第735話 家族の形
「うわぁーっ! おっきなお屋敷ですっ!」
「もう、マリーったら……」
両手を広げ、誰よりも先に庭を駆け回り始めるマリーに、ナタリーさんがため息を吐きながら後に続く。
そんな母娘の微笑ましい姿に自然と笑みが零れる。
現在の時刻は午前九時。
俺たちは贈答されることになった屋敷の見学に来ていた。
「これはいい屋敷だ。建物も見事だが、何より庭が広いのが素晴らしい。これなら庭で剣の鍛錬もできるだろう」
「うん、いいね……。庭の手入れが大変そうだけど……」
「手入れが面倒なら、我が焼き払ってやるが?」
「えーっ、そんな! 私が頑張りますから!」
今朝方話した通り、『銀の月光』の三人とニネットも一緒に屋敷の見学に来ていた。
これから住むことになる家だ。彼女たちの関心の高さは俺たち『紅』よりも遥かに上回っているだろう。
「お気に召していただけたでしょうか?」
まだ屋敷の敷地内に入らずに門の前で立っていた俺に男性からの声が届く。
「今のところは良い感じです。庭まで手入れが行き届いているところから察するに、屋敷の中はボロボロってこともなさそうですし」
「もちろんでございます。家具なども既に揃えてありますので、今すぐお住みになられても快適な生活が送れるかと」
そう俺に屋敷の説明をしてくれているのは、ブルチャーレ公国の内務大臣を務めているサッキーニ伯爵という人物だ。
何故それほどの重鎮がわざわざ俺たちの案内をしてくれているのかわからないが、おそらくヴィドー大公の計らいだろう。
俺たちに対して粗相のないように相応の地位にいる人物を派遣してくれた気持ちだけはありがたいが、素直な気持ちとしてはもう少し肩の力を抜ける相手が良かったと思ってしまっているのは俺の我が儘なのかもしれない。
「ディアたちはどう? 気に入った?」
「うん、良いんじゃないかな。本邸とは別に離れもあるし」
本邸の横にある小さな別棟。
小さいと言っても、あくまでも本邸と比べての話だ。
ごく普通のレンガ造りの二階建ての一軒家として見れば十分な大きさがあり、四、五人程度であれば快適に過ごせるだろう。
「サッキーニ伯爵、あの別棟の設備はどうなっていますか?」
「魔道コンロにトイレ、他にも浴室などもございます。元は使用人のための住居として用意されていたようです」
「なるほど……」
本邸と比べてしまうと少しだけ物足りなさを感じてしまうが、それでも十分だ。
本邸には『銀の月光』とニネットが住むことになっており、稀にこの屋敷に来るであろう俺たちの居住スペースをどうしようかと悩んでいたが、あれならちょうどいいだろう。
なるべく秘匿しておきたいと思っていたゲートも別棟に設置すればいい。
何より、『銀の月光』の皆にもプライバシーがある。
もし本邸にゲートを設置したとしたら、突然として彼女たちの生活空間に俺たちが現れてしまうなんて場面を思えば、心の底から安心して生活するというのは難しいに違いない。
だが、転移先が別棟なら彼女たちの生活空間をいきなり壊すようなことにはならはいはずだ。
予定では本邸に数部屋、俺たち用の居住スペースをもらうことになっているのだが、本邸に入る前に別棟を経由し、キチンと正面玄関からベルを鳴らして中に入れてもらえれば、彼女たちも安心できるだろう。
「ふむ、主はあの別棟が気に入っているみたいだな」
俺の目線を辿っていたのか、フラムがそう声を掛けてくる。
「気に入ってるっていうよりは、使えるなって思ってね」
「確かに悪くない。どうせ私たちはここに定住するわけではないしな。屋敷の方はルミエールたちに丸投げして、別棟の管理程度はイグニスが何とかするだろう」
なら最初から小さな家をもらえば良かったんじゃ、と喉まで出かかったが、まあいいか。
別棟の管理を任されたイグニスが気の毒だが、イグニスは嫌な顔一つせず、フラムの命令に従う。
「お任せください」
その後、俺たちはサッキーニ伯爵の案内のもと、本邸の中へ。玄関を通り、まずはこの屋敷で一番広い部屋に案内してもらう。
「テーブルに椅子、床には絨毯が……。最低限の家具は揃っているし、足りない物を少し買い足す程度で済みそうだ」
「お財布に優しい……。助かる……」
「やたら金ピカな部屋だな。だが、我は嫌いではない」
持ち主の居なかった屋敷とは思えないほど清潔に維持されており、内装も外観に負けず劣らず立派な造りになっていた。
冒険者が住むにしてはやや装飾華美なのではないかという気もするが、オリヴィアたちが気に入っているのならば問題はないだろう。
それから俺たちは食堂から八つある個室を一つずつ見て回っていき、再び一番広い部屋へと戻ってきていた。
「ではコースケ様、こちらのお屋敷でよろしいでしょうか?」
既に彼女たち『銀の月光』の了承は得ている。そしてもちろん、俺たちに関しても誰もこの屋敷に不満を持つ者はいない。
「ええ、問題ありません」
「ご満足いただけたようで何よりでございます。それではこちらの書面にサインを」
サッキーニ伯爵から十枚以上にも及ぶ紙の束とペンを受け取り、ざっくりと目を通していく。
所有権やら年間に支払う税額、他にはこの屋敷の間取り図や敷地面積などが記載されている。
当然のことながら、不可解な点や怪しい点はどこにも見当たらない。
念のためにイグニスにも紙の束を渡し、再確認してもらう。そしてイグニスの目から見ても契約書の内容に問題がないと判明し、最終的に俺はサインを行い、サッキーニ伯爵に書類を返した。
「お預かり致します。ではこちらを」
書類の代わりに返ってきたのは三本の鍵だった。
どれも同じ形をしていることから、三本のうち二本は予備の鍵であることがわかる。
屋敷の鍵を手に入れ、これでようやく正式にこの屋敷の所有者は俺ということになった。
「報告があります故、これにて私は失礼致します」
「サッキーニ伯爵、今日は案内していただきありがとうございました」
お礼を告げ、サッキーニ伯爵を見送り、ようやく一段落つく。
「とりあえず鍵を渡すよ。一本は俺たちが。二本は『銀の月光』が持っててくれ。アイテムボックスは……どうしようか? 確か俺が使ってるウエストポーチの予備が何個かあるから、それで良ければ今作って渡そうか?」
二本の鍵をオリヴィアに手渡す。
これでやることはほぼやり切ったと言えるだろう。
別棟をもらう旨は既に伝えてあるし、ゲートの件も屋敷の見学に来る前に『銀の月光』とニネットには伝えてある。
他に何かやるべきことがあるとすれば、引っ越しくらいだろうが、それは彼女たちが自分でやるだろう。
「……今さらだが、こんなに貰ってばかりで申し訳ない」
「別に気にしないでいいよ。これは正当な取引なんだからさ」
俺がそう言ってもオリヴィアの顔は晴れない。
むしろ、より申し訳なさそうな暗い表情をしてしまっていた。
「何か恩返しができればいいのだが……」
今ここで俺がオリヴィアの申し出を断るのは悪手になってしまう可能性が高い。
彼女の心のためにも、あえてここは恩を返してもらうとしよう。
「俺が言うのもあれだけどさ、だったらこれからもルミエールのことをよろしく頼むよ。そして、何かあったら助けてあげてほしい。支えてあげてほしい。知らせてほしい。また貴族に狙われることだって十分あり得るだろうしさ」
強さだけを切り取れば、この国でルミエールより強い者はいないだろう。
けれども、それだけでは解決できない問題もある。
ラフォレーゼ公爵の件もその部類の問題だった。
そんな強さだけじゃ解決できない問題に直面した時、ルミエールの支えとなってあげられるのは、友であり、仲間である彼女たちだけだ。
「ああ、当然だとも。ルミエールは私たちの家族なのだから」
暗くなっていたオリヴィアの顔に自信が漲っていく。
その凛々しく堂々とした顔を見れば、今の言葉が嘘偽りのないものだということがすぐにわかる。
「大丈夫、任せて……。礼儀作法とか常識もしっかり叩き込んでみせるから……」
「おい、ノーラ! 我を何だと思っているんだっ!」
「ルミエール様は……あれですっ、そう! ええっと……勉強さえすれば、すぐに身につけられるはずです!」
「ははっ、それでは何のフォローにもなっていないぞ? ニネット」
楽しそうに笑い合う『銀の月光』とニネット。
この四人なら、きっといつまでも家族のような関係でいられるのではないか。そんな気がした。
「……良い友と出逢えましたね、ルミエール」
イグニスの呟きは当の本人には届かない。
けれども、それで構わないのだろう。
その証拠にイグニスは俺が今まで見てきた中で一番穏やかな表情を浮かべていたのだから。
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