第736話 最後の仕事

「忘れ物はない? マリー」


「大丈夫です! ディアお姉ちゃん」


 屋敷を手に入れ、『銀の月光』とニネットの四人に屋敷の管理を任せることになってから二日後の朝、俺たちは帰国の準備を行っていた。


 家族旅行はもう終わり。

 マリーとナタリーさんのために計画した家族旅行だったが、二人は楽しんでくれただろうか。


「コースケお兄ちゃんは準備終わったです?」


 俺に満面の笑みを向けてくるマリー。

 その笑顔は明らかに充実感に満ちていた。


「ああ、終わってるよ」


 マリーの頭を優しく撫で、笑顔を返す。

 俺の笑顔は充実感とは違い、安堵から来たものだった。

 マリーの笑顔を見たことで楽しんでもらえたのだと今ようやく確信できたからだ。


 今思えば、忙しない毎日だった。

 当初の目的こそ家族旅行だったが、ブルチャーレ公国に来てからというもの、色々な騒動に巻き込まれてしまった。

 ルミエールの件やマファルダ・スカルパが起こした一連の事件など、本来の目的とは大きくかけ離れた数々の問題に対処しながら、家族旅行を遂行していく。

 そんな毎日をよく送って来れたと我ながら称賛したい気持ちに駆られていた。


 惜しむらくはブルチャーレ公国の観光名所を回り切れていないことだ。

 冒険者ギルドの本部もそうだし、『深淵迷宮』以外のダンジョンにも行けていない。他にも色々な宝具店巡りもしてみたかった。

 やりたいことや行きたいところを思い浮かべれば、きりがない。

 だが、別に焦る必要はないだろう。

 今回の旅行で回りきれなかったからといって終わりではないのだから。

 また俺たち六人で旅行に来ればいいだけの話なのだから。


 皆の荷物をアイテムボックスに回収し、テーブルの上に置いてあった部屋の鍵を掴む。


「また皆で来ようか」


 部屋を出る前に数週間過ごした部屋を見渡す。

 もうこの部屋に俺たちが過ごした痕跡は残っていない。


「また来るですっ!」


「うむ、悪くない旅だった。だが、そろそろナタリーが作る料理を食べたいぞ」


「ふふっ、それは嬉しいわ。じゃあ、家に帰ったら腕を振るって美味しい料理を作るわね」


「私めもお手伝いをさせていただきます」


 マリーにフラム、ナタリーさんとイグニスが楽しそうに会話する。

 そこに寂しさのような物は感じられない。

 皆が皆、充実感で胸がいっぱいになっているのだろう。


「でも家に帰る前に最後のお仕事をしなくちゃだね」


「まあね。けど、旅行の延長戦って思えば全然苦じゃないかな」


 ディアの言う『お仕事』とは、俺の疑似アイテムボックスに封印した、かつてマファルダ・スカルパだった巨木を土に還してあげることだ。

 とはいえ、別に誰かに頼まれた仕事ではない。

 これはあくまでも俺の我が儘であり、ただの偽善だ。


 マファルダ・スカルパは俺たちの前に敵として現れた。

 しかし、彼女が悪かと問われれば、答えは難しい。

 彼女には彼女なりの信念があり、国のためではなく民のために彼女は正義を貫き通そうとし、俺たちに敗れた。

 そんな彼女を一緒くたに悪と断ずることができるだろうか。


 俺にはできない。

 いくらその時、その瞬間に怒りが込み上げて来ようが、事件を解決し、冷静さを取り戻した今の俺にはマファルダ・スカルパをただの悪として見ることはできなかった。

 故に、その叶うことのなかった信念に対する餞別として、巨木と化した彼女を故郷の土地に還してあげようと思い至っての行動だった。


 もちろん、このことは皆には伝えてある。

 ブルチャーレ公国の南方――旧スカルパ公爵領に向かう理由を説明し、快諾してもらっていた。


「……よし、じゃあ行こうか」


 部屋の扉を閉め、鍵を閉める。

 こうして俺たちのラビリントでの生活は幕を閉じた。




 イグニスが手綱を握る馬車に揺られ、南へ南へと向かう。

 それなりに値の張る馬車を購入した甲斐もあって、揺れも少なく比較的快適な旅ができているだろう。

 南に進むにつれ、まだ春にもかかわらず暑さが増していくが、ディアの魔法によって馬車の中の温度は適温に保たれている。

 そのお陰で暑さに耐性のないマリーとナタリーさんも、のんびりとした馬車の旅を楽しめていた。


「〜♪」


 ラビリントを出発して既に五日が経過していた。

 砂漠に沈んでいくかのように映る夕日を眺めるマリーのご機嫌な鼻歌が聴こえてくる。

 そろそろ日没の時間だ。

 しかし、近くに街はおろか小さな村さえ地図には記されていない。

 過酷な暑さもそうだが、水源が乏しく半砂漠化した土地、そして我が物顔で跋扈する魔物たちの存在が人間という矮小な存在をこの地から遠ざけているのだろう。


「そろそろ暗くなるし、この辺りで野営しようか」


 森……と言うには些か無理があるが、まだこの辺りにはまばらに木が生えており、野営地としては最適とは言い難いが、妥協するしかなかった。


 イグニスが馬車を停め、それから全員で野営の準備を始める。


「フラムお姉ちゃん、一緒に木の枝を拾いに行くですっ!」


「わかったわかった。だから私から離れるなよ?」


「わかっているですっ!」


 そう言って楽しそうにフラムの手を握り、枯れ枝を拾いに行くマリーとフラム。

 イグニスは馬の世話を行い、ナタリーさんは俺がアイテムボックスから取り出した野営道具の中から調理器具を揃え、料理の支度を始める。

 俺はテントの設置係、そしてディアは料理や給水に必要な水を生成し、それぞれ用意した容器に水を補充していく。


 ぶっちゃけてしまうと、野営なんてする必要はどこにもない。

 俺がゲートを設置し、ラバール王国にある屋敷に戻ればいいだけだからだ。

 では何故、野営なんて大変で少し危険なことをわざわざ行っているのかと言うと、それはマリーが野営にはまってしまったからという極めて単純な理由から来ていた。

 馬車の中から夕日を見て鼻歌を奏でていたのも、野営の時間を今か今かと待ち望んでいたからに他ならない。


 ブルチャーレ公国に向かう際にも何度も野営を経験していたが、行きの場合はエドガー国王の粋な計らいによって俺たちはただ出された料理を食べ、用意されたテントで寝ていただけで何もしていなかった。

 そのこともあり、マリーは本格的な野営に憧れをずっと隠し持っていたらしく、三日前に一度だけ野営を行った時からどっぷりと野営にはまり、今に至るというわけだ。

 ちなみに、暗黙の了解として食糧も現地調達を義務付けている。

 出来立てほかほかの料理をいくらでもアイテムボックスから取り出せるのだが、それでは野営の雰囲気をぶち壊すことになりかねない。

 故に、マリーを楽しませるためだけに俺たちは制限をかけて野営を行っていたのであった。


「テントの設営も終わったし、魔物を狩りに行くとするか」

 

「コースケくん、食べられる野草もあったらお願いね。お肉ばっかりじゃ栄養が偏っちゃうから。あっ! ディアちゃん、こっちのお鍋にもお水を――」


 そんなこんなで夜が過ぎていく。

 そしてラビリントを出てから十日後の昼――俺たちは旧スカルパ公爵領の南方にある荒廃した大地の入り口に到着した。


 見渡す限り、砂砂砂。

 ひとたび風が吹けば砂塵が舞い、砂埃で視界が塞がれてしまう。


「イグニスよ、マリーたちを頼んだぞ」


「仰せのままに」


 マリーとナタリーさんをイグニスに任せ、俺とディア、そしてフラムの三人で砂の感触を踏みしめ、前へ前へと進んでいく。


「凄い魔物の数だ……。この先に二十……いや、三十体はいるな」


 俺が持つ『観測演算オブザーバー』が強力な魔物の気配を捉え、脳内にその位置を表示する。

 上空、地上、そして地中と魔物の位置は様々で、これより先に足を踏み入れれば最後、並大抵の冒険者では数分と保つことなく命を落とすことになるだろう。


「魔物の数も凄いけど、それよりもここは魔力が濃すぎる……。いくら魔物を倒してもすぐにまた新たな魔物が生まれるだけできりがない。まるでこの大地そのものがダンジョンのように……」


 ディアの魔力を見通す目にはこの景色が一体どう映っているのだろうか。

 眉を顰めている様子からして、余程酷い有り様であろうことは想像に難くない。


「主よ、どうする? 本当にここでいいのか?」


 フラムはこう言いたいのだろう。

 ――『こんな荒廃した大地にマファルダ・スカルパを還してもいいのか?』と。


 だが、俺は迷わなかった。

 かといって、死んだ大地に死者を埋葬することを良しとしているわけではない。


 俺は俺の――いや、俺たちの可能性に賭けてみたかったのだ。

 この大地を理想郷へと変えられるかもしれない僅かな可能性に。


「二人にお願いがあるんだ。俺の我が儘に付き合ってくれないか?」

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