第721話 彼我の差

 スカルパ公爵を追及するルヴァンの言葉を嘘と切り捨てるのは簡単だ。

 証拠もなければ、他に証人もいない。

 通常であれば、風竜王ウィンド・ロードだけが成し得た曲芸紛いの盗聴によって入手した情報だけで罪人だと決めつけるのは早計過ぎるだろう。


 しかし、今この場でルヴァンを疑う者は誰一人としていなかった。

 異議を唱える者はもちろん、スカルパ公爵に寄り添おうとする者さえも現れない。

 だからといってルヴァンを信用しているのかというと、それも少し違うのだろう。


 では何故、スカルパ公爵に向ける眼差しが皆、厳しいものになっているのか。

 それはひとえに、スカルパ公爵の信用が地の底まで落ちていたからに他ならない。


 彼女が僅かに覗かせてきた思想や主義主張、その他にもいくつかの状況証拠が積み重なり、もはや目を背けることができないほどの強い疑いが掛かっている。


 言い逃れることも、とぼけることも難しい。

 そのことはこの場にいる誰よりもスカルパ公爵が理解していたようだ。


 追及の姿勢を崩さないルヴァンの翡翠色の瞳から逃れるように目を軽く伏せたスカルパ公爵はゆっくりと大きな息を吐き、疲労の色が隠せない声を上げた。


「砕けて、散って、失って……その先に一体何が残るのか。お前さんは知っておるか? 恐れずにいられるか?」


「急に何を言っているんだい? 意味がわからないな」


「お前さんには訊いておらんよ、風竜王。今私が問いかけているのはダミアーノ、お前さんにじゃよ。ブルチャーレ公国を治める大公として、忌憚のない意見を訊かせておくれ」


 突然、話を振られたことでヴィドー大公はその表情に微かな動揺の色を浮かべ、疑心暗鬼になりつつも正面から言葉を受け止める。


「……シュタルク帝国。そう遠くない未来に訪れるであろうシュタルク帝国との戦いのことを言いたいのか?」


「正しくもあり、間違っているとも言える。私が言っているおるのは、地竜族を連れたシュタルク帝国との戦いのことじゃよ。シュタルク帝国と剣を交えればブルチャーレ公国は全てを失うことになる。文字通り『全て』、じゃ」


「……全てを失う? 何を当然のことを。シュタルク帝国はこの世界の覇権を握るために戦争を起こそうとしていることは周知の事実。故に我らはシュタルクの蛮行に抗わなければならない。民を、祖国を守るために。それに、今も昔もシュタルク帝国が脅威である事実は何一つとして変わらないはずだ。外交に貿易、そして経済や軍事と、シュタルク帝国が我らに牙を剥く度に幾度となく対処をしてきた。今になって尻尾を巻いて逃げるような真似ができるはずがない」


 毅然とした態度で己の、ひいてはブルチャーレの方針を宣言するヴィドー大公。

 その言葉に追従する形で、パオロ・ラフォレーゼ公爵とウーゴ・バルトローネ公爵が次々と同意を示す。


「みすみす国を明け渡せって言いてえのか? スカルパの婆さん。全く話にならねえな。俺たちは貴族だ。それも有象無象の貴族とは訳がちげえ公爵様だぜ? 果たすべき義務っつうものがあるだろうが。違うか?」


「然り! 我らには民を、そして祖国を守る義務と使命がある! 如何にシュタルク帝国が強大な力を持っていようと抗わなければならぬし、事実としてこれまで我らは一丸となることで祖国を守り続けてきたのだ! 多少旗色が悪くなったからといって臆病風に吹かれるわけにはいかぬ! 我らがブルチャーレ公国の力を侮るでないぞ!」


 顔を赤くし、唾を飛ばしながら自国の力を誇るバルトローネ公爵。

 その威勢の良さと怖気づくことのない勇猛さは多くの者に光と勇気を与え、称賛されて然るべき姿だろう。


 だが、その一方で俺はどこか冷めてその話を訊いていた。

 決して興味がないわけでも、他人事のように思っていたわけでもない。

 ただ漠然とそれは理想論であり、現実を知らないのだと思ってしまっていたのだ。


 俺はこの目で、この肌でシュタルク帝国の力を知った。

 マギア王国で起きたあの痛ましい戦争を体験してきたのだ。

 だからこそ断言することができる。

 ――ブルチャーレ公国ではシュタルク帝国には敵わない、と。


 無論、俺はブルチャーレ公国の軍事力を全て知っているわけではない。俺が知っているのはスカルパ公爵の手足であろう者たちの力だけだ。


 並の上級冒険者を遥かに上回る確かな実力が彼らにはあった。

 だが、それだけだ。

 真の強者と言える存在は誰一人としてその中にはいなかった。

 この塔を巡回していた騎士たちとて、真の強者に該当する者は見当たらなかった。

 四大公爵家が集まっているこの重要な場でさえ、言い方は悪いが、程度の知れた者しかいなかったのだ。

 底が見えたと言っても過言ではないだろう。


 とはいえ、それだけでブルチャーレ公国が例外的な強さを持った個を隠している可能性までは否定できない。

 しかし、精々片手で数え切れる程度がいいところだ。

 もしそれ以上の数を隠し持っているのだとしたら、『銀の月光』のメンバーであり、イグニスの妹であるルミエールに対し、あれほどまで躍起になって味方に引き込もうとは考えないだろう。


 今思えば、ルミエールを求めていた時点でブルチャーレ公国の軍事力が低いことを間接的に示唆していたようなものだ。

 もし俺の推測が正しければ、ブルチャーレ公国の軍事力は魔法先進国と言われていた、かつてのマギア王国よりも下。

 事実、この国の騎士たちの中で、マギア王国の新たな女王となったカタリーナよりも実力が勝っていると言える者は確認できなかった。

 その点だけを鑑みても、やはり軍事力の面ではブルチャーレ公国よりもマギア王国が上回っているとみて間違いはなさそうだ。


 そんなマギア王国が呆気なくシュタルク帝国に敗れたことを考えると、やはりブルチャーレ公国ではシュタルク帝国には勝てない。

 下手をすれば、まともに抗うことすらできずに容易く葬り去られてしまう可能性だって十分に考えられる。

 これらは全てラバール王国にも同じことが言えるだろう。


 俺がどこか冷めていたのはそれだけが理由ではなかった。

 バルトローネ公爵が過去の実績を誇っていたが、過去は過去のことでしかない。

 そもそものところ、シュタルク帝国が本気でブルチャーレ公国との戦いに臨んだことがあったのかさえ懐疑的だった。

 あれほどの戦力を持っていながら、何故シュタルク帝国は過去も、そして今もブルチャーレ公国を放置し続けているのか。


 理由はわからない。

 地理的な要因なのか、政治的な要因なのか、戦略的な要因なのか、あるいはもっと別の思惑があってのことなのか。


 いずれにせよ、極端なことを言ってしまえば、シュタルク帝国の気分次第で未来が左右されると言えてしまうだろう。

 今でこそまだ占領した旧マギア王国の統治で忙しくしているだろうが、それも時間の問題だ。

 そう遠くない将来、シュタルク帝国は必ずブルチャーレ公国に、そしてラバール王国にもその触手を伸ばしてくる。


 うかうかしている時間はない。

 根性論でどうにかなる問題でもない。

 最善手を常に追い求め、一刻も早くシュタルク帝国の暴力に対抗する術を持たなければ、いずれ――。


 俺がそんなことをぼんやりと考えていると、スカルパ公爵が侮蔑を含んだ声を上げる。


「無知が罪であることを改めて思い知らされたわい。お前さんたちは何もわかっちゃいない。何も見えていない。シュタルク帝国は変わった。昔とは比べ物にならないほどの竜族という名の圧倒的な力を手に入れた。剣を交えたら最後、ブルチャーレ公国は塵すら残らずにこの世界から消し去られてしまうじゃろう。いまや軍事同盟でどうこうなる相手ではないんじゃよ。間違っておるか? 風竜王、そして炎竜王よ」

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