第740話 幕間3
シュタルク帝国――帝都エーレ。
名実共に世界最大の都市であり、シュタルク帝国の象徴である帝都エーレでは、ほぼ同時期にブルチャーレ公国で開催された魔武道会にも負けず劣らずの賑わいを連日みせていた。
シュタルク帝国を示す双蛇の国旗を握る民衆が、英雄たちを歓声と共に出迎える。
「「「シュタルク帝国万歳!! シュタルク帝国万歳!!」」」
何か催しが開かれているわけでも、皇帝が姿を見せたわけでもない。
にもかかわらず、エーレ中が歓声で溢れているのは、マギア王国に派兵されていた軍の一部が帰還したからであった。
――『シュタルク帝国軍、歴史的圧勝』。
そう書かれたビラがシュタルク帝国の広報部によって都市中に配布され、時にはパフォーマンスも兼ねて空からビラが舞う。
民衆から英雄として出迎えられた兵士たちは、その歓声に応えるように胸を張り、勇ましい姿を見せつけるように大通りを闊歩していく。
この日、帰還を果たしたのはマギア王国に派遣された軍のほんの一部でしかない。
彼らが帰還を命じられ、英雄のように振る舞っているのは、あくまでも国全体の士気の向上と宣伝を兼ねたものでしかなかったのである。
未だ軍の大半はマギア王国の占領……もとい統治に奔走しており、完全な平定に至るまではまだ暫し時間を要するのが実情だった。
とはいえ、マギア王国の王都ヴィンテルを陥落させ、国王であったアウグスト・ギア・フレーリンを自害まで追い込んだのは紛れもない事実。
軍の被害も想定の範囲内に抑えられており、歴史的圧勝というのも、でっち上げなどではなく事実に基づいたものだった。
一糸乱れぬ歩みで隊列を組み、毅然とした表情をする兵士たち。
民衆からの熱い歓声に思わず頬を緩めてしまいそうになりなりながらも表情筋を引き締め、己が武勇をその立ち振舞いで誇示していく。
「「「シュタルク帝国万歳!!」」」
勝者にのみ与えられし栄誉に浸り兵士たちと、祖国の勝利に歓喜する民衆。
シュタルク帝国帝都エーレが戦勝ムードに沸き立つその最中、その中央に聳え立つ黒鉄の城のとある一室に集められた者たちは帝都の戦勝ムードとは対照的に、己の中に渦巻く負の感情を押し殺し、神妙な面持ちで、絹のように輝く長い白髪を靡かせる美女の前に並び立っていた。
「まずは長旅ご苦労様。マギアの地では大活躍だったらしいわね。でも……ふふっ、どうしたのかしら? そんな怖い顔をして」
細く靭やかな足を組み、右手に持つワインをくゆらせる美女――アーテの言葉に返事をする者は誰一人としていなかった。
「もっと気楽にしてくれて構わないわよ? ここには今、皇帝陛下はいないのだから。それとも私とお喋りするのが嫌なのかしら?」
「「……」」
彼らが――《
しかし、沈黙とは別にそれぞれの表情はアーテの一言で大きな変化をみせた。
マギア王国侵攻作戦の総指揮官を任されていたエルフの美女――セレーメは、その翡翠色の瞳に憤怒の炎を灯し、細い眉を吊り上げる。
戦場で死の風を撒き散らし、マギア王国兵の命を喰らった群青色の髪を目元まで伸ばした青年――ポドロスは、屈辱と復讐に染まった笑みを小さくその口元に浮かべる。
レド山脈に大穴を開け、帝国軍の侵攻に一躍買ったドワーフの姿形を模した
そして、監視者として戦場に駆り出され、紅介にとどめを刺されそうになっていたポドロスを救出した、くすんだ銀髪に空虚な灰色の瞳を持つ少女――ルモニアは、ただ虚空を見つめるかのようにアーテを無機質な表情をしながら見つめ続ける。
それぞれ異なる表情を浮かべる《四武神》に、アーテは艷やかな笑みを向けると、一度ワイングラスに紅を付けてから一人ひとりに語りかけていく。
「セレーメ。貴女は指揮官として、とても良くやってくれたわ。クセの強い子たちを上手に纏めてくれたわね」
「……ありがとうございます」
褒められはしたが、セレーメにとって今の言葉は屈辱以外の何ものでもなかった。
『お前の限界はここまで』。そう言われた気がしてならなかったからだ。
確かに自己主張の激しい《四武神》を取り纏め、軍を操りマギア王国の大半を占領した彼女の手腕は褒められて然るべき功績だろう。
しかし、セレーメは功績以上の失態も重ねている。
将来、反撃の芽となるカタリーナ・ギア・フレーリンと、その母であり王妃であったエステル・ギア・フレーリンの逃亡を許してしまった。
水竜族という予期せぬ介入もあったとはいえ、失態は失態だ。
しかも、その介入がなくとも要注意人物として教えられていたディアに敗北まで喫してしまった。
今計画では当初の目的こそ大部分達成できていたが、自分がもっと上手く立ち回れていたらマギア王国全土を占領できたのではないか。
そんな思いばかりがセレーメの頭の中を駆け巡り続けていた。
「ポドロス。貴方が王都ヴィンテルに張られていた厄介な結界を解除してくれたそうね。貴方の働きがなかったら、もっと多くの時間と人員が必要になったでしょうね。期待通りの仕事をしてくれたわ」
「……はい」
ポドロスはその二文字を口にするのが精一杯だった。
屈辱と復讐だけが彼の心を埋め尽くし、強く強く奥歯を噛み締めることしかできなかったからだ。
多くの命を奪い、多くの命を奪われた。
紅介との一戦は恥辱にまみれて生きていた過去の自分を思い起こさせ、ポドロスの心に深く刻まれていた古傷を抉るには十分過ぎる衝撃を与えていた。
「プルートン。貴方がいなければ雪の残るレド山脈を越えることは難しかったでしょうね。それに地竜族を軍に編成しても大きな問題が起こらないことも今回の戦いで確認できたわ。地竜王の座に相応しい素晴らしい働きをしてくれたわね」
「がっはっはっ! こそばゆい御言葉を頂戴してしまったのう。じゃが、儂が地竜王と呼ばれるのも今だけじゃろうて。じきに新たな者が地竜王と呼ばれるじゃろうな」
腹の底から豪胆な笑い声をあげたプルートンだったが、そのうちに秘める感情を表にすることはない。
同格の存在であるはずのフラムに一方的な戦い末に片腕を持っていかれたことは、プルートンの心に改めて燃え盛る闘争の炎を宿し、そしてそれと同時に己の未熟さを知る機会にもなった。
今、彼の頭の中にあるのは戦いのみ。
身を焦がし、身を滅ぼす熱き戦いをプルートンは渇望していた。
「ルモニア。貴女は監視者としての役割を無事に果たしたそうね。どう? 久しぶりの戦場は貴女にとって良い刺激になったかしら?」
「……」
ルモニアは小さく頷くだけでアーテとの対話をやめた。
その心にあったのは『無』だけ。
アーテへの配慮で頷いてみせたが、その実、彼女の心は何一つ動いてはいなかった。
「そう。それなら良かったわ」
妖艶に微笑んでみせたアーテだったが、その瞳はルモニアの心を完全に見透かしていた。
だが、それでも構わなかった。気に留めてもいなかった。
これが日常であり、これが正常。
故にアーテはルモニアに向けていた視線を切り、セレーメ、ポドロス、プルートンへその眼差しを向けた。
「貴方達三人にはその功績に報いるために褒美を与えるわ。受け取りなさい」
そう言ったアーテは、トントンと細く白い指で机を叩く。
すると、その机の上に重なって置かれていた古びた本が仄かに光を放ちながら宙を浮き、それぞれ一冊ずつ三人のもとへと辿り着いた。
「ふふふっ、驚いてくれたかしら? それは私が貴方達のために創った最初で最後の特別な『
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