第739話 笑顔
「はぁ……はぁ……。これだけ片付ければ十分か……」
一体どれだけの距離を移動してきたのだろうか。
一体どれだけの魔物を倒してきたのだろうか。
呼吸が乱れ、意識が混濁する中、俺はようやく紅蓮を握る手の力を緩めた。
周囲に転がっているのは無数の魔物の死体。
大量の血を垂れ流し、大地を赤黒く染め上げている。
通常ならば、倒した魔物は魔石を取り除き、素材を回収するまでが一連の流れだ。
しかもここにいた魔物はどれも強力な個体ばかり。魔石と素材を冒険者ギルドに売れば、それなりの財を築けたに違いない。
けれども、今の俺にはそんな余裕はなかった。
ただただ魔物を倒し、次の魔物へ。
そんなことを延々と繰り返し、この大地を魔物から取り返すためだけに戦ってきた。
だが、それももう限界に近い。
魔力は残り僅か。紅蓮を振るう力もほとんど残されていなかった。
これ以上の戦闘は己の身を滅ぼすことに繋がりかねない。
後一、二回の戦闘くらいなら耐えられるかもしれないが、今ここで全ての力を出し切るのは愚策だろう。
握っているだけでも酷く重く感じている紅蓮を鞘に納め、帰る前に一度呼吸を整える。
先ほどまで降っていた豪雨は既にやんでいた。
分厚い雲こそまだ空を漂っているが、それも時間と共に霧散していきそうになっている。
「ディア……」
今は隣にいない愛しく可憐な少女のことを思い浮かべる。
天気を操り、さらには大地までも作り変えた。
期待以上の成果という他にない。
だが、それと同時にこうも思ってしまう。
無理をしているんじゃないか。
無理をさせてしまったのではないか。
考えれば考えるほど罪悪感が心を蝕んでいく。
俺の我が儘に付き合わせただけではなく、ディアの力を頼りにした計画を立ててしまった。
「俺って本当に最低だな……。あとでちゃんと謝ろう……」
乾いた笑いすら込み上げて来ない。
疲労も相まって負の感情ばかり頭の中を駆け巡っていく。
気付けば俺は足を動かしていた。
宛はどこにもない。
ただ闇雲に足を動かしたい衝動に駆られ、考えなしに歩き始めていた。
水分を多く含んだことで泥濘んだ大地を一步一步ゆっくりと踏み締め、亡霊のように歩みを進めていく。
魔力消費を抑えるために常時展開していた『
それから十五分は歩いただろうか。
いい加減、そろそろ皆のもとまで戻ろうと決心したタイミングで、俺はソレを見つけた。
頭の中に『観測演算』によって表示された地形情報。
その探知範囲のギリギリのラインに地下へと続く不自然な地形を発見した。
「これは洞窟か? いや……」
地下空間に蠢く大量の魔物の気配を捉えた俺は、それがダンジョンであることをすぐさま察した。
「一応、確認してみるか」
転移の使用は魔力残量を考えると悪手だ。
少し歩くことになるが、だいぶ体力も回復したし、徒歩で向かうとしよう。
三キロにも及ぶ距離を体力を温存するために徒歩で踏破した俺は、ダンジョンの入り口らしき場所に立つや否や眉間に皺を寄せた。
入り口には巨大な岩石がいくつも重なっており、探知系統スキル所持者でもなければこのダンジョンを見つけることさえ困難な造り。
もしかしたら未発見のダンジョンなのではないかと思いつつ、地下に向けて『観測演算』を使用した。
「底が見えないな……。どんだけでかいダンジョンなんだ? ここは。しかもかなり強力な魔物ばかり棲息しているみたいだし……」
地上を我が物顔で闊歩していた魔物たちに負けず劣らずの強力な魔物がうじゃうじゃ地下に湧いていた。
直接目で確認したわけではないが、このダンジョンの難易度は上の上。冒険者ランクで言えば最低でもBランクはないと低層の攻略さえも厳しそうだ。
しかもこのダンジョンから漏れ出る魔力は瘴気と呼んでも間違いではないほど濃く、さらには地上にまで濃い魔力が大量に漏れ出てしまっている。
もしかしたら、この大地を漂う濃い魔力の原因はここなのではないか。
あくまでも俺の直感に過ぎないが、そんな気がしてならない。
仮に俺の勘が当たっているとするならば、このダンジョンを塞がなければ、ディアが改善したこの大地はまたもとの枯れ果てた姿に戻ってしまう恐れがある。
ダンジョンという物は冒険者からしても国からしても、まさに宝庫だ。
ダンジョンから採れる魔石や宝具などがその土地を潤し、活気づける。
しかし、それはあくまでも人が集っての話だ。
財政面で莫大な利益を生み出すとはいえ、放置されていては何の意味もない。むしろ、これほど濃い魔力を垂れ流すダンジョンを放置してしまえば、悪影響だけが残ってしまう。
「……塞ぐか」
残された魔力残量を考慮し、土系統魔法を発動。
急場しのぎになってしまうが、ダンジョンの入り口を簡単な土壁で魔力が漏れ出ないように塞いだ。
「もう限界だ、帰ろう……」
一定時間で消失するように設定したゲートを設置した俺は、ディアたちが待っている場所へとこうして帰還したのであった。
視界が切り替わる。
とはいっても景色にあまり差はない。
どこまでも続いていそうな緑一つない大地。だが、そんな殺風景な土地でも、仲間の姿があるだけで心が自然と安らぐ。
「おかえり、こうすけ」
「随分と遅かったな、主よ」
「お帰りです、コースケお兄ちゃん」
「大丈夫? 怪我はないかしら?」
「お帰りなさいませ」
ディアとフラムだけではなく、マリーたちも既に合流していたのか、皆が俺を明るく出迎えてくれた。
そんな温かな出迎えに思わず笑みが零れる。
「ただいま」
さっきまであれほど疲れ果てていたというのに、活力が身体に漲っていくのを感じる。
今なら魔物の五十体や百体くらい簡単に倒せるのではないかと錯覚してしまいそうになるほどだ。
しかし、今はそんなことをしている場合ではない。
俺は気付いていた。一目見たその瞬間から察していた。
「ディア……」
柔らかく微笑みを向けてくれるディアの顔が蒼白くなっていることに俺は気付いていた。
「ごめん、ディア。俺の我が儘なのに無理をさせて本当にごめん……」
誠心誠意、心を込めて頭を下げる。
俺は俺にできないからといって、ディアに無理をさせてしまった。
ディアならばやってくれると何一つ疑うことなく無理難題を突きつけてしまった。
だが、元は神様だったとはいえ、今のディアは一人の女の子に過ぎない。
誰にも真似できない神にも等しい力を持っているからといっても怪我はするし、疲れもする。
そんな当たり前のことが頭の中からすっかりと抜け落ちていたのは俺の落ち度であり、失態だ。
俺が馬鹿で無茶な要求を伝えたせいで、おそらくディアは俺の期待に応えようと無理をしてしまったのだろう。
何と詫びれば良いのかわからない。
愛想を尽かされても仕方がないことをしてしまった。
焦燥感と共にそんな暗く卑屈な感情を抱いていると、ふと温かく柔らかな感触が俺の頬に伝わる。
「頭を上げて、こうすけ。わたしは謝られたくて頑張ったんじゃない。こうすけのために頑張ったんだから、謝るんじゃなくて褒めてほしいな」
その感触の正体はディアの小さな手のひらだった。
頬を優しく撫でられた俺は自然と顔を上げてしまい、そして木漏れ日のような笑みを零すディアと目が合う。
ディアの表情を見て、察する。
彼女は心の底からそう思ってくれているのだと。
謝罪ではなく、感謝の気持ちを伝えてほしいのだと、その顔が物語っていた。
だったら俺はディアに応えなくてはならない。
ディアが求めるものを返してあげなければならない。
「……ありがとう、ディア」
「うんっ。どういたしまして」
そう言ったディアは俺が過去に一度も見たことがないほどの満面の笑みを浮かべる。
その笑顔はブルチャーレ公国の空よりも眩しく、そしてこの世の何よりも美しかった――。
「帰ろっか。おうちに」
「ああ、帰ろう。俺たちの家に」
俺たちはやるべきことを全て終え、ゲートを通りブルチャーレ公国を後にする。
紆余曲折あったが、俺たちの家族旅行はこうして幕を閉じたのであった。
――――――――
紅介たちが去ったその地に一つの影が――
風に紛れ、気配を完璧に殺していた彼は、紅介たちが行った一連の偉業をその目で陰ながら観察していたのである。
「さて、ここからは自然を守り手である僕の仕事だ。フラム君たちがせっかく起こしてくれた奇跡を無駄にしたくはないからね」
潤った大地、改善した土壌。
広大な大地を植物が生き延びられる環境にした紅介たちだったが、この大地を蘇らせるにはまだ足りていなかった。
「この土地には乾燥に強い植物が適しているかな。幸運なことにコースケ君が倒してくれた魔物の死体があちらこちらに転がっているし、これなら条件は十分に満たしているね」
そう言いつつルヴァンは腰紐に結んであった麻製の巾着袋の中を手で弄り、そこから数十粒の異なる植物の種を取り出し、細かな粒子へと変えた。
「苗床はたくさんある。――さあ、お行き。この大地に花を咲かせるんだ」
ルヴァンの手のひらにあった粒子が風に乗って広大な大地に降り注ぐ。
そして植物の種子だった粒子はまるで導かれるかのように、紅介が倒した魔物の死体に付着するや否や小さな光を放つと、粒子は死体に根を張り、魔物の血肉を喰らいつくし、急成長を遂げる。
それから数分の時が経つと、魔物の死体は綺麗さっぱり大地からその姿を消し、その代わりに緑一つなかった大地に豊かな自然が根付いたのであった。
空の上からその光景を見ていたルヴァンは満足げに何度も頷き、笑みを零す。
「うん、良い感じだね。あとはもう少し魔物を間引いて森を作ろう。どうせなら、エルフたちにも手伝ってもらおうかな」
荒廃した大地にディアが水を与え、土壌を変えた。
そして紅介が駆除した魔物の死骸から緑をルヴァンが生み出し、これによりこの大地は本当の意味で完成に至る。
植物の成長を見届けてもなお、ルヴァンは笑みを零し続けていた。
胸を高鳴らせていた。
好奇心に呑み込まれていた。
「――ディア。透き通った無垢な心、高潔な意思、そして神の如きあの力……。ああ、素晴らしい。素晴らしいよ、君は。彼女こそ『 』に相応しい――」
ルヴァンの笑みは、いつしか内なる欲望で歪んでいたのであった。
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