第732話 宿屋の女従業員
現在の時刻は朝の五時。
まだ日が昇ったばかりで、涼やかな風が吹いている。
「んー……!」
お日様の下に出た俺は寝ぼけ眼を覚ますために腕を上げて身体を伸ばし、全身に活力を与える。
「ふぁ〜あ……。何故こんな朝早くに……」
隣からはフラムの盛大な欠伸と共に愚痴が漏れ聞こえて来る。
フラムのことだ。昨夜の疲れが抜け切っていないわけではなく、単純に面倒臭さが上回っているのだろう。
そんなフラムとは対照的に、ディアはいつもと変わらない様子で朝のラビリントの景色を堪能している様子。
「うん、良い朝……」
まだまだ祭りの余韻が抜けていないのか、ラビリントの街は早朝にもかかわらず、活気に満ちている。
肩を組んで酒を飲み歩く者たちや、店の開店作業に追われて汗を流す者たちなど、大勢の人々が外に繰り出していた。
その光景はまさに平穏そのもの。
昨夜、巨塔ジェスティオーネでマファルダ・スカルパが暴走し、一時は大事件にまで発展しかけていたとは思えないほど緩やかな時間が過ぎている。
「皆様、ご準備はよろしいでしょうか。案内は私めが務めさせていただきます」
そう……何故俺たちがこんな朝早くから出掛けることになったのかと言うと、全てはイグニスの妙案とやらを採用したからに他ならない。
昨夜、イグニスは珍しく自信に満ちた笑みを見せつつ、難航していた屋敷の管理問題の解決策を提示してきたのだが、解決策の全貌を知った今となっては、あの笑みには自信とはまた別の意味が含まれていたことに気付いてしまっている。
「採用しといてなんだけど、本当にこれで良かったんだろうか……」
「ええ、何も問題はないでしょう。あちらには利しかない話ですので」
「まあ、確かにそれはそうなんだろうけど……」
今さらながらに悩んでしまう俺がいるが、事実としてイグニスの言っていることは正しい。
イグニスが提示した解決策は双方にとって何の不利益のない、まさしくWin-Winの素晴らしいものだと言えるからだ。
俺たちは管理者を手に入れ、相手は家賃無料の広い家を手に入れられる。
何も問題はないはずだ。ある一点を除けばの話ではあるが。
ある一点とは、相手に拒否権がないことである。
そこに妙な罪悪感を抱いてしまうのは俺が気にしすぎているだけなのかもしれない。
相手が彼女たちでなければ――『銀の月光』でなければ、俺は何も思わなかったに違いない。
「では、そろそろ出発致しましょう。お相手は冒険者。あまり遅くなってしまうと依頼やダンジョンに向かってしまい、すれ違いになってしまうかもしれませんので」
イグニスを先頭に俺たちは歩き出す。
ちなみにナタリーさんとマリーには『銀の月光』と話をつけるまでの間、宿で待ってもらうことになっている。
そして、歩くこと約十分。
最短ルートを把握していたのか、イグニスは迷いを見せることなく大通りから脇道まで利用し、一軒の宿屋の前で足を止めた。
「こちらの宿でございます」
俺たちが泊まっている宿と比べてしまうと少しグレードが落ちるが、それでも十分過ぎるほど立派な宿だ。
流石はSランク冒険者と言ったところだろうか。拠点として毎日宿泊するともなれば、相当な金が掛かるはず。
並大抵の冒険者であれば一日の稼ぎが宿泊費だけで消えてなくなってしまうだろう。
宿屋に足を踏み入れる。
当然のように宿屋の女性従業員が駆け寄り、俺たちのことを客として出迎えてくれる。
「いらっしゃいませっ! 四名様でしょうか?」
高級宿に相応しいかどうかはさておき、天真爛漫な女性従業員が眩しいくらいの笑顔を振りまき、接客を行ってくれる。
年齢は十六歳くらいだろうか。
白い肌に、長いピンク色の髪を後ろで一纏めにしている。
その外見の特徴からしてブルチャーレ公国人ではなさそうだ。
制服は女性用の黒いスーツのような物を着ており、彼女の若さもあってか、どこか服に着られている印象を受けてしまう。
そんな彼女の勢いに気圧され、俺はつい敬語で返事をしていた。
「すみません。この宿に泊まっている友人に会いに来たのですが……」
俺が代表してそう答えると、従業員の女性は嫌な顔一つせず続けて尋ねてくる。
「ご友人のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「ルミエールです。冒険者パーティー『銀の月光』の」
誰の名義で宿泊しているのかわからなかったため、備考として『銀の月光』の名を告げた。
これなら伝わるだろう――そう思ったのも束の間、それまでにこやかに接客してくれていた女性の目付きが変わる。
表情こそ笑みを湛えたままだったが、その目は明らかに俺のことを疑っていた。
「……本当にご友人ですかぁ?」
「えっ、まあ冒険者仲間と言いますか……」
「冒険者、ですかぁ。ふぅ〜ん……」
まるで俺を値踏みするかのように全身をくまなくチェックしていく女性従業員。
顎に手を当て凝視してくるあたり、俺にどう思われようが気しないといった感じだ。
「武器はなし。綺麗な女性を二人連れていて、執事の男性が一人……。それで私みたいな小娘に冒険者なのに敬語を……。本当に冒険者ですかぁ?」
どうやら相当疑り深い性格の持ち主のらしい。
彼女にそこまでの悪意はないのだろうが、既に疑いの眼差しを向けていることを隠そうともしなくなっていた。
俺にそんなつもりは毛頭ないが、相手が相手ならば怒られても仕方がない対応を繰り返している。
「本当だよ、何なら冒険者カードを出そうか?」
「私は冒険者にあまり詳しくないので、冒険者カードを出されても本物か見分けられません! ですが、そこまで言うのでしたら確認してあげますよ」
そう女性従業員が言うと、くるりと背中を向け『関係者以外立ち入り禁止』の看板が立て掛けてあった扉の奥へと消えていく。
「ははっ……」
一方で俺は乾いた笑い声しか上げられなかった。
すると、そのすぐ後に先ほどの従業員とは違う体格の良い従業員らしき四人の男性が扉の先から現れる。
「……」
接客をするわけでも、愛想を振りまくわけでもなく、無言で俺たちを見つめてくる。
本当に従業員なのかと疑いたくもなるが、先ほどの女性と似た雰囲気の格好をしていることから従業員であることには間違いないはずだ。
しかし、男性従業員たちからはどうにも暴力の匂いを感じてしまう。
「……こうすけこうすけ。もしかしてわたしたち……警戒されてる?」
「みたいだね。接客態度はどうかと思うけど、防犯対策もバッチリなようだし、Sランク冒険者が泊まる宿には相応しい、のかな?」
「くくっ……。主があんな小娘に翻弄されるとは、くくっ……」
フラムは怒るわけではなく、むしろ笑い声を懸命に押し殺し、面白がっていた。
十中八九、相手が無害な存在であり、かつ『綺麗な女性』と言われたことで気分を良くしているのだろう。
「……」
そんなフラムにジト目を向きつつ、俺は自分自身に突き刺さる男性従業員の視線に耐え続けること、約五分。
彼女たち『銀の月光』の三人が上に続く階段から下りてきた――あの女性従業員を連れて。
「オリヴィア様、ノーラ様、ルミエール様、あの人ですよっ。如何にもって感じで怪しいと思いませんかっ? 絶対、友人だーなんて言葉、嘘に決まってますって! もしかしたらまた貴族に狙われ――」
こそこそ声のつもりなのだろうが、丸聞こえだった。しかも俺に向けて指まで差してくる始末。
俺に怒られようが構わないし、気にするつもりもさらさらないらしい。
とはいえ、三人の背中に隠れているあたり、危機管理能力にはそれなりに長けているようだ。
『客を盾にするのはどうなんだ?』なんて思いつつも、三人が俺たちに気付くのを待ったのだった。
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