第746話 枯れた笑い
時間の経過と共に、放心状態が続いていたレイジの意識が徐々に戻っていく。
その間にも、フラムは金色の瞳を右往左往させながら延々と苦し紛れの言い訳と嘘を繰り返していた。
「ええっーと、だな……そうだ! 冷静になってよく考えてみろ。このような場末に完全無欠で唯一無二の超絶忙しいであろう、あの
舌の根も乾かぬ内に頭の中に続々と浮かんでくる嘘をひたすら並び立てていくフラム。
この調子のまま嘘に嘘を重ねて捲し立てていれば、勢いで捻じ伏せられる。それにレイジという若者は一族の王である自分の顔も知らなかった世間知らずなのだ。ならば、あの愚直過ぎる剣技と同様にその頭も……と、フラムはレイジのことを『生粋の馬鹿』だと半ば決めつけ、言葉で攻め立てる。
「は、ははは……はははははッ!! そ、そうだよなぁ!?」
何事もなかったかのようにレイジはフラムの額に当てていた拳をそっと引っ込め、宙ぶらりんになっていた右手の着地点を探す。
偶然にも手放した大剣がすぐ真横の地面に突き刺さっており、行き場を失っていた右手で大剣をあたかも杖であるかのように握り締め、体重を預ける。
フラムの目に狂いはなかった。
レイジはまるで自分自身を無理矢理納得させるかのように大きな笑い声を上げ、自分の嘘に便乗してきた。
焦点の全く定まらない瞳をこれでもかと揺らし、頬からは冷たい汗が大量に流れ落ちている。
しかし、それでもレイジは諦めていない。現実を直視しないように必死になっている。
これでいい。
この流れのまま進めば、不幸になる者はいなくなる。
フラムはせっかく見つけた暇潰しの玩具を失わなくて済むし、レイジはレイジで『炎竜王に牙を剥いた一族の面汚し』という汚名を背負わずに済む。
「はははは!」
「ははっ、はははは……!」
不気味な男女の笑い声が夜の闇に吸い込まれ、融けていく。
引くに引けない状況だった。
とりわけレイジにとって、この状況はまさに自身の命運を左右する分岐点。
選択肢を間違えれば最後、レイジは炎竜族全てを敵に回し、果てには無残にもその命を散らすことにもなりかねない。
笑い声を決して絶やすことなく、改めて目の前に立つその人物の顔を確認する。
女性にしてはやや高い身長に、健康的な美を思わせる褐色の肌。長い紅色の髪を後ろで一纏めにしている。男顔負けの凛々しさを伴ったその端正な顔立ちは、美男美女が多いこの世界に於いても人目を引くこと間違いなし。
スタイルに関しても抜群の一言に尽きるだろう。
長く靭やかな手足は良く鍛えられており、無駄な肉が一切存在していない。かといって発達した筋肉が女性らしさを消しているということもなく、理想的な美が彼女の身体には宿っていた。
観察を終えたレイジは、再度頭の中を整理する。
外見的特徴は既にその目に焼き付けた。だが、いくら記憶の中から炎竜王の容姿を検索しようが、過去に一度も目にしたことのない炎竜王の容姿など思い出しようもない。
炎竜族として生を受けたレイジをしても、炎竜王というのはそれほど手の届かぬ存在だった。
とはいえ、その顔を知らぬ者の方が圧倒的に少数であろうこともレイジはわかっている。
竜族は永遠に近い寿命を持つ種族なのだ。
たとえ真紅の城から遠く離れた外縁部に居を構えている者であっても、ある程度の年月を生きていれば一度くらいはその姿を目にする機会は訪れる。
畏敬や崇拝の念を常日頃から持っている者であれば、なおのことだ。炎竜王が滅多に訪れることのない外縁部に姿を見せようものなら、御姿をその目に焼き付けようと不敬だとは理解しつつも、ついつい見学に訪れてしまうだろう。
事実、フラムがレイジと対峙する直前まで集まっていた数多の視線もそういった好奇心から来たものだった。
そういった視線には慣れ切っていたこともあり、フラムはやや不快には思いつつも、拒絶するような真似はせずに大人しく受け入れていたのである。
では何故、レイジはフラムの顔を知らなかったのか。
その理由は至って単純だ。つまらない男のプライドから来ていた。
興味本位で炎竜王の御姿を見ようとするその心理がレイジには理解できなかった。むしろ気に食わなかったと言っても過言ではない。
流行に乗りたい、有名人に会いたい、といったミーハーな部分を見せること自体が男として許しがたいダサい行為だとレイジは常日頃から思っていたのだ。
だからこそ、あえて炎竜王から目を背けて生きてきた。
憧れるのは構わない。
尊敬し、崇拝に至るのもまだ理解はできる。
しかし、炎竜王を目指している身からしてみれば、それらの思想を持つということは、諦めと同義。
頂点を目指さずに弱者としてあり続けることを受け入れることなど、レイジには許容できなかったのだ。
「はは、はははは……。はぁ……」
いつの間にか、レイジの笑い声がため息に変わっていた。
その変化にフラムは気づかず、ついにはレイジの肩に腕を回して説得を始める。
「さて、そろそろ仕切り直して戦いの続きをしようではないか」
「……」
レイジから返事はなかった。
その代わりに胡乱げな眼差しがフラムに向けられる。
「な、なんだ?」
「貴女様は……」
そこまで言い掛けてレイジは目を大きく見開き、口を噤む。
冷静になり過ぎてしまっていた頭を急速にフル回転させて、自身の置かれている状況に焦点を当てて考える。
もしここで仮に、だ。
真横で一緒に変な汗を流している人物が正真正銘、あの炎竜王だとしよう。そして、その事実(仮)を自分が認めてしまったら、果たしてどうなるのか。
そこまで考えが至れば、答えはすぐに出た。
(『王の宴』を経ずに王と決闘をしたと周囲に知られちまえば、最悪オレは殺される。最悪を避けられたとしても一族からの追放は免れねぇ……。やっぱ、ここはこのまま話を合わせるしかねぇのか? いや、ダメだ……大多数に見られちまった。口封じをしようにも数が多過ぎるし、現実的じゃねぇ。おいおい……これって、もしかしなくても詰んでやがる、のか……?)
心地良い夜風が肌に当たるが、一向に汗が止まる気配はない。むしろ、頭のてっぺんから足の爪先まで汗が滝のように流れてくる。
ゴクリと喉を鳴らす。口の中はカラカラだというのに勝手に喉が動いてしまう。
レイジは肩に回されたフラムの腕を、まるで首輪のように感じていた。
決して逃れられぬ枷、悪を処するための絞首の縄。
生きている心地がしなかった。だが、同時に逃げられる気もしなかった。
そして、ついに恐れていた審判の時がレイジに訪れる。
コツコツコツと靴の音が闇の奥から聞こえてきたのだ。
外縁部と言われているこの辺りの場所ではあまり聞くことのない音。
それもそのはず、人化できる者が外縁部には極めて限られているからだ。この辺りに住む者からしてみれば、咆哮の方が余程聞き慣れていた。
「フラム様、お遊びはここまでに致しましょう」
「ん? フラムとは一体誰のことだ?」
この期に及んでも白を切り続けようとするフラム。
そんな主君の様子にイグニスは呆れ果てるどころか、表情一つ変えずに淡々と告げる。
「貴女様の名でございます。我ら炎竜族の王――フラム様」
二度その声を聞き、レイジはついに確信する。
王の顔は知らなくても、その声と顔は――《万能者》イグニスのことは知っていた。
王の右腕、王の執事。
王の剣でもなければ、盾でもない。陰から支え、付き従う者。それがイグニスであり、炎竜族の国に於いてその名と顔を知らぬ者はいないとまで言われている。
レイジとて、イグニスに関しては例外には漏れない。
炎竜王を目指していながらイグニスを知らない者がいるとすれば、そいつはモグリと言われて然るべきだろう。
何故なら『王の宴』を取り仕切っているのが、イグニスだからだ。
挑戦者の選考は当然のこと、挑戦者をその実力をもって篩にかけるのもイグニスの仕事の一つ。
炎竜王を目指す一部の者からは『最初の障壁であり、最大の障壁』とまで言われているイグニスを、レイジは当たり前の知識として頭の中に入れていたのだ。
そんなイグニスが、自分の真横にいる者を『フラム』と呼んだ。
イグニスが冗談を言う性格ではないことは、炎竜族の間では常識となっている。
つまりはそういうことだ。
いよいよ現実から目を背けることは困難を通り越して不可能となった。
「……」
もう笑い声は出ない。枯れ果ててしまった。
この最悪な状況下に於いて、唯一の光明を見出すとすれば、それは隣から――フラムから殺意を感じないことだ。
不思議だった。理解し難い状況とも言えた。
相手は一族の王。それも全竜族を含めて歴代最強と名高い王だ。
数多の猛者を相手にして無敗。
前炎竜王を歯牙にもかけず、圧勝を収めた無敵の王。
そんな超越的存在に決闘を挑んでしまった。しかも喧嘩の延長線上に起きた決闘だ。相手に抱かせた印象は最悪の一言だろう。
にもかかわらず、生きている。いや、生かされている。
そればかりか、つい先ほどまでいつ隣から鼻歌が聴こえて来てもおかしくはないほど上機嫌だったときた。身の丈を弁えずに仲間意識を抱いてしまいそうになるほどだ。
「確か……レイジと言ったな?」
「ああ……いや、そうです」
肩に回していた腕を解きながらのフラムの問いかけに、レイジは下手くそな敬語で取り繕う。
今さら言葉遣いを正しても無駄だとわかっていながら、本能がそうさせていた。
「残念だが、ここまでのようだ」
「そりゃ、そうでしょうね……」
死刑執行の時が訪れたのだと理解したレイジは、口元にささやかな笑みという形の反抗を浮かべながら、それと同時に覚悟を決め、ゆっくりと瞼を閉じた。
(正体を知らなかったとはいえ、最後の最後にあれだけ待ち望んでたフラム様と戦えたんだ。そう思えば、然程悪くはねぇ生涯だったのかもな)
後悔がないと言えば嘘になる。
もっと戦えた、どうせなら全力を出しとけば良かったと後悔を数え始めたら、それこそきりがない。
だが、それでも納得はしていた。清々しい気持ちになっていた。
だから抗わずに、レイジはその時を待つ。
生涯を閉じるその瞬間まで『漢』でいようと胸に誓っていた。
そして……。
「今から城に向かうんだが、私の話し相手になってくれないか? 暇で暇で仕方なくてな」
神がレイジに微笑んだ。
否、炎竜王が微笑みながら、そんな言葉を掛けてきた。
「ははは……喜んで」
レイジは最後の力を振り絞り、何とか笑い声を上げたのだった。
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