第737話 理想への一步

 俺は自分の頭の中で思い描いていた我が儘を――理想をディアとフラムに説明した。


「ふむ……。難しいとは思うが、やってみる価値はあるか」


「大丈夫。きっとわたしたちならできるよ」


 一人だけの力では成し得ない理想。

 この理想を現実にするには三人で力を合わせなければ不可能。

 中でも鍵を握るのはディアだ。

 俺が思い描いた理想にディアの力は必要不可欠。そもそものところディアという存在がいなければ、こんな無茶苦茶な発想をすることすらなかっただろう。


 ――『魔境と化した死した大地を蘇らせる』なんて無理難題を。


 この死した大地を目的地とした時から俺は心の中でそんな理想を抱き続けていた。


 魔物が跋扈する枯れ果てた大地。

 冒険者すら寄り付かない、半ば破棄されていたこの土地についての情報は出立の前から手に入れていた。


 この地が砂漠と化し、緑一つない大地であることを。

 飢えた魔物たちが獲物を探すために延々と彷徨っていることを。


 大量の魔物がいるにもかかわらず、冒険者ですら立ち入らなくなったのには二つの理由があったを


 一つは言うまでもなく、立地だ。

 首都ラビリントから遠く離れており、かつ大きな街すらも近くにはなく、最寄りの街でもここから徒歩で三日は掛かってしまう僻地。

 照りつける日差しが体力を奪い、水系統魔法がなければ水分補給すらままならない。

 そして何より近辺に街がないため、冒険者ギルドが置かれていないのが冒険者が立ち寄らなくなった最大の理由となっていた。

 魔物から得た魔石や素材を売る場所が近場にないとなれば、足が遠のくのも頷ける話だ。


 もう一つの理由は、ブルチャーレ公国にあるダンジョンの存在。

 どの国よりも多くのダンジョンを保有するブルチャーレ公国。そこを拠点とする冒険者の大半は、一攫千金とダンジョン攻略者という名誉を求め、日夜ダンジョンに通っている。

 運良く強力な宝具や叡智の書スキルブックを入手できれば、大金が手に入るのだ。

 しかもダンジョンごとに、階層ごとにそれぞれ難易度が異なるため、自分の力量にあった探索が行える。

 まさにダンジョンは冒険者にとって楽園とも呼べる場所なのだ。

 冒険者たちからしてみれば、沢山の楽園があるというのに、わざわざこんな危険な場所に来る理由はないということなのだろう。


 故に、この土地は半ば放棄されてしまったらしい。

 国が兵を動員すればよかったのだろうが、砂漠化を食い止める術もなければ、大気中に漂う大量の魔力を排除する術もない。

 魔物が跋扈するが故に魔力溜まりが出来上がってしまった土地では無数の魔物が湧き続けるため、根気強く魔物を処理していく必要がある。

 しかし、この地は常識外の魔力濃度を有しており、強力な魔物ばかりが産み落とされていく。

 派兵に掛かる費用や、この地の危険性を鑑みれば放置という選択を国が採っても頷ける話ではある。

 しかもこの地から先は砂漠が続くだけ。

 緑もなければ資源もない。人が住むには過酷な環境ということも相まり、ブルチャーレ公国はこの地を半ば棄てることにしたのだろう。

 だが、魔物が消え、人が住めるだけの安全が確保できれば、緑豊かな土地ができればどうなるのか。


 俺はその先にある未来を見たくなった。

 マファルダ・スカルパが追い求め続けた、民の安全の確保にほんの少しだけ手を貸したくなった。


「たぶん……もう戦争は避けられない。もしかしたらスカルパさんが主張していたように、さっさとシュタルク帝国に降伏した方が幸せな未来が待っているかもしれない。だけど、俺はその主張を否定した。拒絶した。だから俺たちは対立し、スカルパさんはその命を捨ててまで抗ってきた。だから俺は思ったんだ。せめてスカルパさんが望んだ理想をほんの少しだけでも叶えてあげられないかなってさ」


 これが偽善だということは百も承知だった。

 そもそもマファルダ・スカルパが望んだモノは、この土地の救済ではなく、いずれ訪れるであろう地竜族と手を組んだシュタルク帝国の侵攻に抗わずに国を明け渡し、一人でも多くの民の命を救うことだと知っている。


 しかし、それはできない。

 これは俺だけの見解ではなく、ブルチャーレ公国の方針としてもその主張を受け入れることはできなかった。

 だから俺はせめて、マファルダ・スカルパが主張した『民のために』という部分だけを都合よく切り取り、この荒廃した大地を『民のため』に使える大地へと生まれ変わらせることができないかと思い抱き、行動に移そうとしていたのだ。


 そのために必要なのは――俺たち三人の力。


 亜空間に閉じ込めた、巨木と化したマファルダ・スカルパをこの大地に還し、そしてこの大地を生まれ変わらせるだけの力が必要だった。


「フラム、巨木の相手を任せてもいいか?」


 巨塔ジェスティオーネで戦った時、フラムは巨木の成長、もとい進化速度への対応を誤り、苦戦を強いられた。

 しかし、今はあの時とは違う。

 塔を、周囲の人々を守るために手を抜かざるを得なかったあの時の状況とは大きく異なっている。


 フラムはその自信の表れからか、澄ました顔をしながら鼻で一笑した。


「フッ……当然だ。私を誰だと思っている? アレがいくら火に対する高い耐性を持っていようが、私の炎で燃やし尽くしてやるぞ」


「ああ、信じてる。俺は転移を多用してここら一帯にいる魔物を掃除してくるよ。そして、ディア」


「うん」


 ディアのルビーのように輝く紅い瞳が真っ直ぐに向けられる。

 その真剣な目を見ただけで、彼女の覚悟がひしひしと伝わってくる。


「ディアにはこの大地を蘇らせてもらいたい。この大地に漂う魔力を全部使って改変してもらいたいんだ。頼めるかな?」


 これはディアにしかできない役割だ。

 彼女だけが使える力――周囲の魔力を取り込み、自身の魔力へと変換する力がこの作戦には欠かせなかった。

 本作戦におけるその力の必要性については本人が一番わかっているのだろう。

 ただでさえ真剣な目をしていたディアは、俺の言葉を聞き終えるや否や、僅かな緊張の色を帯び始めていた。


「そんなこと今まで一度もやったことがないから、できるかどうかはわからない。けど、任せて。絶対にやり遂げてみせるから」


 覚悟は決まった。

 後は俺が描いた理想を現実にできるかどうかの戦いだけだ。


「よし、始めよう。二人とも準備は?」


「大丈夫」


「任せよ」


 二人から心強い返事を訊き、俺も力強く頷き返した。


「――行くぞっ」


 亜空間に閉じ込めていた巨木を荒廃した大地に解き放つ。

 時間が停止した世界から脱したことで巨木はその触手を緩やかに動かし始め、そして近くにいた魔物をその触手で絡め取り、絞め殺した。


 血が飛び散り、赤い雨が降る。

 水分を失っている大地が赤黒い液体をまるで味わうかのようにゆっくりと吸収していった。


 いきなりその凶暴性を露わにした巨木。

 そして、その凶悪な巨木の前に仁王立ちするフラム。


「さあて、不完全燃焼に終わったあの時の戦いを再開するぞ。悪いが――今回は手加減なしだ」


 再戦を目前にして燃えに燃えているフラム。

 余程塔での戦いで全力を出せず、事実上引き分けに終わっことを悔み、そして鬱憤が溜まっていたのだろうか。


 もうこの場はフラムに任せれば大丈夫だ。

 俺はフラムとディアを残し、帰りのためのゲートを設置。

 そして転移を使用し、まずは『観測演算オブザーバー』に引っ掛かっていた魔物のもとまで転移し、素早く、それでいて確実に魔物を倒していく。


「よし、次っ」


 あらかた周囲の魔物を倒し、次は日差しの強い青く晴れた空中に転移。

 風系統魔法を応用した暴風結界を身に纏い、空に舞う砂塵から目を守りつつ、転移を繰り返し移動を続け、魔物を見つけ次第排除していく。

 とはいえ、一人で広域に棲む魔物を全て駆逐することは難しいを通り越して不可能だ。

 故に俺は強い魔物だけを選別し、倒すことを優先していった。

 四元素魔法を駆使し、遠方から必要最低限の魔力を消費し、魔物を焼き払い、凍らせ、切り裂き、貫いていく。

 弱点を突けば余程の相手ではない限り、一撃で魔物を葬りされるとはいえ、数が数だ。

 魔物との戦いよりも、魔力が尽きないかという不安との戦いになっていった。


「……次」


 一体、どれだけの魔物を狩っただろうか。

 今となっては魔法戦をやめ、紅蓮を握って戦っていた。

 魔法を使っていた時と比べてしまうと明らかに殲滅速度が低下してしまうが、転移のための魔力を残さなければならない以上、仕方がないと割り切る他にない。


 強固な甲殻を持つサソリ型の魔物の頭を落とし、次の魔物へ。

 鈍く銀色に輝く巨体のゴーレムを強引に紅蓮で倒し、一息ついたタイミングで、ふと俺は空模様が変わっていることに気付いた。


「これは……」


 分厚い灰色の雲が瞬く間に空を覆っていく。

 そして、空からポツリと一雫の雨が俺の頬を打つ。


「――ディアの魔法だ」


 ポツ、ポツと雨の雫が落ち、そして数秒としないうちに豪雨へと変わっていったのであった――。

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