第738話 希望の種

 紅介が魔物の駆除に奔走していたその頃、フラムは決着を付けるため、その力を振るっていた。


「――△※#□!!」


 業火に焼かれた巨木が声にならない叫びを上げる。

 触手を振り回し、その身を焦がす炎を振り払おうと試みるが、炎は張り付くように形を留め、黒煙を上空へと巻き上げていく。

 やがて焼き焦げた触手はその先端からボロボロと崩れ落ち、灰となって大地へと還る。


 如何に巨木が強力な火耐性を獲得していようが、枷を外したフラムの炎に耐え切ることなど土台不可能な話だった。

 宝具と呼ばれていても所詮は魔力を利用して動く道具に過ぎない。

 たとえその代償がどれほど大きかろうとも、炎竜王ファイア・ロードに敵う道具など、この世のどこにも存在するはずがなかった。


「終いだな。なかなかに愉しめたぞ」


 進化に次ぐ進化により、その凶悪さを増し、一度はフラムと引き分けた巨木。

 だが、その最期はあまりにも呆気なく、フラムの圧倒的な火力を前にして、あっさりと力尽きる。

 全ての触手が崩れ落ち、太い幹も炎に焼かれ、大地に突き刺さるように最後に残ったのはマファルダ・スカルパがその手に握っていた杖型宝具の原型。

 しかしその杖も、数秒と保たずに紅く燃え盛る炎に呑まれ、この世界から完全に焼滅したのであった――。


 燃やす対象を失った炎が鎮まっていく。

 天まで届きそうなほど勢い良く舞い上がっていた黒煙も鎮火と共にその勢いを失い、やがて横殴りに吹きすさぶ砂塵によって、砂上に落ちていた大量の灰諸共攫われていった。


 もうこの砂漠と化した大地に戦闘があった痕跡はどこにもない。


「終わったの?」


 砂を踏み締め、戦闘を終えた直後のフラムにディアが話し掛ける。


「うむ、私の仕事はこれで終わりだ」


 当然のように五体満足で、かすり傷一つ負っていなかったフラムは青く晴れた天を見上げながら返事をする。


「なら、次はわたしの番……」


 小さな手で握り拳を作り、その決意の強さを表すかのように力強く拳を握る。

 そして、紅く輝く瞳をより一層輝かせ、肺に溜まっていた空気を大きく吐き出し、限界まで高まっていた緊張を和らげるディアの姿を見たフラムは、からかいながらこう言う。


「緊張するなんてらしくないぞ? いつもの無愛想なディアはどこへ行ったんだ?」


「えっ……? わたしって、いつもそんな風に見えてるの……?」


 驚愕の事実だった。

 紅介と出逢った当初こそ、久方ぶりに誰かと会話をしたということもあって、なかなか打ち解け切れずに感情を出さないように自制していたが、今は違う。

 ディアはディアなりに感情を表に出していたつもりだった。会話にもなるべく参加していたつもりだった。

 だからこそ今のフラムの指摘に驚愕が、動揺が隠せない。

 力強く握っていた拳も無意識のうちに解け、手のひらを開けて力なくぶらりと垂れ下げてしまう。

 だが、その副作用と言うべきか、緊張によって凝り固まっていた身体はフラムのお陰で程良く力が抜けていた。


「冗談だ、冗談。半分は嘘だ。緊張し過ぎていたようだったからな、小粋な話でリラックスさせてやろうとしただけだ」


「あ、うん……。そうだったんだ、ありがと――半分? それって半分は本当ってことだよね???」


「……」


 前のめりになりながら一步迫って来たディアに対し、フラムは顔を逸らした。逸らすことしかできなかった。

 嘘でも『そんなことはない』と否定することができなかったのだ。


 あからさまに顔を逸らし、取り繕ってくれる様子も全くないフラムを見たディアは再度驚愕し、そして再度拳を力強く握った。


(今のままじゃダメなんだ……。もっと根本的な部分から変わらなくちゃ……)


 ディアの心の炎が燃え盛っていく。

 もっと明るく、もっと積極的に自分を表現していこうと断固たる決意をする。

 そして、今は自分の役目を果たしてみせると、自分自身に誓いを立てる。


 もう緊張はどこにもなかった。


「――絶対に成功させてみせる」


 紅く輝く瞳を瞼で隠し、ディアは集中する。

 それから大気中に漂う酷く濃くなった膨大な魔力を全身に取り込んでいき、自身の魔力へと変換していく。


「まずはこの乾いた大地に潤いを」


 ディアの魔力が空へと舞い上がり、雲という形を成してこの世界に顕現する。

 初めは小さな雲でしかなかったが、時間の経過と共にその厚みを増し、次第に青く晴れていた空を分厚く黒い雲で覆い隠していった。


「凄まじい力だな……」


 天を仰ぎ見ていたフラムからそんな声が漏れ聞こえてくるが、極限の集中状態に入っていたディアは気にすることなく魔法を――権能を行使した。


 一滴の水が足元の砂上に落ち、黒茶色のシミを作る。

 そしてそのシミが一つ、二つと間髪を入れずに増えていき、やがて年に数度しか雨が降ることのない乾いた大地を潤していった。


「ふぅ……」


 雨雲が定着したことを確認したディアは一度息を吐き、空に注ぎ続けていた魔力を停止させる。

 足元には水溜りが出来始め、十分な水が供給されたことは誰の目から見ても間違いなかった。


「雨を降らせることはできた……。けど、このままじゃ何も変わらない」


 いつの間にかディアは荒廃したこの大地と自分自身を重ねて見ていた。

 乾いた大地は雨を吸うことで本来の潤いを取り戻したかのように見える。

 しかし、それは一時的なもの。

 変わったように見えるが、実際は――その本質は何一つとして変わっていない。

 自分と同じように根本的に変わらなくてはこの大地を変えることはできない。


 故にディアは次の作業に取り掛かった。

 再び大気中の魔力を取り込み、次は空ではなく大地にその意識を向ける。


「足元に気をつけて、フラム。少し揺れるから」


 ディアはそう忠告を行うと、すぐさま大地に変化が訪れた。

 彼女を基点に扇状に発生した細かな振動が大地を揺らすと、みるみるうちに大地が波のようにうねり始める。


「地中にある蓄積した塩分を除去……。土の性質を変化させて、さらに魔力を変換させて栄養分を土に与えて――」


 ディアは土壌を一から作り変えようとしていたのだ。

 砂漠と化した大地に水を与えるだけでは根本的な解決には至らない。

 故に緻密な魔力制御能力と膨大な魔力を使いこなし、大地そのものを作り変えることで、この大地に豊穣をもたらせようとしていたのである。

 しかし――、


(全然魔力が足りない……。このままの勢いで大気中の魔力を使い果たしたら、本当の意味でこの大地が死んじゃう……)


 広大な大地を作り変えるだけの魔力ともなると、如何にこの大地に大量の魔力が満ちていようとも簡単に使い果たしてしまう。

 既に大量の魔力を消費していたため、大気中の魔力量は適量。

 これ以上大気中の魔力を消費すれば、土壌や気候の問題だけではなく、魔力まで枯渇した本当の意味での『死した大地』になってしまう恐れがあったのだ。


 それでもディアは手を止めることはなかった。

 限界ギリギリの魔力量まで魔力を消費すると、次にディアは自分自身が本来持ち合わせている魔力に手を付けたのである。


「はぁ……はぁ……」


 一分、二分と時間が経過するにつれ、酷い倦怠感が襲ってくる。

 ディアの身体には魔力欠乏症の症状が現れ始めていた。


「おい、ディア! もうやめておけ!」


 体調の悪化により、膝から崩れ落ちそうになっていたディアを目にしたフラムが駆け寄り、肩を支える。


「ま、まだ大丈夫だから……。あと、もう少しだから……」


「大丈夫に見えないから言っている。もう十分だ、主もお前が倒れるまでのことは望んでいない。もう休め、いいな?」


「う、うん……」


 歯切れの悪い返事だったが、ディアはフラムの説得により、ようやくその手を止め、全身の力をフラムに預けた。

 雨に濡れた冷たい身体を受け止めたフラムは、ディアが作り変えた大地を眺め、呟く。


「ディアがこんな状態になるとはな……。この小さい身体で一体どれほどの大地を……」


 まだこの時の二人は知らないことだが、限界まで力を振り絞ったディアにより、南方の砂漠化した元スカルパ公爵領の約三分の二の大地が作り変えられ、希望の種が蒔かれ、未来に繋がる芽が出た。


 それは、まさしく神だけがなせる業。

 ブルチャーレ公国に神が舞い降りた日として未来永劫語り継がれる偉業を、ディアは今日この時この瞬間、成し遂げたのであった。




 この偉業には目撃者がいた。

 そしてその目撃者がディアのバトンを密かに受け取ろうとしていた。


「素晴らしいものを見せてもらったお礼をしないといけないね。僕がこの大地に花を咲かせてみせよう――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る