう奴らは基本的に雑魚ばっかです。群れなきゃ勝てないと自分でもわかってるんじゃないですかね」


 会話を交わしていくうちにレイジは口調を固まっていった。

 どの程度までなら許されるのか。そんなラインを見極めるようなこともなく、自然に今の形に至っていた。


「外縁部を縄張りにしていたのはどうしてだ? 人化できるお前にとって外縁部は住みにくいだろうに」


 外縁部は人化できない竜が多い分、内縁部に比べて文明レベルが一段も二段も下がる。

 武器一つ手に入れるのも一苦労。よしんば手に入れられたとしても、内縁部からのお下がりであったり、粗悪品ばかり。当然、武器の整備も内縁部に赴くか、自分で行わなければならない。

 故に人化可能となった者の多くは金品を蓄え、内縁部に引っ越すのが一種の慣例のようになっていた。

 ちなみに外縁部では通貨は利用されていない。通貨は内縁部でのみ流通し、使用されている。

 その理由は単純で、竜の姿しか取れない者には武器や防具どころか、服も生活必需も必要ないからだ。

 彼らに必要な物は棲家と食料だけ。食料に至っては自分で狩りをして取ってくれば済む話なので、通貨を使う場面がそもそも存在しないのだ。


 フラムの質問に、レイジは少しだけ照れ臭そうに鼻の下を指で擦りながら答える。


「生まれも育ちもこっちなんで、慣れてるってのもありますし、こっちには妹もいるんで……」


「顔に似合わず妹想いなのか。両親はどうした?」


「さあ? 内縁部で暮らしてるんじゃないんすかね。正直、顔もぼんやりとしか覚えてないですし。あと、一言多いっす……」


 そう答えたレイジの表情には悲壮感のようなものは一切漂っておらず、それどころかあっけらかんとしていた。


 レイジに限らず、両親がいないというのは珍しい話ではなかった。とりわけ外縁部ではそういった例が顕著に現れる。

 竜族の寿命は果てしなく長い。

 永遠に等しい寿命を持つ竜族は子を産み、ある程度まで育てると、自分の時間を生きていくことになるのが普通なのだ。

 親からしてみれば、育児放棄をしたわけでも、子を愛していないわけでもない。

 そして、子供たちから見てもそれは同じ。

 ただ、長きに渡る時を経ていくうちに記憶が薄れ、忘れてしまうだけの話でしかない。

 初めから内縁部で暮らしている者であれば、永遠に等しい時を子と共に暮らす者も少なからずいるが、それは内縁部に住んでいるからこそ。いずれ人化に至るであろう子の成長を、住みやすい内縁部で見守ることができる。


 フラムもフラムで両親がいないことを哀れに思うことも同情することもなく話を進めていく。


「妹を連れて内縁部に住むという選択肢はなかったのか? 内縁部に家を買うくらい、人化のできるお前ならわけないだろう?」


「いやいや、そんなポンと簡単に払えるような額じゃないですよ。それに今のオレじゃ、妹を確実に守り切れるだけの力も自信もねぇ……。敵ばっか作ってきたオレの自業自得なんすけどね」


 正面からの一対一の決闘なら、そんじょそこらの相手には負けない自信がレイジにはあった。

 しかし、縄張り争いの過程で多くの敵を作ってしまったこともあり、いつ闇討ちに合うかもわからない。

 それでも痛い目に遭うのが自分だけなら問題はなかった。返り討ちにすれば済む話だった。

 しかし、妹まで巻き込まれるともなると話は変わる。

 戦闘に特化したスキルをいくつも有するレイジとは違い、レイジの妹には戦闘面における才能がほとんどなかったのだ。


「妹のため、か」


 そこから話題はレイジの妹に移っていった。

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