第724話 虚飾の盾

 フラムの言葉はまさしく地竜族への宣戦布告そのものだった。


 約定を破った地竜族への制裁。

 炎竜族と風竜族が地竜王アース・ロード率いる地竜族の対処にあたるということは、すなわちそれは事実上、シュタルク帝国とも敵対する――そう思ってしまってもおかしくはない。


 シュタルク帝国への対応に頭を悩ませていた国々にとっては、まさに僥倖と思う他ないだろう。

 炎竜王と風竜王が偶然にも味方になってくれるのだと、勘違いしてしまっただろう。


「それはつまり……っ!」


 大きく目を見開いたヴィドー大公の瞳に光が灯る。

 それは希望の光であり、閉ざされかけていた明るい未来への扉を開け放つには十分過ぎる衝撃だった。

 ルミエールをその手中に収めようとしていたラフォレーゼ公爵も、ブルチャーレ公国の軍事を統括するバルトローネもフラムの宣言を聞いた反応はほぼ同じ。

 皆が皆、希望に縋り、そして歓喜の表情を隠し切れなくなっていた。


 その一方で、スカルパ公爵とエドガー国王の反応は薄い。

 エドガー国王に限ってはほんの僅かに目を瞬かせた程度で、その後すぐに複雑そうな表情を浮かべている。

 スカルパ公爵に限ってはそもそもフラムの言葉を信じてすらいない様子で、鼻で小さく笑い飛ばしていた始末。


 細かな違いこそあれど、反応は真っ二つに割れている。

 フラムの言葉をそのまま鵜呑みにし、都合良く自己解釈してしまえば、歓喜に酔いしれる者が現れても何ら不思議なことではない。


 だが、俺は知っている。

 フラムが、ルヴァンが、ブルチャーレ公国のために動くことはないと。

 人間同士の戦争の道具に成り下がるわけがないことを理解していた。


「そうしてくださるのであれば、我々はシュタルク帝国の侵攻を跳ね除けることができる! いや、それどころか反転し、攻勢に出ることも不可能ではあるまい!」


 興奮気味にバルトローネ公爵が未来への展望を語る。

 今頃、彼は脳内で対シュタルク帝国を想定した戦略を練っていそうだ。

 しかし、ルヴァンが次に放った言葉によって、熱し過ぎていたバルトローネ公爵の頭を急速に冷やすことになる。


「どうやら君たちは大きな誤解をしているようだ。そうだね、フラム君の言い方が少し悪かったのかもしれないな。だから僕から補足させてもらうよ。いいかい? 僕らは竜の約定ルールを破った地竜族たちにお仕置きをしようと考えているだけで、君たち人族の争い事に介入するつもりなんて微塵もないのさ。すまないね、勘違いをさせてしまって」


 謝罪を口にしていたものの、ルヴァンに悪びれた様子はない。むしろ喜びの感情を急速に萎ませていった三人の様子を見て楽しんでいるようにも見える。


 やはりルヴァンはその優しげな見た目とは裏腹に、どこか性格が歪んでいるとみて間違いなさそうだ。

 その性質の悪さからか、俺が知る他の竜族と比較すると、どうしても気味悪く映ってしまう。


 ルヴァンを簡単に信用するのは危険だ。

 俺の心がそう警鐘を鳴らしていた。


「おい、私の説明が下手くそだったと言いたいのか?」


「いやいや、そんなことはないよ。少しだけ言葉が足りなかったと思ったから付け加えさせてもらっただけさ」


 フラムに睨まれたルヴァンはわざとらしく慌てた素振りを見せながら弁明し、難を逃れる。


「……まあいいか。実際、ルヴァンの言葉は正しい。私たち竜族が相手をするのは、あくまで地竜族だけだ。そこを履き違えられてしまっては困る。間違えても私たちを戦力の一つとして数えてくれるなよ」


 ヴィドー大公たちが意気消沈していく様が手に取るようにわかる。

 本人たちに自覚はないだろうが、『期待外れ』だと言外に言ってしまっていた。

 肩を落とすヴィドー大公たちとは対照的に、スカルパ公爵はルヴァンとフラムの言葉を聞き届けると、ケラケラと愉快そうに、そして邪悪に嗤い、さらなる追い討ちをかける。


「クカカッ、これでようやく理解したかのう? 今さら救いなんてものはない。詰んでおるんじゃよ、私たちは。シュタルク帝国は正真正銘、地竜族を引き込んだ。仮初の力でも、容易に揺らぐ関係でもない。もはや奴ら地竜族はシュタルク帝国の臣民となったも同義。それに引き換え、こちらはどうじゃ? 炎竜王の言葉を信じたとしても、盾を手に入れただけに過ぎん。何者にも破られることのない頑丈な盾かもしれんが、いつ現れ、いつ消えるかもわからん虚飾の盾じゃ。そのようなものを信じろと言うのか? 私には無理じゃよ。竜族の気まぐれで左右される未来など望まんし、真っ平ごめんじゃ」


「だが、それではシュタルク帝国に蹂躙されるだけだ……」


 弱々しい声でヴィドー大公がスカルパ公爵に反論する。

 明らかに自信を失ったその声に、スカルパ公爵は悪魔の囁きで応じた。


「そう難しく考える必要ない。蹂躙される前に手を打てば良い話じゃ。――シュタルク帝国の属国にしてほしい、とな」


 その言葉を聞いた瞬間、ドンッとけたたましい音を立て、バルトローネ公爵が椅子から立ち上がる。


「貴様! 本性を現しおったな! シュタルク帝国にくだれだと!? それでも貴様はブルチャーレの貴族か!!」


 耳を劈くほどの叫びが会議室に響き渡る。

 怒りに支配された直情的な声を浴びてもスカルパ公爵は怯むことも熱くなることもなかった。


「負けん気と誇りだけで民を守れると言うのか? 否、守れんよ。それにお前さんは大きな勘違いをしている。貴族だからこそ民の命を守る責務がある、義務がある。それが例え亡国の道を進むことになろうとも、愛すべき民の命には変えられん。……私は思うんじゃ、シュタルク帝国とて鬼ではなかろうとな。潔く白旗を掲げれば、私たち貴族の首と引き換えに民の命を救ってくれるはずじゃ。もしかしたら、今よりも良い生活を送ることもできるやもしれんのう」


「……っ」


 顔を真っ赤にしながらも、反論の言葉はそこで止まった。

 バルトローネ公爵もスカルパ公爵の言葉に何か思うところがあったのだろう。


 今やこの世界ではシュタルク帝国が頭二つ三つ抜けた存在になっている。

 民のことを本当に思えば、そんな超が付くほどの大国を相手に戦うよりもさっさと白旗を上げた方が良いと思ってしまっても不思議ではない。


 嫌な流れだ。

 主導権がスカルパ公爵に移ろうとしてしまっている。

 スカルパ公爵はシュタルク帝国のことを『鬼ではない』と評していたが、マギア王国の惨状を目にした俺からすれば、それは違うと断言できる。


 あれは悪魔だ。真の邪神だ。

 人の心を弄び、圧倒的な武力でマギア王国の大半をいとも容易く、侵略していったあの光景は今でも俺の脳裏に焼き付いている。

 しかもあの戦争のことを俺たちは事前にアーテから知らされていたのだ。

 きっとあの戦争は俺たちに向けた遊戯ゲームの一つだったのだろう。


 遊戯感覚で侵略戦争を行うアーテが、白旗を上げたからと言って生温い対応をしてくれるとは到底思えない。

 もしこのままスカルパ公爵の提案にブルチャーレ公国が乗ろうものなら、それこそ破滅の道に進むだろうと俺の勘が告げていた。

 だが、今ここで俺が意見したところで誰の心にも響かないことは火を見るより明らか。

 それどころか一瞥もくれずに流されてしまうだけだろう。


 モヤモヤとした感情だけが胸の中で渦巻いていくその最中、意外な人物が椅子から立ち上がり、弁を振るった。


「ラバール王国の国王として言わせてもらう。俺はシュタルク帝国を信じるよりも、フラムの言葉を信じる。言っておくが、誰が止めようとも俺はこの考えを変えることは絶対にない。――今ここで宣言させてもらおう。我がラバール王国は世界を蝕もうとするシュタルク帝国に最後まで抗い続けると」

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