第729話 命なき道具
スカルパ公爵を依り代にした巨木は成長を――進化を続けている。
あのフラムが操る炎に対し、一定の耐性を獲得していることからもそれは明らかだった。
時間を掛ければ掛けるほど、その脅威は増していく。
既に幹の太さだけで会議室の三分の一を占拠し、そこに巨木の手足とも呼べる枝状の触手を含めると、会議室の三分の二は占拠されている。
今となっては隠れて見えなくなってしまった窓からも巨木の一部が溢れ出してしまっているに違いない。
このままだと塔の下にいる人々に気付かれてしまうのも時間の問題だ。いや、もう既に気付かれてしまっている可能性もあるだろう。
とにもかくにも、のんびりとしている時間はない。
フラムの楽しみを奪うことになってしまうが、これ以上放置することはできないと判断した俺は紅蓮を構え、駆けた。
相手は木。
視覚がない代わりに死角もない。
どのような方法で俺の動きを察知したのかわからないが、近付く俺に向けて、たった一本の太く頑丈な触手の鞭をお見舞いしてくる。
それを俺は紅蓮で縦に真っ二つに両断し、床を這う枝を伝ってさらに先へ先へと距離を詰めていく。
フラムに対する攻撃と俺に対する攻撃が違ったのは、油断や慢心ではない。
いくら知能を失い、本能のままに動いているとはいえ、敵の脅威度に応じた攻撃を仕掛けてくるようになっているはずだ。
すなわち、俺はまだ脅威であると認識されていない。そう考えるのが妥当だ。
俺の推測を裏付けるように巨木の俺への対応はかなりお粗末なものだった。
未だに触手の連打を浴びせられているフラムと比較してしまうと圧倒的に手数が少なく、まるで俺は周囲を飛び交う羽虫のような雑な扱いを受けている。
油断でも慢心でもない。だが、それが隙であることには変わりない。
斬っては捨て、斬っては捨てを繰り返し、ついに太い幹が俺を出迎える。
距離にして約三メートル。既に俺の間合いの中に入ったと言ってもいいだろう。
すると、ようやく巨木は俺を脅威だと認識したのか、床を這っていた根を手足のように操り、フラムと変わらない手数の攻撃を仕掛けてくる。
しかし、もう遅い。
紅蓮を握り変えた俺は巨木の胴体部分に当たる太い幹を一閃。
その一閃には当然のように『
如何に太く頑強といえども、何のスキルも持たない巨木を両断することくらい簡単な作業だ。
と思いきや、俺が放った一閃は鱗のようにその身を守る樹皮を剥がすだけに留まり、すぐさま弾かれてしまう。
「――っ!」
体勢を崩されるが、すぐさま立て直した俺は背後から迫る触手をまたもや斬り捨てようとして――背中を大きく切り裂かれた。
その衝撃によって宙を舞ってしまう。
背中から血液が零れ落ちていく感覚を覚えた瞬間に再生を済ませ、出血を最小限に抑える。
弾き飛ばされたことで天井に激突しそうになっていたが、それも転移を使用し、元いたディアたちのいる場所に戻ることで窮地を脱した。
怪我はもう治っている。
けれども、触手の切断に失敗した時に生じた手の痺れだけは未だに残っていた。
「なんて成長速度なんだ……。もう斬撃耐性を獲得したっていうのか……」
しかもただの斬撃耐性ではない。
ある程度わかっていたことだが、俺の想定を遥かに超えたあの成長速度は脅威と言う他ないだろう。
俺が距離を取ったからか、攻撃の雨が止む。
横目でフラムの様子を確認すると、そこには予想外の光景が広がっていた。
「フラムが押されてる……?」
降り注ぐ触手の猛攻。それを業火によって焼き払うフラム。
どちらが戦闘の主導権を握っているのかは一目瞭然だった。
防戦一方になってしまっている今のフラムを有利だと思う者は誰一人としていないだろう。
だが、よくよく考えればフラムが防戦一方になってしまうのも無理もない話だ。
未だにフラムの炎に対する完全な耐性の獲得までには至っていないようだが、徐々に触手が燃え尽きるまでの時間が延びてきていることからも、巨木が非常に高い火耐性を獲得していることは明白。
加えて、ここは室内であり、戦う術を持たない者が多くいる。
もしこんな場所でフラムが全力を出せば、その余波によって死傷者が出るのは避けられない。
ディアによって今は何とか支えられている巨塔ジェスティオーネだって倒壊してしまうに違いない。
巨木の強さや相性ではなく、環境そのものがフラムの枷になってしまっていたのだ。
「ディア、まだ持ち堪えられるか?」
「まだ大丈夫。でもフラムが全力を出したら……」
どうやら考えていることは同じだったようだ。
いくらディアがほぼ無限に等しい魔力を使用できようが、修復や補強する力よりも破壊する力が上回れば塔は簡単に壊れてしまう。
ましてやフラムが本気を出すともなれば、塔そのものが一瞬にして弾け飛んでしまう可能性だって否定できない。
やはりフラムには力をセーブして戦ってもらうしか選択肢はなさそうだ。
そして、その間に俺がどうにか巨木を倒す。
これが現実味のあるシナリオだろう。
「……もう一回行ってくる」
そうディアに言い残し、俺は再度巨木の討伐に乗り出す。
近付けば容赦のない攻撃が飛んでくることは目に見えている。
ならば、転移を使って一気に距離を潰す――。
視界が切り替わる。
手を伸ばせば幹に触れられる位置まで転移した俺は瞬時に『
まだ斬撃耐性も完全には獲得していなかったらしく、一撃、二撃と攻撃を重ねる度に樹皮が剥がれ、三撃目にして薄茶色をした木部に紅蓮の刃がようやく到達する。
それは謂わば、樹木の傷。
計六回の肉体的ダメージで対象を死に至らしめる『六撃変殺』の条件の一部をクリアしたも同義だ。
そして俺は樹皮に隠れていた木部に計六回の斬撃を見舞いし、暴れ狂う樹木から大きく後方へ大きく跳躍し、距離を取った。
だが、一秒、二秒と巨木の様子を確認するが、変化は訪れない。
確実に『六撃変殺』の条件はクリアしているはず。
にもかかわらず、巨木が未だに暴れ狂っているということは、巨木には『六撃変殺』は効果がない――そう考えるべきだろう。
「このスキルは植物には効かないってことか……」
獲得したばかりのスキルということもあって、『六撃変殺』の仕様を完璧に把握できていなかった。
命あるモノ――その適用範囲内に植物が……いや、杖型の宝具が含まれないことはこれでわかった。
そして、もう一つわかったことがある。
それは案の定と言うべきか、巨木と化したスカルパ公爵は既に死んでいるということだ。
自身を巨木へと変化させる杖型の宝具の依り代となり、命を落とした。
それだけは疑いようのない事実だった。
つまるところ俺たちが今、相対しているのはスカルパ公爵でもなければ、命ある生物でもないということ。
悲鳴を上げようとも進化を続けようとも、この巨木は魔力が込められ、変貌を遂げた宝具でしかないのだ。
ならば、もう考える必要はない。
処理をするだけであれば、簡単なことだ。
惜しむべくは、あれだけの信念を――己の正義を貫き通したスカルパ公爵を土に還してあげることができなくなってしまう点だけ。
しかしそれも別の日、別の場所で葬ってあげれば問題はないだろう。
「終わらせてくるよ」
「えっ? どうやって……」
ディアの言葉を背中越しに聞きつつ、俺は巨木に向かってゆっくりと歩みを進めていた。
当然、俺の動きを察知した巨木が、その鋭く尖った太い触手を伸ばして排除しようとしてくるが、俺は避けることなく、迫り来る触手を見つめ――手を伸ばす。
「暫く大人しくしててくれ。安心して欲しい……いつか必ず土に還してあげるからさ」
俺の手のひらの先の空間が歪み、ぽっかりと黒い孔が開く。
そして、その孔に触手が触れると、吸い込むように瞬く間に触手を呑み込んでいき、やがて触手だけではなくその先にある巨木まで黒い孔に呑み込まれたのであった。
もう巨木がここに根を張っていたことを証明するものは、床に落ちた触手の残骸と灰だけ。
どこまでも成長し、進化を続けていた巨木はこの世界から完全に姿を消した。
そう……アイテムボックスという、時の牢獄とでも呼ぶべき空間へと収められたのである。
死者一名。
巨木は時間が停止した空間へとその姿を消し、これでもって巨塔ジェスティオーネにはようやく平穏が訪れたのであった。
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