第742話 古の英雄譚2
英雄王レイナルドは巨大ワイバーンの目撃情報をもとに、『元英雄』のみで編成された軍を派遣。
自ら指揮を取り、巨大ワイバーンの討伐に向かったのだった。
人類に災厄をもたらすワイバーン。
その大型種を討伐したともなれば、『英雄』の価値が再び上がり、さらにはレイナルド英雄国の評判も、うなぎのぼりに上がっていく。
名声と力を示す、またとない機会なのだ。
レイナルドを始めとした軍全体の士気は最高潮に達していた。
捜索は二月に渡って行われ、そして待ちに待ったその時が訪れる。
眩い日の光を覆い隠す巨大な影が、地上を闇に染めていく。
天を仰ぎ見ると、そこには報告にあった通り、通常のワイバーンの数倍の大きさを誇る巨大な生物が空を我が物顔で飛んでいたのだ。
ワイバーンの討伐方法は『英雄』たちによって既に確立されている。
遠距離攻撃により注目を引き、地上戦に持ち込む。
これがセオリーであり、最も安全で確実とされている手法であった。
レイナルドはそのセオリーに従い、王自ら先陣を切って空を舞う巨大ワイバーンに最高の一撃を見舞いする。
彼は得意とする剛弓を引き絞り、その剛腕から鉄製の矢を射出。
音を置き去りにした矢は風を切り裂いて唸り、目にも留まらぬ速さで巨大ワイバーンの右の翼に吸い込まれ――ることはなかった。
まるで目に見えない壁に阻まれたかのように鉄製の矢は翼に当たる寸前に大きく弾かれ、そのまま勢いを失って地上に落下していったのである。
元より、一撃で仕留められるとは思っていなかった。
だが、翼に孔を開けるどころか、掠り傷一つ負わせることもできないとは予想だにしない結果だったことは言うまでもないだろう。
レイナルドは全盛期を過ぎた『元英雄』だ。
しかし、その経験と知識は衰えることなく、彼の中に蓄積されている。
だからこそ疑問を抱いた。違和感を抱いた。
――あれは本当にただ大きいだけのワイバーンなのか、と。
レイナルドだけではなく、軍全体が若干の混乱と困惑に包まれる中、さらに予想だにしない展開が起こる。
如何にワイバーンが『空の王者』と呼ばれていようが、魔物は魔物。
理性などほとんどなく、本来ならば本能のまま攻撃者に向かって襲い掛かってくるはずのワイバーンが、何故か一向に上空から下りてこなかったのである。
しかも、それだけではない。
まるでレイナルドたちの存在そのものに気付いていないかのように優雅に空を飛び続けたのだ。
眼中にないと言わんばかりのその姿に、レイナルドがその胸中に抱いていた疑問が、違和感が次第に膨れ上がっていく。
今考えれば、ここが岐路だった。分岐点だったのだろう。
もしこの時、レイナルドが己の違和感に従い踏みとどまっていれば、後の歴史に『愚王』ではなく正真正銘の『英雄王』としてその名を刻んでいたのかもしれない。
だが、そうはならなかった。
彼は残酷なまでに神に見放されてしまった。
鷹の眼を持っていたレイナルドは巨大なワイバーンの影に紛れる小さき影をよりにもよって見つけてしまったのだ。
親に手を引かれるように後ろを飛ぶその姿はまさに親子のそれ。
渾身の一撃が親のワイバーンに届くことはなかった。
ならば、その子供ならどうだろうか。
成長過程にあろう子供でも、その大きさは並のワイバーンよりも二回りは大きい。
だが、ワイバーンを一撃で仕留めたこともあるレイナルドの腕ならば、致命傷を与えることは難しくても気を引く程度なら十分可能なのではないか。
愚王レイナルドはそう判断してしまった。
レイナルドは軍に臨戦態勢を取るように命令を下す。
そして軍が準備を終えると共に、レイナルドは限界まで引いていたその手を放し、矢は一瞬にして地上と空までの距離を潰した。
瞬間、天が鳴いた――。
翼を貫かれた小さきワイバーンは大きくその姿勢を崩し、地に落下。
落下地点には既にレイナルド軍が待機しており、地に墜ちた小さき存在は瞬く間に斬り裂かれ、穿たれ、殴打され、魔法によって燃やされ、凍らされ、貫かれ、切り刻まれた。
数分もしないうちの終戦だった。
残ったのはピクリとも動かなくなった、傷のない箇所を見つける方が難しくなった
だが、その時はソレがワイバーンではないことに誰も気付かなかった。気付けなかった。
未だかつて成し遂げた者のいない、巨大ワイバーンの子供を倒したという偉業に沸き立ち、興奮の最中にいたからだ。
当然、レイナルドも兵士たち――仲間たちと共に歓喜の渦にいた。
だが、そのような幸せな時間は長くは続かない。
彼らは決して触れてはならぬ存在に触れてしまった。その手にかけてしまった。
厄災と呼ばれるワイバーン。
しかし、ソレは厄災程度で住む存在ではなかった。
天の裁きとでも表現すべき最悪の存在だった。
歓喜に酔いしれるレイナルドたち。
その頬を一雫の雨が打つ。
先ほどまで青く晴れていた空が忽然と消え、憎悪に染まる漆黒の空に変わっていたのはそのすぐ後のことだった。
雷が鳴り、強雨が降り注ぐ。
それは子を喪った親の怒りであり、涙であった。
気温はぐんぐんと下がり、毛皮を着込まなければならないほどの冷気が漂い始める。
優しく吹いていた風もその性質を変え、冷たく鋭いものへとその姿を変えていった。
そして、天の――竜の裁きが下る。
地上五十メートル付近まで人知れず降下していたソレは、その獰猛な瞳を憤怒に染め、大きく一対の翼をはためかした。
途端、木々は裂け、地は割れ、レイナルド英雄国軍は一部を残し、その身体を跡形もなく粉微塵に切り刻まれたのである。
抵抗はできなかった。抵抗する余地すら与えられなかった。
また一人、二人と瞬きする時間だけで人間だったモノが肉へと変わっていく。
蜘蛛の子を散らすに逃げ出した頃には既に軍は壊滅状態。命からがら逃げ延びた者は二千を超えていた兵士のうち、たったの十名あまりになっていたのだと言う。
幸運なことにレイナルドは生き残っていた。
臣下たちが盾となり、その命を捧げたことで、重傷を負いながらも何とか命を繋ぎ止めていたのである。
しかし、それはただの幸運ではなかった。意図して一時の幸運を与えられたに過ぎなかったのだ。
命からがら生き延びたレイナルドは生き延びた者たちを引き連れ、草葉の陰に隠れながら息を潜め、彼の国の首都へと戻ろうとした。
多くの傷を負い、骨は折れ、ボロボロの姿になり、泥水を啜りながらも目前まで迫った安住の地。
すぐにでも身体を癒やし、今回の出来事を各国に知らせなければという強い思いを抱き――レイナルドは放心した。
何もなかったのだ。
建物も人も、緑も何もかも全てなくなっていたのだ。
そこにあったのは剥き出しの大地だけ。
まるでこの地に都市があったことなど、夢であったかのように。
レイナルドは正気を保つことができず、現実から逃避するために乾いた笑い声を上げ、双眸から枯れることのない涙を流し続ける。
そんな彼に、突如として空から声が降り注ぐ。
その低く良く響く声は生命の根源から恐怖を与え、本能が死から逃れるために足を動かせと信号を出してくる。
だが、レイナルドは足を動かさなかった。
絶望に染まった彼を突き動かすだけのエネルギーがどこにも残されていなかったのである。
刹那、レイナルドは空に漂う竜によって首を刎ねられ、彼の人生はあっさりと幕を閉じた。
幕を閉じたのはレイナルドだけではない。
英雄と呼ばれた者たちが集ったレイナルド英雄国は竜の逆鱗に触れ、たった一体の竜によって世界からその存在を消されたのである。
残ったのはレイナルドが求めた名誉の真逆にある汚名と、竜に滅ぼされた唯一の国という記録だけだった――。
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