第725話 意思決定
曖昧な憶測でシュタルク帝国に靡こうとしていた嫌な流れをラバール国王が見事に断ち切る。
その宣言でヴィドー大公はようやく目を覚ましたのか、スカルパ公爵の誘惑を払い除け、改めて己の意思を表明した。
「そうだ……我々には民を守る責務と義務がある。だが、それと同時に我々は長きに渡ってブルチャーレ公国を繁栄させてきた先祖に報いらなければならない。例え、この先にどのような困難が待ち受けていようとも、愛する祖国を守る。これだけは決して曲げることは許されない。世界の覇権を目論むシュタルク帝国の横暴をこれ以上許すわけにはいかない」
「青い、青過ぎるのう。民あっての国じゃ。優先すべきは民であり、国ではない。国を守るために民を殺すのか? シュタルク帝国の力を知っていてもなお、民を戦場に向かわせるつもりなのか? 本末転倒とはまさにこのことよ」
どちらの言い分も間違ってはいないだろう。
民を守る。
この一点において、両者の意見はほぼ一致していた。
異なるのは国を軽視せずにシュタルク帝国という脅威に立ち向かうのか、はたまた勝機はないと潔く白旗を上げ、その温情に縋るのか。
両者の言い分はその違いしかない。
意見が割れてしまうのも無理はない難題だと言えるだろう。
一方で、エドガー国王は前者を選んだ。
フラムへの信頼が大きかったのもそうだが、それよりもシュタルク帝国への不信が上回った結果の答えだった。
ラバール王国は君主制を採用していることから、意思統一の面ではブルチャーレ公国よりもスムーズに進められるのも大きい。
君主制の利点を活かした上での素早い意思決定を行えていた。
だが、ブルチャーレ公国は違う。
四つの公爵家が国を統治していることから、対立することも珍しいことではないだろう。
現にこうしてヴィドー大公とスカルパ公爵の意見が割れてしまっている。
どちらの言い分も間違っていないことも状況をややこしくしてしまっている要因の一つとなっていた。
しかし、現時点では二人のパワーバランスは大きく異なる。
片や実質的にブルチャーレ公国の頂点に立つ大公。
片や重犯罪の容疑をかけられている大公。
どちらの意見が通りやすく、また支持を得やすいかなど火を見るより明らかだった。
「俺は変わらず大公につかせてもらうぜ。シュタルクの家畜に成り下がるなんざ死んでも御免だからな」
「私もだ。貴族として、そして武人として剣を交えずに国を明け渡すことはできぬ。我らの代でブルチャーレ公国の長き歴史に終止符を打つなど、断じて許容できるものではない」
各々その思惑こそ違えど、ラフォレーゼ公爵とバルトローネ公爵は迷いを捨ててヴィドー大公を支持した。
その支持がより一層ヴィドー大公に自信を与えたのか、清々しいほど真っ直ぐな瞳で言葉を続ける。
「――三対一。もはやこれ以上の議論の余地はない。我らブルチャーレ公国は、ラバール、マギアの両国と連携を取り、シュタルク帝国の猛威に抗うことを決定する」
スカルパ公爵の対立意見がありながらも、この日二度目の意思表明が行われ、ブルチャーレ公国はヴィドー大公主導のもと、国の方針を定めた。
もうどう足掻こうが、覆すことはできない。
そもそものところ、スカルパ公爵の論には致命的な穴があった。
夢物語や妄想の類であると切り捨てられるべき点があった。
シュタルク帝国に縋り、民の命だけでも救ってもらおうなど、希望的観測に過ぎなかったのだ。
無論、その可能性がゼロとまで言うつもりはない。
価値が認められれば、シュタルク帝国民として受け入れられることもあり得るだろう。
しかし、それは国民全員に当て嵌まることではない。
選別し、価値がないと判断された者は容赦なく処理されるのが目に見えている。
結局のところ、どちらの意見を採用しようが、全員が助かる未来なんてものはどこにもありはしないのだ。
国の方針は定まった。
ともなれば、次に行われるのは――審判だ。
スカルパ公爵もとい、容疑者マファルダ・スカルパの審判を下す時が訪れる。
全員の視線がスカルパ公爵に集まり、そして次にバルトローネ公爵の傍で転がっている白仮面の男に視線が移る。
「バルトローネ公爵、仮面の男を椅子に拘束し、その仮面を外してくれ」
「承知した。暫し待たれよ」
予め部下に用意させていたのか、バルトローネ公爵は会議室から出ると、ものの数分もしないうちに拘束具を両腕に抱えて部屋へと戻り、男の手足を拘束。
そして仮面を剥ぎ取り、目隠しを済ませて自分の席へと戻った。
「もう起きるよ」
ディアの呟きが会議室に落ちるや否や、椅子の上で拘束された男の身体に力が戻っていく。
指先がピクリと動き出し、次に寝言に近い唸り声が上がる。
そして、うなだれるように頭を下げていた男は徐々に意識を覚醒させて姿勢を正すと、掠れた声を上げた。
「う、うぅ……っ!?」
ようやく自分が拘束されていることに気付いたのだろう。
視界が失われた中、手足をバタつかせ、強引に拘束具を引き千切ろうと試みる。
「諦めよ、その拘束具は並大抵の力では壊れぬ」
「くそっ、がああああああッ!!!」
バルトローネ公爵の言葉を無視し、男は拘束具から抜け出すべく抗う。
金属の鎖が擦れ合い、ジャラジャラと音を奏でる。
だが、抵抗虚しく男の手首が変色していき、僅かに血を流すだけで拘束具はびくともしない。
それでも男は諦めず、耳を劈くほどの大絶叫を上げながら、必死の抵抗を見せる。
「あああああ!! ふざけるなッ!! 俺を解放しろッ!!」
狂乱状態に陥った男の醜い姿に辟易したのか、フラムが冷たい視線を浴びせる。
「おい、ルヴァン。こいつを黙らせろ」
「黙らせることは簡単だけどさ、いいのかい? 彼をまた眠らせてしまって」
「ちっ……、それもそうか……。誰か状況を説明してやってくれ。耳が痛くなってきたぞ」
男に状況説明を行う適任者がいるとすれば、捕まえて連れてきた俺かディアしかいないだろう。
面倒なことこの上ないが、話をこれ以上中断させられては困る。
渋々ながら俺は席を立ち、目隠しされた男のもとまで向かい、耳元で囁く。
「いいか、良く訊け。お前は捕まり、そして今から訊問を受けてもらうことになった。死にたくないんだったら自分の立ち振る舞いを良く考えるんだな」
「その声は……!? クソが……」
そう俺が脅した途端、男は抵抗を諦め、口を閉じた。
俺の声を覚えていたこともあり、今ここで足掻いても無駄だと判断したのだろう。
もちろん余程のことがない限り、貴重な証人を殺すことなど本来ならばあり得ないが、冷静さを欠いている男にそんな判断を下せるはずもなく、大人しく指示に従う姿勢を見せた。
男の準備が整ったことを俺はヴィドー大公に視線で告げると、自分の席には戻らずに万が一に備えて男の隣で控える。
「今からいくつか質問を行う。嘘偽りなく答えよ。名は何と申す」
既に俺は男の名前を把握していた。
もしここで嘘を吐いたところで簡単に嘘が露呈するだけ。
その時は対応を改めて考えなければならないだろう。
強迫でダメなら、暴力で。
あまり取りたくない手段だが、綺麗事を言っている場合ではない。
「……ミロだ」
仮面の男ことミロは偽名ではなく、俺の眼に映った通りの真名を告げていた。
俺はすぐさまヴィドー大公に頷き、ミロの発言に嘘がなかったことを伝える。
「よろしい。では次の質問だ。ジェスティオーネに忍び込み、破壊を試みたのは其方とその仲間たちで相違ないな?」
「……そうだ。だが、知っての通り失敗に終わった。俺の隣に立っている化物に仲間たちが殺されちまったからな」
探知系統スキルは持っていないが、隣に立っている俺の気配くらいは容易に掴めているようだ。
化物呼ばわりされたことは心外だが、今のところ正直に質問に答えていることもあり、少しくらい大目に見るとしよう。
その後も訊問は続いた。
当たり障りのない問いからしていくことで知らず知らずのうちに男の口が軽くなることをヴィドー大公は期待していたのだろう。
「……《
そして、いよいよ核心に迫る問いをヴィドー大公が投げ掛けようとしたその時だった。
「随分とお喋りな子じゃのう。一体誰に躾けられたのじゃろうな」
マファルダ・スカルパの底冷えした声が聞こえてきたのは。
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