第728話 貫く信念

 ソレは人であり、人ではなかった。

 光が晴れたその先に見えたものは人の形を模した植物。

 ただしそこに緑はなく、葉が落ち、枯れ枝と化した禍々しい老木があった。

 いくつもの枝が螺旋状に絡み合い、手足の形を模していることで何とかソレがスカルパ公爵だったことを認識させる。


「ぁ……ぅあ……」


 口もなければ声帯も失っているのだろう。

 それでもソレからは呻き声が漏れ出ており、より嫌悪感を刺激する。


「ス……スカルパ公爵、なのか……?」


 目を大きく見開いたヴィドー大公は変わり果てた姿になったスカルパ公爵に恐る恐る声を掛ける。

 今、自分が目にしているものが本当にスカルパ公爵なのか。その一心で声を掛けてしまったのだろう。

 だが、その一言がヴィドー大公の命を危機に晒すことになる。


 絡み合い一つとなった老木はヴィドー大公の声に呼応し、まるで息を吹き返したかのように、その枝先――手足――を急速に伸ばし、みるみるうちに巨大な樹木へとその姿を変えていく。

 もはや人の形を模しているのはコブのようにぷっくらと上部で膨らんでいる頭部のみ。

 手足は左右非対称に伸びていき、つるのような靭やかさを手に入れている。


 そして、ついにソレが動き出す。

 ようやく自由自在に動かせる身体を手に入れることに成功したのだろう。

 元は右手だった枝先をヴィドー大公に向けると、目にも留まらぬ速さで針のような鋭利さを持った枝をヴィドー大公の心臓を目掛け、発射した。


 轟音と共に木片が辺り一帯に飛び散る。

 数秒前まで座っていたヴィドー大公の椅子は見るも無残に粉々と砕け散った。


「お怪我はありませんか?」


 椅子はあっさりと失われた。

 しかしヴィドー大公は無事だ。俺の腕の中に抱きかかえられたまま強く目を瞑り、やがてゆっくりと瞼を開いた。


「す、すまぬ……。助かった、コースケ殿」


 間一髪だった。

 転移が間に合ったのはスカルパ公爵だったソレの動きを見逃さないよう注視し、警戒していたことが大きい。


 一つ呼吸を整え、周囲を確認してみると、どうやら俺が動いた後に他の面々もディアやフラム、そしてイグニスやルヴァンの力を借りて部屋のすみに避難を済ませていた。


 改めて巨木と化したスカルパ公爵に意識だけではなく目を向ける。

 円卓は既に真っ二つに叩き割られ、彼女の身体の中に取り込まれていた。

 半円になった白い円卓は枝に絡め取られ、身体の一部からその白い顔を覗かせている。


「こうすけ、あれってやっぱり……」


 隣に避難して来たディアが巨木を見つめながら尋ねてくる。


「あの杖自体が宝具だったみたいだ。魔力が空っぽになって休眠状態だった杖にスカルパ公爵か魔力を流したことで身体を乗っ取られたんじゃないかな」


「うん、わたしもそう思ってた。あの杖からは何も魔力を感じなかったし……。でもお婆さんはこうなることを知った上で宝具を起動させたのかな? ……あんな姿になることを覚悟していたのかな?」


「それはわからない。けど、覚悟はしていたはずだ。そしてこの先、自分が殺されることになるってことも、きっと……」


 おそらくスカルパ公爵は破滅願望を抱いて、このような蛮行に及んだわけではない。

 正真正銘、これは彼女の賭けなのだ。

 配下を失い、抗う力も持たないスカルパ公爵の最終手段。

 到底1%にも満たない絶望的な賭けを、俺は悪足掻きだと唾棄するつもりはない。


 己の我が儘を、正義を、信念を貫く。

 その覚悟だけはひしひしと伝わっていた。

 だからこそ、ただ単に悪だと斬り捨てるのではなく、誠意を持って土に還してあげるべきだろう。


 ディアとそんな会話をしている間にも巨木はより大きくなろうと成長を続けていた。

 既に会議室の床の半分はうねうねと蠢く枝に侵蝕され、巨木の後ろにある窓の外にもその触手を伸ばしている。

 これ以上、放置をすれば、たちまち巨塔ジェスティオーネが巨木に呑み込まれてしまうことは想像に難くない。

 呑み込まれたら最後、ラビリント中が大混乱に陥り、住民や観光客たちから大きな注目を集めてしまうだろう。

 一刻でも早く対処しなければならない。


「塔のことはわたしに任せて。壊れないように魔法で支えておくから」


 ディアの顔に焦燥感はない。

 程よい緊張感を持って対応にあたってくれそうだ。


 これで倒壊の心配はそこまでしなくても済む。

 絶対の信頼を寄せるディアならば、必ずこの塔を守りきってくれるはずだ。


 ならば、俺は俺にできることをしよう。

 巨木と化したスカルパ公爵を倒すという仕事を、使命を遂行してみせよう。


 腰に差してある紅蓮を鞘から引き抜く。

 火系統魔法で焼き払うことも考えたが、それは俺の役割ではない。きっとそんなことをすれば、フラムが拗ねてしまうだろうから。


「おーっい! 主よ! そろそろ始めてもいいかー?」


 部屋の違う角に避難していたフラムが大手を振って俺を呼ぶ。

 その手には何も握られていない。その隣に立つイグニスも、そしてルヴァンも無手だった。

 だが、戦闘準備が完了していることはその顔つきを見れば一目瞭然。浮かれているのはフラムだけだ。


「了解! 開始スタートはそっちに合わせる!」


 フラムの魔法に巻き込まれる……なんてことは流石にないだろうが、下手に俺が先に動くよりも俺がフラムたちに合わせた方が安全だと判断し、委ねたのであった。


 三人の様子を見るに、直接戦闘に参加するのはフラムだけのようだ。

 イグニスはエドガー国王たちの護衛に専念するらしく、姿勢良く仁王立ちしたまま動く気配がない。

 ルヴァンに関してもそれは同じだ。そもそも護衛をするつもりがあるのかどうかわからないが、ひとまずは戦況を見極め、それから彼なりに動くつもりなのだろう。


 一分にも満たない作戦会議を終え、そしてフラムが動く。

 火を司る王に相応しい魔法を披露するかと思いきや、フラムは超高速で巨木に近付き、拳を繰り出した。


 ドンッ、という衝撃音と共に木片が会議室中に舞う。

 まずは挨拶代わりの一撃に、巨木は大きくしなり、幹の部分が大きく抉れる。


「……ほう。思いの外、頑丈だな」


 感心の声が俺の耳に届く頃にはフラムに向けた巨木からの反撃が繰り出されていた。

 鞭のように枝分かれした無数の触手がフラムに襲い掛かる。

 貫き、囲い、絞め殺すために放たれた触手。

 どれもこれも鋭利さと頑丈さを兼ね揃えており、生半可な攻撃ではびくともしないだろう。


 しかし、フラムは最強フラムだ。

 彼女が炎竜族の頂点に立つ所以をまざまざと証明する。


わたしに対してそんな攻撃をしていいのか? ――火傷するぞ」


 フラムは触手を躱そうとも撃ち落とそうともしなかった。

 彼女が取った選択はその場に立ち続けること。

 ただし、ただ立っているわけではない。

 全身から湯気を立たせ、フラムが立つ周囲の空間が歪む。

 陽炎が生じるほどの熱気をその身体に纏わせていたのである。


 そして、衝突した。


「――シィィィィーーッ」


 巨木の苦痛に悶える叫びが耳朶を打つ。

 その悲鳴を聞けば、結果は見るまでもない。フラムの完勝だ。

 四方八方から押し寄せた無数の触手はフラムに触れた途端、黒い消し炭となり、床に大量の灰をぶちまけたのである。

 しかし、巨木は止まることはない。むしろ、その成長をより一層加速させていく。


 知能がなく本能だけで動いているのか、フラムに焼き払われたにもかかわらず、触手の連打を浴びせる。

 十発、二十発と攻撃を重ねては灰に帰す。


 それを何度繰り返しただろうか。

 数百を超え、突如として変化が訪れる。

 無数にある触手のうちの一本がフラムの左腕に絡みついたのだ。


「――ちっ、遊びすぎたか」


 フラムは小さく舌打ちをすると、腕に絡まった触手を強引に引き千切り、誰の目にも見える鮮やかな炎で触手を瞬時に炭へと変えた。


「ただの木偶の坊かと思ったが、どうやら違ったらしい。――まさか耐性を獲得していたとはな」


 フラムはその瞳の色を変え、ようやく巨木を敵であると認識したのであった。

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