第743話 欠けた二つの炎

「『愚王と竜の物語』、ねぇ……」


 分厚い古書を閉じ、表紙に刻まれたタイトルを俺は読み上げ、ベンチの背もたれに体重を預ける。


 麗らかな春の昼下がり。

 旅行を終え、ラバール王国に帰国した俺たちはここ二週間、何の変哲もない穏やかな日常を送っていた。


「こうすけ、何読んでたの?」


 庭のベンチで本を読んでいた俺にディアが好奇心を覗かせた声で話し掛けてくる。


「古書店で見つけた本をちょっとね」


 ベンチの半分をディアに譲り、手にしていた本を渡す。


「竜族に纏わる知識を少しでも頭の中に入れておこうと思って買ってみたんだけど、特にこれといった興味がそそられるような内容は書かれていなかったよ。そもそも、どこからどこまでが作り話なのかもわからなかったし」


 俺が今さっき読んでいた本は全世界で言い伝えられている竜族の恐ろしさを本という形で残した歴史書のようなものらしいのだが、内容を読んだ感じ、それも半信半疑だ。

 ちなみに購入金額は金貨五枚。日本円にして約五十万だ。

 この本にその価値があったかと問われれば、首を傾げざるを得ないが、物語としてはなかなかに面白いものだった。


「でも、これが世間一般的に広まっている御伽話なんでしょ?」


「一応そうらしいね。けど、詳しい年代は不明だし、肝心な竜の特徴も曖昧にしか書かれていなかったし、信憑性には欠けるかな……」


 雷雨を呼び寄せ、気温を急低下させたという部分だけを切り取れば、この物語に出てくる竜は水竜族で間違いなさそうではあるが、一方で翼をはためかせただけで木々を裂き、地を割り、兵士たちの身体を粉微塵に切り刻んだその力は風竜族のようにも地竜族のようにも捉えられる。


 この物語に登場する竜は炎竜族を除いたハイブリッドな竜族とでも言えば良いのだろうか。


 正直、眉唾物だ。

 そもそものところ、ワイバーン程度に苦戦していた当時の時代背景を考えると、たとえ倒した竜が子供だったとしても当時の人間が倒せたとは思えない。

 ましてやそこに親までいたともなれば、天変地異でも起きない限り子竜を殺すことなど、まず不可能だろう。


 考えれば考えるほど、作り話としか思えない。

 元々、この世界では本の価格が信じられないほど高いとはいえ、こんな作り話に金貨を五枚も支払ってしまった自分が憎いとさえ思えてくる。


「はぁ〜……。なんでこんな本を買っちゃったんだろうか、俺は」


 俺ががっくりと肩を落としていると、ディアが励ますかのように肩を叩いてくる。


「落ち込むのはまだ早いんじゃない? 聞いてみようよ、この本に書かれている内容が嘘なのか、本当なのか」


 そう言ったディアの視線の先には芝生の上で大の字に寝転がっているプリュイの姿が。そしてその横にはプリュイと全く同じ姿勢でリーナが寝息を立てていた。


 今日も今日とて、プリュイとリーナの二人は俺たちの屋敷を訪れ、束の間の休息を取っている。

 それは、俺たちが旅行から帰ってきてからほぼ毎日のように繰り広げられている光景だった。


 ベンチから立ち上がり、二人の顔を覗き込む。

 いつも通りのプリュイはともかくとして、リーナは日々激務に追われているのか、目の下に薄っすら隈ができていた。

 それもそのはず、つい先日ラバール王国とマギア王国は正式に軍事同盟の締結を公表。それに伴い、マギア王国では大々的なパレードが行われたからだ。


 そんな多忙な日々を送りながらも毎日のように彼女が俺たちの屋敷を訪ねてくるのは息抜きのためなのか、はたまた別の思惑があってのことなのかわからない。

 いずれにせよ、友人がこうして時間を縫って会いに来てくれるというのは悪い気がしないものだ。


「うっ……うぅ〜ん……。――はっ! 乙女の寝顔を盗み見ッスか!?」


 リーナから妙に艶やか寝言が聞こえて来たかと思いきや、すぐに悪戯っ子の側面が顔を覗かせ、俺をからかってくる。


「起こしたのは悪いと思ってるけど、そうじゃないから。用があるのはそっちで口を開けて寝てる方ね」


「えー、なんかつまんない反応ッスね。もっと赤面しながら全力で否定して欲しかったのに」


「俺をどんなキャラだと思ってるんだ、まったく……」


「え? 奥手でムッツリ?」


「……」


 否定できなかった。

 いや、ムッツリという部分に関しては声を大にして否定すべきだっただろうが、それはそれで負けを認めるような感じがして、ついつい黙ってしまったのだ。


「こうすけはムッツリさん?」


「――ゴホンッ、違うから。断じて違うので勘違いしないように」


 最近、ディアの様子がおかしい気がするのは気の所為だろうか。

 いや、おかしいという言い方では少々語弊がある。

 彼女は変わった。それも良い意味で。

 ブルチャーレ公国から帰国してからというもの、ディアの距離感がほんの一步だけ近くなった気がするのだ。

 意識しなければわからないほどの僅かな差。

 けれども、その確かな違いに心がムズムズしてくる。

 手を伸ばせば簡単に届きそうなこの距離感に意識をせずにはいられなくなっていた。


「ぬあ……? なんだ、うるさいぞ……」


 そんな騒がしいやり取りをしているうちに、プリュイが目を覚ます。

 やや不機嫌そうに眉をしかめながら彼女は身体を起こすと、肩や背中にくっついていた芝生を払いながらジト目を向けてくる。


「ふぁ〜ぁ……。せっかく気持ち良く寝ていたというのに妾に何か用か? あれか? おやつの時間か?」


 小一時間前に信じられない量の昼食をとったというのに、このおてんば娘はまだ食べ物を要求するつもりらしい。

 この約二週間で一体どれだけの食費が飛んだのか。考えるだけでも恐ろしい話だ。


 プリュイの言葉を軽くスルーした俺は本を差し出した。


「これを見て欲しいんだ」


「む? 本は食べられんぞ?」


 げんこつを落としたい衝動に駆られながら懸命にこらえる。

 曲がりなりにもプリュイは水竜王ウォーター・ロードの一人娘なのだ。しかも今はリーナのために身を粉にして働いてくれている……はず。

 そんな彼女にげんこつを見舞いするなどあってはならない。その一心だけで衝動を抑え込む。


「おっ! 随分と懐かしい本ッスね。小さい頃に私も読んだことあるッスよ、それ」


 横から覗き込んできたリーナが、少しテンションを上げて会話に加わる。


「リーナは知ってるの? この本のこと」


「知ってるも何も世界的に有名な物語ッスからね。特に王族や貴族の間では反面教師的な意味合いで必読すべし! なんて言われてたり言われていなかったり?」


 ディアの問いに冗談交じりの口調でそう答えたリーナは、続けて本の感想を述べ始めた。


「竜族の強さと恐ろしさをこれでもかーって凝縮した結末になってたはずッスけど、竜族を身近に知った今になって改めて思うと脚色が凄いッスよね。この物語に出てくる竜は一体何を司る竜族なんだって思うッスもん」


 どうやらリーナも俺と同じ疑問を抱いていたらしい。

 火・水・風・土。

 この四属性に分かれている竜族が、果たして物語に登場する竜のように複数の属性を操ることができるのか。

 低いレベルで良いのなら、操れる者もいるだろう。

 イグニスあたりなら平気な顔をして使いそうな気もしなくはない。

 しかし、当時の軍のレベルが低かったとしても、程度の低い魔法で一方的な虐殺を行えるのか、甚だ疑問だった。


 竜の特徴が比較的鮮明に描かれているページを開き、プリュイに読んでもらう。

 プリュイは活字が苦手なのか、顔を顰めて嫌そうにしながらも目を左右に動かし、物語を読み進めていった。

 そして……、


「結論から言わせてもらうぞ。こんな話、妾は知らんし、聞いたこともない。そもそもだな、人化もできんひよっこが人の世に姿を見せること自体が――」


 ない胸を張り、自信満々に説教じみた言葉を並び立てるプリュイ。

 こんな幼い容姿をしているが、プリュイは長い時を生きているはずだ。

 この物語が書かれた時代よりももっと前からこの世に生を受けている彼女の言葉には強い説得力があった。


「まあ、妾の預かり知らぬところで、過去にこんなことが起きていた可能性は否定できんが、少なくともこの物語に出てくる竜は水竜族ではないし、九分九厘創作だろうな。小国とはいえ、国一つをまっさらな更地にするとなると、妾たち一族の力は向いておらんからな。それはババアたち炎竜族も――」


 そう口にしたプリュイは慌てて口を塞ぐ素振りを見せるが、数秒もしないうちに塞いでいた手のひらを下ろし、安堵の息を吐く。


「ふぅ……危ない危ない。そう言えばババアたちは留守にしているのだったな。少しだけ、ほんの少しだけだが、肝を冷やしたぞ」


「えー? その割には顔を真っ青にしてたッスよー?」


「う、うっさいわ!」


 穏やかな時間だけが過ぎていく。

 しかし、屋敷にはフラムもイグニスもいない。


 二人は屋敷を離れていた。

 その時を迎えるために、その場を整えるために、炎竜族の国へと二人は帰っていたのだ――。

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