第733話 懐事情

 オリヴィアたち『銀の月光』に気付いてもらい、俺たちは紆余曲折ありながらも挨拶を交わすことに成功する。

 高級宿というだけあって宿屋にはBARが併設されており、そこに場所を移し、話をすることになった。


「本当にご友人だったなんて……」


 未だに信じられないといった様子でBARまでついてきていた女性従業員が俺たちのことをジッと見つめながらそんなことを呟いていた。

 もちろん、オリヴィアたちの背中に隠れるようにである。


「ニネット、心配してくれるのはありがたいし、嬉しいよ。でも正真正銘、彼らは私たちの友人であり、恩人なんだ」


「恩人……ですか?」


「ああ、実は――」


 長テーブルを皆で囲いながらオリヴィアが懇切丁寧にニネットと呼んだ女性従業員に俺たちのことを説明していく。

 個室でもなければ、防音性があるわけでもないBARだが、幸運なことに他の客の姿がなかったこともあり、飲み物を飲みながらそんな二人の様子を眺める。


 客と従業員。

 常識的に考えればオリヴィアとニネットの関係はその程度の関係でしかない。

 しかし、会話している二人の姿を見る限り、どうやら客と従業員という関係以上の信頼感が二人の間にはあるように見えた。


 そんなこんなで暫く待っていると、俺たちがパオロ・ラフォレーぜ公爵を追い払ったことや、リディオ・リオルディ男爵を紹介したことなど、『銀の月光』が抱えていた問題を俺たちが解決したことをオリヴィアがニネットに説明し終わる。


 その直後だった。

 ゴツンッ、と大きな音と共に長テーブルが揺れる。

 何を思ったのかニネットが長テーブルに頭を打ち付けたのである。

 そして……、


「――ほんっっっとうに、ごめんなさいぃぃぃ!!」


 鼓膜が破れんばかりの大声を上げながらニネットが俺たちに謝罪する。


「だ、大丈夫……? 痛くない?」


 思いっきり頭を打ち付けたニネットを心配したディアが不安げに言葉を掛けるが、ニネットは頭を下げたまま動かず、釈明を続ける。


オリヴィア様たちが貴族に目をつけられたのではないかと疑っていましたっ! それでつい失礼な対応を……」


「ああ、なるほどね。それで俺たちを警戒してたのか」


 合点がいった。

 ニネットは『銀の月光』が貴族に――主にラフォレーゼ公爵――狙われていた事情を知っていたようだ。

 貴族に目をつけられ、辟易していた『銀の月光』を守るためにニネットはあれほど躍起になって目を光らせていたということなのだろう。


 どうしてニネットがそこまで『銀の月光』に尽くしているのかまでは俺の知るところではないが、いずれにせよこれで誤解は解けたし、謝罪も受けた。

 これ以上謝られるとむしろ気まずくなるので、ニネットに頭を上げてもらおう。


「もう気にしないで大丈夫だから。それより怪我はないか?」


「はいっ、大丈夫です!」


 頭を上げて笑顔を見せるニネット。

 しかし、前髪の隙間から覗き見えた額がリンゴのように真っ赤になっていた。


 ディアが治癒魔法を施すと、瞬く間にニネットの額から赤みが引いていく。


「痛みが嘘みたいに一瞬で……。ありがとうございますっ」


「高ランク治癒魔法……。羨ましい……」


 眠たそうな目で羨望の眼差しを向けるノーラにディアが少し照れ臭そうに微笑む。


 治療を終え、ようやく落ち着きが戻る。

 何故かニネットが席に着き続けたままだが、まあ良いだろう。

 それよりも今、気にするべきは俺たちと出会ってから一言も発さずに緊張しまくって固まっているルミエールだ。

 彼女の視線はイグニスに固定されており、微かに揺れる瞳が彼女の心情を表しているようだった。

 そんなルミエールに声を掛けたのは他の誰でもない。イグニスだった。


「ルミエール、少し話があります。『銀の月光』の皆様にもお聴きしていただきたく存じます」


「は、はいっ、兄上! 何か我が失態でも――」


「早合点せずに話を最後まで聞きなさい。『銀の月光』の皆様はこの宿を拠点にしておられるのでしょうか?」


 イグニスがそう尋ねると、『銀の月光』の三人は顔を合わせて、訳がわからないといった様子で首を傾げつつも、オリヴィアが代表して問いに応じる。


「今から約半年前からここを拠点にしているが……」


 半年も前からこの宿に泊まり続けているとは少し驚きだ。

 おそらく前人未到の『深淵迷宮』を攻略するためなのだろうが、Sランク冒険者である彼女たちの稼ぎならば家の一件や二件購入することくらいわけないはずだ。

 にもかかわらず、わざわざこの宿に泊まり続けているのには何か理由があるのだろう。

 俺でも容易に思いつくような疑問に気付かないイグニスではない。


「『深淵迷宮』の攻略――そのための拠点として半年間もこの宿に……。ラビリントで家をお持ちにならないのは何故でしょう? 攻略までの道筋が既にお見えに?」


「いや、まだまだ見えていない。『深淵迷宮』はその名の通り、深淵まで続いていると言われているダンジョン。どこまで続いているのか皆目見当もついていないのが状況だ……」


「では尚のこと、家をお持ちになった方がよろしいのでは? 皆様の稼ぎの程は存じませんが、手が届かないというわけではないでしょうし」


 これはあれだ。

 イグニスは彼女たち『銀の月光』が何らかの理由で家を購入できないことをわかった上であえて訊いているのだろう。

 少々意地悪な訊き方だが、自然な形で相手にその理由を喋らせるつもりのようだ。

 そんなイグニスの狙いを知ってか知らずか、オリヴィアは少し気まずそうな表情を浮かべ、その薄い唇を開く。


「家を持ちたいのは山々なのだが、如何せんそれほどの余裕が私たちには……」


「だね……。お金、貯めないといけないから……」


 オリヴィアの言葉に同意するようにノーラも続いた。

 そしてルミエールも同様にどこかバツの悪そうな顔をしている。


「貯蓄をしているわけでございますね。それは――アイテムボックスを購入するためでしょうか?」


 イグニスがそう言った途端、三人の瞳が真ん丸になり、驚きを隠し切れずに露わにする。


「な、何故それを兄上が!?」


「簡単な推測ですよ。果ての見えないダンジョン。その攻略には時間と魔物を倒すだけの実力、そして食糧が必要となります。曲がりなりにも私めの妹である貴女がいる以上、実力面では問題はないはず。であれば、残す問題はダンジョンに潜り続けるための食糧だけでしょう。他にも野営のための道具や各種消耗品を持ち運ぶためにもアイテムボックスが必要になるでしょう。ですが、アイテムボックスはその稀少性や需要の多さから高額取引されている代物。特に各地でダンジョン攻略が盛んなブルチャーレ公国では相当値が張るであろうことは想像に難くありませんので、その購入費用を貯めているのではないかと考えた次第です」


「流石の一言に尽きる……。まさかそこまで見透かしているとは」


 オリヴィアが手放しで称賛するが、イグニスは表情一つ変えずに淡々としていた。


 まさかイグニスがそこまで見抜いていたとは驚きを通り越して感心してしまう。

 比べること自体失礼かもしれないが、やはりイグニスと俺とでは頭の出来が違うらしい。

 確かにアイテムボックスを購入しようともなると、莫大な費用が掛かる。しかも他国よりも需要が高いとくれば、家の一軒や二件購入するくらいの金が必要になるかもしれない。

 家を購入せずに宿に泊まり続けていたのも納得の理由だった。


 しかし、『銀の月光』の懐事情は俺が思っていたよりも深刻なようだ。オリヴィアは苦笑いをしながら言葉を続ける。


「今、手持ちにあるアイテムボックスは二つ。どれも小型のアイテムボックスということもあって容量が小さくてな……。後一つ……いや、二つは購入しなければと思っている」


「ルミエールが大食いだから……」


「ノーラ!? わ、我のせいなのか!?」


「うそうそ、半分は冗談……。どっちみちドロップした魔石とかも全部拾うってなるとアイテムボックスはいくらあっても足りないから……」

 

 アイテムボックスの容量は元の鞄のサイズとその作製者の腕によって大きく左右される。

 基本的にアイテムボックスは元となる鞄の容量を拡張していくのだが、例えば大きなリュックサックの容量を十倍にするのと、片手で持ち運べるポーチの容量を、十倍に拡張したリュックサックと同等量にするのとではその難易度は大きく異なる。

 後者の方が圧倒的に作製が難しく、またその価値は非常に高い。

 特に冒険者が使用するアイテムボックスとなると、リュックサック型は背負わなければならないため、戦闘の邪魔になってしまう。故に、小型かつ大容量のアイテムボックスは需要が高く、それに伴い価格も目が飛び出るほどの物となってしまうのである。


 そんな高価なアイテムボックスを後二つも欲しいともなると、それこそ相当な金が必要だ。

 しかし、アイテムボックスがなければダンジョンに潜ったとしても満足な数の魔石を回収することもできないため、稼ぎも減ってしまう。

 八方塞がりとまではいかないが、それでもやはり地道に金を貯めるしかないのだ。


 家を買う余裕がないことは判明した。

 三人には悪いが、こちらとしては彼女たちの状況は好都合という他にない。

 なにせ、俺は彼女たちの悩みを解消してあげられる術を持っているのだから。


 自然と俺はイグニスと視線を交わしていた。

 イグニスが目で俺に訴え掛けている――今が好機だと。


「『銀の月光』の皆、聞いてほしい。俺たちと取引しないか? 損は絶対にさせないからさ」

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