第九章 竜族の胎動(仮)

第741話 古の英雄譚

 ――竜族。


 棲息地はおろか、その生態も不明。

 全てを噛み砕く大きく鋭い歯に、全てを切り裂く刃のような爪。そして、ひと度羽ばたくだけで巨大な竜巻を巻き起こす一対の巨大な翼。


 超常の存在であり、決して触れてはならぬ不可侵の存在。

 その存在を人類は――と呼んだ。


 多くの謎に包まれた竜族。

 後にわかったことはただ一つ。

 竜族が神にも等しい力を有していたということだけである。


 だが、あの当時はまだ竜族が持つ力は過少に評価されていた。否、正しく評価を下す術がなかったと言うべきだろう。


 空に棲息する数多の魔物。

 その中でも『空の王者』と呼ばれていた強力な魔物――ワイバーンの討伐成功者が続々と現れ始め、ついに食物連鎖の頂点に人類が到達した。

 そして、空を恐れることのなくなった我々人類は飛躍的な繁栄の時代を築き始めたのだという。


 物流が盛んになり、経済が回り、人口は爆発的に増加。

 それにより、大陸中で国家が乱立し、人類は繁栄と共に戦乱の時代へと突入してしまった。


 人材を求め、資源を求め、新たな領土を求め、血で血を洗う日々が繰り返されていく。

 とりわけ、各国は人材の確保に躍起になっていた。

 空の王者たるワイバーンの討伐成功者――『英雄』を求めたのである。


 国の繁栄には『英雄』の存在が必要不可欠だった。

 空を自由自在に飛び回り、厄災を撒き散らすワイバーンを排除できなければ、物流が滞るだけではなく都市そのものが破壊されてしまうからである。

 故に国家はワイバーンを討伐できる『英雄』を求め、次第に国家は『英雄』の数を競い始めた。

 謂わば『英雄』という存在自体が、戦争の抑止力としての役割も担っていたのだ。


 莫大な財と引き換えに、国家の守護者となっていく『英雄』。

 国家の盾となり、時には矛となる『英雄』の価値は爆発的に上昇し、ワイバーンの棲息地から遠く離れた地であっても『英雄』を持たぬ国家は亡国の道を歩むしかなかった。


 そして、いつしか興国と吸収・合併を繰り返し争っていた世界は落ち着きを取り戻し、暫しの平穏の時代が訪れたのである。

 三十あまり膨れ上がっていた国家も、その数を半分まで減らし、小規模な争いこそあったものの世界は安定期に突入した。


 その結果、人類はより一層繁栄し、『英雄』たちは兵器ではなく本来の魔物退治の仕事へと戻っていく。

 ワイバーンを筆頭にした強力な魔物を狩り続け、未開拓だった土地を切り拓いていったのである。

 この時代において『英雄』という存在は一時代を築き上げたと言っても過言ではないだろう。

 彼ら彼女ら『英雄』たちの獅子奮迅の働きによって最大の脅威であったワイバーンはその数を劇的に減らしていくことに成功する。

 それにより、空の脅威に恐れる心配がなくなったのだ。


 だが、比例していくように『英雄』の価値もなくなっていってしまった。

 価値を落とした理由は二つ。

 脅威がなくなっていったこと、そして爆発的に人口が増加したことにより、『英雄』そのものの数も加速度的に増えていったからである。


 そうなると必然的に『英雄』の価値は低下していく。

 ただでさえ、『英雄』を囲うだけでも莫大な費用が掛かっていたのだ。

 脅威を失えば、その価値が失われていくのも当然の帰結だったと言えるだろう。


 人間というのは非情で愚かな生き物だ。

 安寧を手に入れた途端、彼ら彼女ら『英雄』たちの過去の功績を忘れ、富を独占する悪しき存在だと手のひらを返したのである。


 結果、『英雄』たちは国にとって、民にとって都合の良い道具に成り下がった。

 全盛期とは比較にもならないほどの低い給金で、王命一つで危険に身を投じなければならなくなったのだ。

 このような政策を取ったのは一国だけではない。ほぼ全ての国で同じ政策が採用された。


 無論、『英雄』たちは黙っていなかった。

 反旗を翻す者、職務を放棄する者などが大多数現れ、国に対して一矢報いようと動いたのである。

 価値を失ったとしても『英雄』は『英雄』だ。

 その圧倒的な武力をもってして国家の転覆を狙い、そして――失敗した。


 国家というものは集合体だ。

 知恵ある者、力ある者が集い、一つの頭脳となって国家を運営していく。

 故に、ただ闇雲に己の力に頼っただけの反乱が成功するはずがなかったのだ。


 それに……『英雄』たちはただ切り捨てられただけではなかった。

 国家は、増加した『英雄』の中でもより優れた『英雄』だけを選別し、その中枢へと引き入れていたのだ。


 こうして世界各国で勃発した、切り捨てられた『英雄』たちの反乱は瞬く間に鎮静化され、淘汰されていった。

 生き残った者は身を隠し、国外へ逃亡し、より貧しい生活を送ることを余儀なくされたのである。


 力こそあるが、振るう場所がなければ、その力は無意味と化す。

 魔物を倒しすぎ、国家の繁栄に手を貸しすぎてしまったことが、結果的に己の首を締めることに繋がってしまうだなんて、あまりにも悲運な結末だと言えよう。


 『英雄』から『放浪者』へ。

 使い捨てられた者たちの末路はここで幕を閉じるかと思われたが、捨てる神あれば拾う神あり――悲惨な運命を辿ろうとしていた『元英雄』たちに救世主が現れた。


 その救世主は知恵者ではなかったが、愚直過ぎるほどの熱い心と求心力を併せ持つ『元英雄』の男だった。

 齢は五十。全盛期はとうに過ぎていたが、その肉体は衰えを知らず、三十代であると見違えてしまうほどの若々しさが残っていたという。


 その救世主の名――レイナルド。

 レイナルドは大陸各地で放浪者となっていた『元英雄』を束ね、未開拓の僻地に国を興した。


 彼が国を興した目的は一つ。

 それは『英雄』の存在意義とその価値の向上に他ならない。

 レイナルドを旗印とし、建国を成し遂げ、付けられたその国の名は『レイナルド英雄国』。

 レイナルドは英雄王として親しまれ、僅かな国土を持つ小国の王として君臨したのである。


 そして、町とも言えぬ小さな村から、数多のスキルを用いることで急速に発展を遂げ、次第にレイナルド英雄国は世界全土に知られる国家となっていった。


 曲がりなりにもレイナルド英雄国はその名の通り『英雄』たちが集った国。

 発展と共に大国に睨まれこそするようになっていたが、他国とは一線を画する『英雄』の数から、難攻不落の小国、果てには世界最大の武力を有する国としてその名を轟かせていった。


 しかし、レイナルドは戦いを好まなかった。

 国土の拡大を目論むことなく、当時あった平穏の時を――彼が求め続けていた理想郷の維持に力を注ぐだけに留めたのである。


 その一方で、レイナルドは建国した目的を忘れていなかった。

 国が安定期に入った頃合いで、虐げられ、捨てられた『元英雄』の存在意義と価値の向上に心血を注ぐようになっていたのである。

 かといって、レイナルドは戦争という手段を選ぶつもりはなかった。

 武力を示すだけでは意味がない。再び戦争の道具へと成り下がるだけだと理解していたからだ。


 では、自分たちの価値を示すにはどうすれば良いのか。

 そこでレイナルドの思考は止まる。

 出口のない迷宮に迷い込んでしまったのだという。

 彼自身、自分が賢くないことは重々承知していた。

 それでもレイナルドは懸命に頭を働かせ、答えを求め続けた。


 それから一年、二年と時が経ち、未だに答えを導き出せずにいたレイナルドに、とある一報が舞い込んでくる。


 それは、待ちに待った朗報だった。

 戦争を起こさず、自分たちの価値を示すことのできるまたとない機会が幸運にも転がってきたのである。


 報告にはこう書かれていた。

 ――『北の空にて、未だかつて見たことのない巨大なを発見』、と。


 神からの贈り物だと思った。

 神が用意してくれた試練だと思い込んだ。


 だが、それは悪夢の始まりだった。

 決して交わってはいけない存在に出遭ってしまったのだ。


 そして、レイナルド英雄国はその正体を知らぬまま、竜の逆鱗に触れたのであった――。

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