第734話 ニネットの願い

 彼女たち『銀の月光』が抱えている金銭的問題の解消。

 これさえ解決すれば、後はトントン拍子で話が進んでいくことは間違いない。

 恩を売ることで彼女たちの退路を断つという言い方もできるかもしれないが、今から持ち掛ける取引はどちらにせよ損がないばかりか得しかないものとなるはずだ。


「コースケのことだ、胡散臭いものではないのだろうが、一応その内容を聞かせてもらえないか?」


 オリヴィアはその慎重な性格からなのか、俺の言葉を信用していながらも背筋を伸ばし、やや緊張した面持ちをしている。

 きっと俺がオリヴィアの立場だったら似たような顔をしていただろう。

 美味い話には罠がある。

 普通の人間ならそう心構えているだろうし、俺を信じてくれながらも、オリヴィアもその例外には漏れなかったというだけの話だ。

 しかし、その心配は間違いなく杞憂に終わるはずだ。

 なにせ、今から持ち掛ける取引は正真正銘、得しかない物なのだから。

 俺は下手に表情を作らず、裏表のない取引内容を提示する。


「もちろんだとも。まずは俺が求めるものを提示しようか。三人には、俺たちが手に入れる予定の屋敷に住んでもらいたい。もっと正確に言うと屋敷の管理を『銀の月光』に任せたいんだ。そしてこちらが支払う対価として、アイテムボックスを贈らせてもらうよ。三つでも四つでも好きな数をさ」


 試したことはないが、俺が持つ大量の魔力と『空間の支配者スペース・ルーラー』があれば、アイテムボックスの十個や二十個くらい容易に作製できるだろう。

 しかも時間停止付き。時間が停止しているということは食糧が腐る心配もなければ、冷めることもない。常に出来立てホカホカのご飯を食べることだってできる。

 さらに言えば容量もそこらで売られている物とは比較にもならないはずだ。

 俺が作るたった一つのアイテムボックスだけで『深淵迷宮』を攻略するまでの荷物を一纏めにできるだろう。


「コ、コースケたちはそんなに稼いでいるのか……」


 オリヴィアが動揺しているのが手に取るようにわかるが、どうやら少し誤解が生じてしまっているようだ。


「あはは……そういうわけじゃないよ。アイテムボックスは購入するんじゃなくて俺が作れるから、掛かる費用はアイテムボックスの元となる鞄代くらいかな」


「おお、流石はフラム様の主様だな」


「つ、作れるんだ……。作製期間はどれくらい掛かるの……?」


 ルミエールは感心するだけで特に驚いている様子はない。むしろ俺がアイテムボックスを作れることに妙な納得感さえ抱いていそうだ。

 そんなルミエールとは対照的にノーラとオリヴィアの驚嘆ぶりは凄まじい。とりわけオリヴィアに関しては口を開けたまま固まってしまっていた。


「……十秒くらい?」


「えっ……? えっ……!?」


 疑問形で返してしまったのは、ここ最近アイテムボックスを作った経験がなかったため、感覚的なものでしか語れなかったからだ。

 そのせいでノーラに余計な混乱を与えてしまったようで、目をぱちくりと瞬かせていた。


「まあ、そういうわけでアイテムボックスに関しては何とでもできるから、気にせずに注文してほしい」


 これ以上の混乱を避けるため、一度話を纏める。

 その甲斐もあって、やや時間を置いてオリヴィアは平静を取り戻した。


「――コホンッ。ではつまり、私たちはただその屋敷で普通に暮していけばいいってことだろうか? ちなみに場所や間取りは?」


「場所はラビリントの高級住宅街。間取りの方は実はまだわかっていないんだ。今日この後、屋敷を見に行く予定なんだけど、もしよかったら一緒に来て確認しないか?」


「ラビリントの高級住宅街……。『深淵迷宮』の攻略を試みる冒険者が住む場所としては理想的な立地だ」


「だね……。あの辺りは治安もいいし、買い物も楽……。しかもアイテムボックスまでもらえるなんて、こんな良い話は他にどこにもない……。ルミエールはどう思う……?」


「我に異論はない。……兄上がいる手前、我に異論を唱えるなんてことはできんからな……」


 ルミエールが何かぶつくさ言っていた気もするが、それぞれの感触はいずれも悪くはない。ノーラに限っては普段の眠たげな目をまん丸にして嬉しそうに瞳を輝かせていた。


「というわけでコースケ、私たちも一緒に屋敷を見に行かせてもらうよ」


 無事、三人からの了承は取れた。

 後は俺たちが貰える予定になっている屋敷を三人が気に入ってくれるかどうかだが、ヴィドー大公が手配してくれた物件なのだ。その心配はそこまでしなくていいだろう。


 ホッと一息安堵していたのも束の間、それまで比較的大人しくしていたこの宿の女性従業員ことニネットが頬を膨らませていることに気付く。


「むむむむむっ……」


 顔を赤くして変な声を漏らしているあたり、何か言いたげな様子であることは明白。そしてそれが不満の声であることも何となく察していた。


「私も……」


「……私も?」


 漏れ出た言葉を繰り返したディアの声が呼び水となり、ニネットは爆発した。


「私もぜーーーったい、ついていきます!! せっかくウチの宿に泊まってもらっていたのに、急にいなくなるなんて、そんなの悲し過ぎます! もっともっと一緒に居たいのに!」


「どうしたんだ? ニネット。別に私たちはこの街から居なくなるわけではないし、会おうと思えばいつだって――」


「オリヴィア様はそう言ってくださいますけど、嫌なものは嫌なんですっ! だって『銀の月光』の皆様を出迎えるのは私の役目で、私の生き甲斐で、私の我が儘で……」


 駄々をこねるニネットの姿は欲しい玩具を前にした子供のようだった。

 今にも泣き出しそうなほど目に涙を溜め、鼻をすすり、首を横に振っている。

 絶対についていくという強い意思を持っていることは誰の目から見ても明らかだった。

 とはいえ、彼女には仕事がある。

 彼女には彼女の生活があるのだ。生きていくためにもお金を稼がないといけないわけで、仕事を簡単にやめるわけにはいかないだろう。

 それに加え、彼女が仕事を止めることを雇用主が許してくれるとも限らない。

 とどのつまり、彼女の我が儘が――願いが叶う可能性は低いと言わざるを得なかった。


「そう言ってくれるのは嬉しいし、私たちとしてもニネットとこれからも良い関係でいたい。何なら専属のメイドとして雇いたいくらいだ。しかしだな、君には君の生活がある。私たちは冒険者……家を空ける時間の方が長いだろう。そんな私たちのためにニネットに人生を捧げさせるような真似はできないよ」


 頬を掻きながら苦笑するオリヴィア。

 仲の良い彼女でもニネットの扱いに困っている様子がまざまざと伝わってきた。

 それに何より、オリヴィアは――『銀の月光』はニネットのことを心の底から想っている。

 だからこそ、こうしてやんわりとニネットの願いを断ち切ろうとしているのだろう。


 だが、ニネットは諦めない。

 彼女の覚悟はオリヴィアの一言で曲がるほど生温くはなかった。


「――『専属のメイドとして雇いたい』。今、確かにそう言いましたね……? ふふふ……なら、どうか私を雇ってください! お給金もいりません! 今でこそ父が経営しているこの宿で商売の基礎を学んでいる最中ですけど、『銀の月光』の皆様のもとで働けるなら、すぐにだって辞めますから!」


「その気持ちは嬉しいよ。しかしそれではニネットの父君にご迷惑を掛けてしまうだろう?」


「だね……。私としてはニネットに来てもらいたいけど、お父さんの許可をもらわないと、いくらなんでも……」


 オリヴィアとノーラが立て続けにニネットを説得するが、当の本人はむしろ二人の言葉に歓喜し、勢いよく椅子から立ち上がった。


「では父の許可を取ればいいんですね!? おとーさーん!!」


 BARには俺たちを除くとバーテンダーと、俺たちを見張り続けていた四人の男性従業員の姿しかいない。

 にもかかわらず、ニネットは一体何故急に叫んだのかと疑問に思っていると、ニネットの声に反応する形で四人の男性従業員のうちの一人がゆっくりとした足取りで俺たちのもとへ近付き、そして足を止めた。


「まさか……」


 俺は思わずそんな言葉を漏らしていた。

 まだ四十歳前後と思われる体格の良い男性従業員の正体がニネットの父親だったなんて思いもしていなかったからだ。


「私、店辞めるね! オリヴィア様たちと一緒に居たいから!」


「……うむ、わかった」


 野太い声で短い返事をした男性従業員ことニネットの父親は、それだけを言い残して踵を返した。

 そして、ニネットは満面の笑みでこう言ったのだった。


「では、これからよろしくお願いしますねっ♪」

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