第727話 袋小路
犯行予告に等しい発言をスカルパ公爵が口にした途端、この場の雰囲気が一気に引き締まる。
この期に及んでまだ逆転の一手が隠されているのか。
半信半疑であったが、室内から塔の外まで探知範囲を広げ、周囲に怪しい反応がないことを確認する。
不審な影は見当たらない。
何らかのスキルによる犯行の線を追い、『
ともなれば、自害――そう考え、瞬き一つせずにスカルパ公爵の一挙手一投足に注目するが、右手に使い古された木製の杖が握られているだけで特段目を引く動きはなかった。
虚勢を張っただけ、もしくは特に何かを画策しての発言ではなかったのか。
そんな疑問が頭の中でぐるぐると巡っていく。
動かれる前に取り押さえるべきかとも考えたが、生憎、今俺が立っている位置は円卓を挟んだ対面。
それでも転移を使えば瞬時にスカルパ公爵を捕縛することくらいわけないが、その場合は一種の催眠状態に陥っているミロから一時的に離れなければならない。
いくら拘束しているとはいえ、スカルパ公爵の言葉一つでどんな動きを見せるかわからないミロから離れるのは非常に危険だ。
一応、ミロの監視には俺の他にもバルトローネ公爵がついてくれている。
この人の実力なら仮にミロが拘束から逃れ、戦闘に発展しようとも後れを取ることはまずないだろう。
しかし、ミロは純粋な戦闘職とは違い、暗殺者らしいスキルを所持している。そのため、真正面からの戦闘という条件から外れていまえば、ミロがバルトローネ公爵を斃すことは十分に考えられることだった。
……どうするべきか。
離れようにも離れられない雁字搦めの状態に陥ってしまっている。
迂闊な言動は避けるべきと判断しているのか、他の四大公爵やエドガー国王は口を噤んだまま微動だにしない。
沈黙した世界。
時間だけが刻一刻と流れていく。
そんな誰もが動けない、動こうとしなかった中、唯一緊張状態からかけ離れた表情をその端正な顔にまざまざと浮かべていたフラムが沈黙を破った。
「ここまで追い込まれていてもなお、足掻くつもりか? なら、好きにやってみればいい。貴様が打ち上げる花火が見事に花を開くのか、それとも貴様が花火のように燃え尽きて消えるのか。いずれにせよ貴様の
恐怖することなく、今の状況を楽しもうとするフラムの発言に感化されたのか、スカルパ公爵の皺だらけの顔が綻ぶ。
「カァーッ、カッカッ! その度胸、そしてその余裕、流石は
進むことも退くこともできない、まさに袋のねずみだ。
行く先はどちらも行き止まり。何を選択したとしても、もはや犯行予告をしてしまった以上、破滅しか待っていない。
ここまでしらを切り続けていたというのに、全てが無に帰した瞬間でもあった。
とはいえ、後がないことはスカルパ公爵自身が一番理解していたのだろう。
希望を抱くことをやめ、夢を語ることをやめた彼女に残された選択肢は唯一つ。
それは主張を続けること。
決して受け入れられることはないと知っていても、決して曲げることのない己の主張を最後まで貫き通す。
かといって諦観しているわけではない。
その弛んだ瞼の下に見える瞳にあったのは何者にも屈することのない覚悟だった。
その覚悟を宿した瞳が俺に向けられる。
「坊や、さっきは『青臭いガキ』なんて言ってしまって悪かったのう」
「な、何を急に……」
突然の謝罪に理解が追いつかず、舌が上手く回らない。
強い覚悟を持った瞳をしながらも好々爺と思わせる柔らかな笑顔を向けられたことも、俺が狼狽えてしまった理由の一つだった。
「鈍感で、愚直で、周りが見えていない世間知らずの坊主だと思っておったが、そうではなかった。坊やは……いいや、お前さんはここにいる誰よりも私の心が見えておったというだけの話じゃよ。私の思惑、意志、目的、そして覚悟を良くぞ見抜いたものじゃ。流石は炎竜王に認められているだけのことはあるようじゃのう」
ころころと変わる表情と態度。
一体どれが本物のスカルパ公爵なのか途端にわからなくなってしまう。
「私は守りたかった。失いたくなかったのじゃ。親を失い、そして子を失ったことで、私は癒えることのない痛みを知ってしまったんじゃよ。だからせめて愛する孫たちや、今を精一杯生きる民たちの命だけはこの手で守りたい。ただその一心でスカルパ公爵家の当主の座に居座り続けてきた。我が儘を貫くと決意した。もう誰も私と同じ痛みを味わわぬようにとな……」
ふと、俺はスカルパ公爵が手を染めた悪事を思い返していた。
エドガー国王の暗殺未遂、飴細工店前の襲撃、観客全員を巻き込んだ魔武道会の一件、そして巨塔ジェスティオーネの倒壊。
その他にも脱獄など複数の悪事に手を染めたスカルパ公爵を法に照らし合わせれば、重罪人として裁かれることは間違いないだろう。
しかし、だ。それらの悪事を行った背景に『民のため』という想いが隠されていると知った今、果たしてスカルパ公爵は生粋の悪なのかと疑問を抱いてしまう。
無論、許されないことをしてきたのは間違いない。
特にマリーを襲わせたことは今思い返しても腸が煮えくり返るほどの怒りが湧いてくるほどだ。
俺からしたらマファルダ・スカルパという老婆は敵であり、悪そのものだ。それはこの場にいる皆の共通認識でもあるだろう。
しかし、見方を変えてみたらどうだろうか。
シュタルク帝国の侵略に怯える人々から見えるマファルダ・スカルパという人物は果たして悪そのものなのか。
たぶん……違う。
老婆の主義主張に同意しているものからすれば、彼女は善であり、正義そのものだ。
むしろ俺たちの存在こそ悪だと断じるに違いない。
では、悪とは何だ?
正義とは何だ?
善悪の境界線は一体どこにあるのだろうか。
法に触れること、他人に迷惑を掛けること、それらを一括りに悪として断じてもいいものなのか今の俺にはわからない。わからなくなってしまっている。
今まで信じてきた道に罅が入る音が頭の中に響く。
何が正しくて何が間違っているのか。その境界線が徐々にあやふやになっていく。
そんな気持ちの迷いが顔に出てしまっていたのだろう。
スカルパ公爵は悪意のない微笑を俺にほんの一瞬だけ向け、そして――修羅となる。
「炎の王と風の王に挟まれ、魔法も使えぬとな……」
「ああ、そうだね。いわゆる『詰み』ってやつさ。もう一度だけ訊こうか。それでもまだ抵抗を続ける気かい? マファルダ君。今なら僕の方から君の減刑をダミアーノ君たちに願い出てあげてもいい。今ならまだ君の名誉は守られるはずだ」
それはルヴァンの最後通告だった。
優しさから来たものではなく、おそらく面倒事を回避するための言葉。
しかし、その程度の安い言葉でスカルパ公爵の覚悟が揺らぐことはなかった。
「今宵は良く晴れているのう。窓から見える輝かしい星々の明かりに照らされながら祭りを楽しむ幾万人もの民たちの声が空を突き抜け、天まで届きそうじゃと思わんか?」
「確かに風に乗って人間たちの楽しげな声が今でも聞こえてきているよ。でも、天までは届かない。僕だからこそ拾える声でしかないよ。君たち人間の耳じゃ、とてもじゃないけど拾えないだろうね」
「……ふむ、そうか。であれば、『悲鳴』なら天まで届くのではないか?」
「……悲鳴? どうしたんだい? 君は矛盾しているよ。民を守りたいその一心で謀反を起こそうとしたのに、君は民の悲鳴を望むのかい?」
「矛盾はしておらんよ。一の命で百の命を、百の命で万の命を救えるなら……私は何も躊躇うことはない――!」
と、次の瞬間、咄嗟に目を覆わなければならないほどの眩い閃光がスカルパ公爵から――否、その右手に握っていた木製の杖から放たれた。
魔力阻害の結界を張っていたからこそわかる。
それが魔法による光ではないことを。
副次的な効果で放たれた光であることを。
光が収まり、目を開ける。
すると、そこには変わり果て『怪物』となったスカルパ公爵らしき存在がいた――。
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