第719話 高くついたツケ
想像を超えていた。
心が震えていた。
知的好奇心という名の欲望が刺激された。
(本当に……本当に興味深い。流石はフラム君が選んだ人間ということだけはあるね。まさかここまでの力を持っているとは思わなかったよ)
ルヴァンはフラムに好奇の瞳を向けながらも、その心の中では紅介とディアの二人に称賛を贈っていた。
初めて出会ったその時から只者ではないことはわかっていたつもりだ。
しかし、現実はどうだったか。
紅介とディアの実力はルヴァンの想像を遥かに超えていた。
とりわけ巨塔ジェスティオーネを僅かな時間で新たな姿に変貌させたその力はルヴァンが持つ常識の外にあったほどだ。
その力は人の領域を超え、それどころか竜族の領域さえも超えていたと言っても過言ではない。
非現実的なほどの莫大な魔力に緻密な魔法制御能力。
そのどちらかが欠けていれば成し得ない偉業だ。
故にルヴァンは思ったのだ。
根拠など何処にもない。
けれども、これは神の御業なのではないかと。
「ったく、いちいち大袈裟な奴だな。地竜族の奴らでもある程度の力を持った者ならこの程度の塔を建てるくらいわけないだろうに」
「いやいや、ゼロから造るのとはわけが違うさ。それにこれほど大きな建造物を造り直すには――」
好奇心ばかりが先走り、ついついルヴァンは竜の逆鱗に触れかけてしまう。
そんなルヴァンを瀬戸際で救ったのはそれまでフラムの右腕として傍に控え、沈黙を貫いていたイグニスだった。
「――そこまでにされては如何でしょう。お喋りが過ぎますよ、風竜王」
イグニスの言葉でふと我を取り戻したルヴァンは両目を軽く見開き、謝罪と感謝を口にする。
「おっと、すまないことをしてしまったようだ。助かったよ、イグニス君。お陰で頭を冷やすことができた」
文字通りルヴァンは『助かった』と心の底から安堵する。
もし先のタイミングでイグニスから制止の言葉を掛けられていなければ大惨事を招いていたかもしれない。
(ははっ、危ない危ない……肝を冷やしたよ。らしくない迂闊な真似をしてしまいそうになったな。すっかり忘れそうになっていたけど、僕が話している相手はあのフラム君なんだ。僕が知る限り誰よりも苛烈で誰よりも強い、真の竜王。勝手な憶測で棘が取れたと思っていたけど、気を引き締め直した方が良さそうだ。今はまだこの気持ちはしまっておくことにするよ――)
「詮索はもう終わりでいいな?」
「ああ、改めて謝罪させてもらうよ。踏み込み過ぎてしまったようだ。本当にすまない」
「普段は飄々としているくせに、いきなりそこまで腰を低くされると気味が悪いぞ……」
「ははっ、そう気味悪がらないでくれよ。すぐに謝罪できるっていうのは美徳じゃないかな」
弛緩した空気が流れ始めたことで、ルヴァンはようやく深い呼吸をすることに成功する。
そして今の会話を経て、改めてルヴァンは一つの結論に至っていた。
(僕の憶測もあながち間違っていなかったみたいだね。昔のフラム君だったら茶化して流そうなんてしてくれなかったはずだ。……変わった君が羨ましいよ、本当に。フラム君は信頼できる
儚く消え入りそうな微笑を口元に浮かべ、ルヴァンはフラムから視線を外し、居住まいを正す。
「さて、いい加減に本題へと戻ろうか。ダミアーノ君、話を進めてくれないかい?」
客人であることを忘れていなかったルヴァンは会議の主導権をダミアーノに渡す。
だが、当のダミアーノは準備がまだ整っていなかった。いや、それはダミアーノだけではない。
乱れきった金色の髪を手櫛で整えている最中だったパオロ・ラフォレーゼも、騎士たちを指揮するために会議室を離れているウーゴ・バルトローネも、そして今会議にて最重要人物であるマファルダ・スカルパも揺れの影響で酷く体力を消耗しており、会議を再開できるほどの支度が整っていなかった。
他にも床に散らばった書類や備品の片付けも済んでいない。
そのような状態でまともな議論などできるはずもなく、ダミアーノはルヴァンの進言に待ったをかけざるを得なかった。
「今暫く待っていただけないだろうか。ご覧の通り、我らも会議室もこの有り様。今すぐ使いの者を呼び、再開に向けた準備を行いたい」
懇願に近いダミアーノの申し出にルヴァンは苦笑いを浮かべることしかできなかった。
力なき人間の脆弱な点も然り、悠長にしている点もそうだ。
ルヴァンはつくづく人間という生き物の愚かさを思い知り、苦笑するしかなかったのである。
(ああ……人間の愚かさと醜さばかりが頭の中を埋めてくしてしまうね。そんな人間だけじゃないとはわかっているつもりだけど、やっぱり僕はエルフしか愛することができないみたいだ)
そんなことを考えていると、ふとフラムから命令に近い冷たい声を掛けられる。
「おい、ルヴァン。もう私は暇過ぎて限界が近い。お前の力なら床の掃除くらい簡単にできるだろう?」
「それは僕が掃除をしろって意味かい? フラム君……君は僕を便利屋か何かだと思ってやしないだろうね。まあ、別に構わないけどさ……」
気乗りなどするはずもなく渋々ながらに引き受ける。
先の追及に対する贖罪だと思えば、幾分か気持ちが楽になった。
一つ息を吐きながら、ルヴァンはパチンッと指を鳴らす。
すると、会議室の各所に膝下ほどの小さな竜巻が発生し、床に散らばっていた書類をかき集めて円卓へと戻し、その他備品や装飾品などもまるで時間を巻き戻していくかのように元の場所へと運ばれ、あっという間に散らかっていた会議室が元の姿へと戻っていく。
「書類の整理は各自で済ませてほしい。僕はそこまで器用じゃないからね」
ふわりと風に乗って円卓の上に戻ってきた書類の数々に唖然と瞬きを繰り返しながらダミアーノが頭を小さく下げる。
「……ル、ルヴァン殿、感謝申し上げる」
「感謝されるほどのことじゃないさ。それにフラム君からの命令――じゃなくてお願いだったからね」
「おい、ルヴァン」
またもやフラムから唐突に名前を呼ばれ、ルヴァンは口元を引き攣らせて、返事をする。
「な、なんだい? フラム君。また僕に何か――」
「確かお前は治癒魔法も使えたな? ついでに今にも倒れそうになっている婆さんを治してやれ。あーそれとだな、主とディアをここに呼んでやってくれ。ウーゴだったか? そいつのことを頼んだぞ。盗み聞きができるくらいなんだ、遠く離れた者に声を届けるくらい容易いだろう? 違うか?」
お願いでもなければ命令でもない。ただの脅しだった。
フラムは言外にこう言っていたのだ――『盗み聞きをした分の謝罪がまだだ』、と。
その真意に気付かぬルヴァンではない。
的確にフラムの言葉の意図を汲み取り、決して小さくはないため息を吐きながらも、大人しくフラムの指示に従う。
「はぁ……。わかってる……わかっているさ、僕に任せてくれ。でもこれで謝罪も貸し借りも無しにしてくれよ」
「うむ、それでいいぞ。やはりお前はプリュイとは違って大人というか、まともな奴だな」
「あはは……。プリュイ君には申し訳ないけど、彼女と比べられるのは心外だよ……」
尽きることのないため息を繰り返しつつ、ルヴァンはマファルダに治癒魔法を施し、風に声を乗せて紅介とディア、そしてウーゴの三人を会議室に呼び出したのであった。
同日同時刻。
「――くしゅんっ!!」
マギア王国のとある山中で、少女と思われる可愛らしいくしゃみが響き渡ったという―――。
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