第726話 恐怖する心
冷徹なスカルパ公爵の声が聞こえた途端、ミロの様子に異変が起こる。
緊張と警戒心も相まって姿勢を正していたミロは突如として全身を脱力させ、頭をガクンと落とす。
そして数秒の後、ミロは頭の位置を元に戻すと、感情の起伏を失くした声でこう言った。
「……何も知りません。このまま殺してください」
声のトーンだけではなく、言葉遣いまで変わったミロの様子を見て、ミロとスカルパ公爵を除いた全員の警戒が高まっていく。
「何をしたんだい? マファルダ君」
顔こそ笑っていたが、その目は全く笑っていなかった。
怒りと殺意に満ちた目でルヴァンはスカルパ公爵を問い質す。
「思ったことを口にしたまでじゃが? 何か迷惑でもかけてしまったかのう?」
空々しい台詞だった。
悪びれている様子もなく、むしろ今の状況を楽しんでいる雰囲気さえある。
だが、今はスカルパ公爵のことよりも、重要な参考人であるミロの容態の確認が先決だ。
俺は即座に『
スカルパ公爵が所持しているスキルの中に精神系統スキルが一つもないため、ミロの突然の変異は魔道具――宝具によって引き起こされた可能性が高いと踏んでいた。
しかし、いくら確認しようが、ミロの精神状態は正常。
すなわち、スキルによる影響を全く受けていないことを示唆している。
「――おいっ!」
俺はミロに少し荒げた声を掛けながらその両肩を掴み、力任せに身体を揺り動かす。
演技である線もまだ否定できない以上、不用意に拘束具を解くわけにはいかない。
とはいえ、ミロの状態を確認するには目隠しが邪魔だったこともあり、ハチマキのように巻かれていた黒い布の結び目を解き、表情の確認を行う。
「……殺してください。……殺してください」
壊れた人形のように同じ台詞を繰り返すミロ。
目隠しを外し判明したその表情は誰の目から見ても異常だった。
視点がどこにも定まっていないばかりか、魂が抜けたかのような虚ろな瞳をしていたのである。
「これは……」
到底演技には見えなかった。
かといって、精神系統スキルが使用された痕跡もない。
念のため、『
ともなれば、考えられる理由は一つだけだ。
スキルでもなく宝具でもない、ミロの心に深く刻み込まれた暗示。それしか考えられない。
そして、そのトリガーとなったのは十中八九スカルパ公爵の声であり、言葉だろう。
俺はミロの肩を揺らしながらスカルパ公爵を強く睨み付ける。
ミロが正気に戻る気配はまだない。
変わらず呪詛を呟くように『殺してください』と何度も呟き続けている。
これがスキルによるものなら対処は簡単だった。
だが、彼の意識の奥底に植え付けられたものともなると手の施しようがない。
「私を睨み殺すつもりかのう? 坊や」
頭に急速に血が上っていくのを感じる。
ただの挑発だと理解していても理性が働かない。
人の心を、精神を踏みにじる愚劣な行為を、マギア王国で起きた惨状をこの目で見て来た俺は許すことができなかった。
「もう茶番は終わりにしよう。あんたもいい歳なんだ、さっさと白状した方が楽になるんじゃないか?」
「白状? 面白いことを言うのう、坊や。私に一体何の罪状があるって言うんじゃ? 精々、脱獄したことくらいかのう。
「……貴様、主を愚弄したな?」
怒りが頂点に達しようとしたフラムの姿を見たことで、自分の頭が急速に冷えていくのを感じる。
「待ってくれ、フラム。安い挑発に乗らなくていいよ」
そう言ってフラムを止めた俺を、スカルパ公爵はまたもや馬鹿にするかのような呆れた態度で肩を竦め、しらを切り続ける。
どうやらこの期に及んでも罪を認めるつもりはないようだ。
証拠がなければ裁かれない。
それに加えて公爵家という地位がスカルパ公爵に余裕を与えているのだろう。
状況証拠ならいくつかあるというのに、最後の最後だけが届かない、掴めない。
スカルパ公爵が抱く竜族への嫌悪もそうだし、シュタルク帝国に国を明け渡そうとするその思考もそうだ。
エドガー国王に殺意のない暗殺者を仕向けたのも、ラバール王国とブルチャーレ公国の関係悪化を狙ったものだと考えれば辻褄も合う。
そして、死に際に零したアマートの『お祖母様』に向けた謝罪の言葉。
どれを取ってもスカルパ公爵に繋がっていく。
しかし、どれもこれも決定打にはならない。確実な証拠にはなり得ない。
と、そこまで考えが至ったところで、ふとした疑問が浮かび上がってくる。
極論を言ってしまえば、スカルパ公爵は地竜族を恐れ、シュタルク帝国に下る選択をした。
にもかかわらず、何故執拗にフラムを狙ったのか。
何故地竜族を恐れているのに、炎竜族の最上位に君臨するフラムのことを恐れずにいられるのか。
後者に関してはルヴァンにも当て嵌まるが、そこまで竜族を恐れているならば普通ならフラムからの報復も恐れるはずだ。
では何故スカルパ公爵はフラムを恐れずにいられるのか。
それは、ただ単に地竜族が確実にブルチャーレ公国に牙を剥く存在だからだろうか。
フラムやルヴァンと地竜族の違いを挙げるとするならば、それくらいしか思い当たる節がない。
あるいは、フラムに人間に対する良心があると思っている可能性もないとは言い切れないが、やはりそれは考え難いだろう。
これまでに接点が全くないことからも、スカルパ公爵にフラムの性格を知る術はない。
俺とディアと行動を共にしているからという曖昧な根拠だけで性格を断定するほど愚かとも思えない。
国よりも民を。
それが例え自分の首を差し出すことになろうともスカルパ公爵は躊躇することはないと言う。
もしこれが本心から来たものだとしたら――。
「……初めからフラムに殺される覚悟が――いや、違うな。フラムに殺されようとしていたのか。自分の死をもって竜族の恐ろしさをこの国に、そして民たちに知らしめる。そうすることで世論を反シュタルク帝国じゃなく、シュタルク帝国への降伏へと動かそうとしているのか?」
俺がそう口にした途端、スカルパ公爵の眉が微かに動いた。
これまでのフラムへの襲撃は殺害を目的にしたものではなかったのだろう。
そもそも、たった一人の暗殺者を差し向けたところでフラムを殺せるはずがない。
竜族をあれほどまでに恐れているのならば、その程度のことはわかっているはずだ。
それでもフラムに暗殺者を仕向けたのは、
いずれにせよ魔武会で発生した、竜族を表舞台に無理矢理引き摺り出し、なおかつ竜族に対する恐怖心を観客全員に煽ろうとした件を踏まえると、スカルパ公爵の狙いがフラムにあったことはほぼ間違いない。
フラムを竜族の象徴かつ、恐怖の象徴に据えることで、多くの地竜族を抱えるシュタルク帝国に対する恐怖心まで煽ろうとしたと考えれば、これまでの言動の全てに説明がつく。
しかし、魔武道会の一件はルヴァンの風化の力によって失敗に終わってしまった。
加えて、想定外なことに二度の挑発にフラムが乗って来なかったことも計画が失敗に終わった要因となったのだろう。
スカルパ公爵は結局、軍事同盟を破棄させることにも失敗し、竜族の恐ろしさを周知させることにも失敗した。
おそらくラビリントの象徴である巨塔ジェスティオーネの破壊も、その責任をどうにかフラムに擦り付けることで、竜族への恐怖心を国民に植え付けようとしていたに違いない。
だが、全て失敗に終わった。
故に、スカルパ公爵は最後の賭けに出るしかなくなった。
賭けられるものは、もう一つしか残っていない。
それは――己の命だ。
「……最後に大きな花火を打ち上げるとするかのう」
そう言ったスカルパ公爵は不気味に、そして不敵に嗤ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます