第718話 力の在り処

 ディアを基点に魔力の暴風が吹き荒れる。


「なっ……」


 魔力の奔流に耐え切れず、咄嗟に腕で両目を覆い隠すが、そんなことをしても意味はない。

 元より、俺は魔力を可視化することができないのだ。

 にもかかわらず、俺が咄嗟に目を覆い隠したのは無意識下における反射行動のようなもの。

 知覚できる限界を超えた莫大な魔力に呑まれたことで俺は身体を硬直させ、底知れぬ緊張感の中で愕然と立ち尽くすことしかできなかった。


「ごめんね。少し息苦しいかもしれないけど、ちょっとだけ我慢してて。害はないから」


 そんな俺の様子を見かねてか、魔力の風によって髪を靡かせたディアが優しく微笑み、言葉を掛けてくれた。


 窓から見える外の景色はとっくに暗くなっている。

 だが、夜闇を背にしたディアはどこか神々しく輝いているような気がして、今が夜であることをほんの一瞬だけ俺の頭の中から忘れさせた。


 まだまだディアに集まっていく魔力の激流が止まる気配はない。

 魔力と魔力をぶつけ合い、血で血を洗う戦場でもこれほどの魔力を感じたことは一度としてなかった。


 ――この世界は魔力で満ちている。


 生きとし生ける全てのものだけに限らず、大地そのものからも魔力が生成されていることを俺は知っている。

 ただし、大気中に漂う魔力の量はごく僅か。

 自然生成される魔力の量など、たかが知れている。

 そうでなければ魔力溜まりから発生するという魔物がもっとこの世界に蔓延っていなければ辻褄が合わないだろう。


 しかし、今のこの状況はどうか。

 常識的に考えてこれほどの莫大な魔力がここら一帯に漂っていたとは到底考えられない。

 もし仮に本当にそうだったとしたら、今頃ラビリントの街は無数の魔物が跳梁跋扈する地獄と化しているはずだ。


 それにしても一体ディアはどこからこれほどの魔力を集めたというのだろうか。

 ぼんやりとディアの姿を眺めていると意外なことに答えはすぐに出てきた。

 答えは巨塔ジェスティオーネの真下にあったのだと。


「こんな量の魔力をどこから集めてるのかと思っていたけど……なるほどね。『深淵迷宮』――この塔の地下に広がるダンジョンから魔力を吸い上げていたのか」


「正解。ダンジョンは魔力の発生装置みたいなものだから」


 俺の独り言を拾ったディアが答え合わせをしてくれた。

 その間にも魔力は留まることなく延々とディアの身体の中に取り込まれ、そしてその時が訪れる。


「――うん、もう十分かな。それじゃあ始めるね」


 そう言ったディアは目を瞑ると指と指を絡ませて、まるで祈りを捧げるかのような格好を取る。

 すると、ディアを中心に渦を巻いていた魔力の風がピタリと止む。

 そして次の瞬間、魔力の波動が、光が、ディアから放出された――。


 変化は劇的だった。

 それはまさに神のみぞなせる業だった。


 大量の魔力を集めたディアは巨塔ジェスティオーネを覆うように土系統魔法を使用。

 ディアの魔法によって僅かな振動と共に巨塔ジェスティオーネのところどころ崩れかけていた石壁が、石床が、石柱が、新品同様の姿へとまるでペンキで塗り替えるかのように瞬く間に変貌を遂げていったのである。

 既にディアの手によって金属で補強されたこの部屋も元の材質へと戻り、血みどろになっていた壁や床も綺麗さっぱり新品同様の美しさを取り戻していた。


「……ふぅ。構造的に脆そうなところの補強もしておいたから、これで暫くの間は大丈夫。でも、元々この塔の構造には大きな欠陥があるみたいだから、やっぱり魔法的な補助が必要だと思う」


 一つ息を吐き、胸を撫で下ろすディアだったが、その仕草とは対照的に汗一つかかずに涼しい顔をしている。

 巨大な塔を丸々建て替えたと言っても何ら過言ではない大規模魔法を行使したというのに、信じられないほどの余裕がディアには残っていた。


「いっそのこと塔全体を石じゃなくて、もっと頑丈な金属とかにしようかなとも思ったんだけど、それはそれで重くなり過ぎて危ないかもって。ほら、塔の下はダンジョンになってるでしょ? 地盤が塔の重さに耐え切れない可能性が――……えっと、ぼんやりしてるみたいだけど、どうしたの? こうすけ」


 すっかり呆気に取られていた俺の様子に気付いてか、可愛らしく首をちょこっと傾げるディア。

 自分が何をしたのかまるでわかっていない純粋無垢な彼女の表情からして、自分の偉業を全く理解していないようだ。


 そんなディアの姿がどこかおかしくて、それでいてどこか愛おしくて、俺はその場でしゃがみ込み、大きく口を開けて少し涙目になりながら笑ってしまう。


「……くくっ、ははっ、あははははっ!!」


「えっ? なになに?」


 不思議そうに眉間に皺を寄せ、明らかに困惑しているディアを見ているとさらに笑えてきてしまう。


「ははっ、あー……ごめんごめん、笑いすぎた」


「何か変なこと言ったかな? わたし」


「いや、別に変なことは何も言ってないよ。ただ何だろう……本当に凄いことをしたっていうのに、それに全然気付いていないところがディアらしいなって思っただけだから」


「……?? 凄いこと?? わたしが??」


 頭の上にたくさんのはてなマークを浮かべるディア。

 案の定と言うべきか、やはり偉業を成した自覚が全くないようだ。

 だがこの際、本人の自覚の有無なんてものは関係ない。

 巨塔ジェスティオーネに変化が起きたことは一目瞭然なのだ。

 塔内にいる人々だけではなく、その外にいる人々までこの偉業は波及していくことになる。

 無論、一体誰が偉業を成し遂げたのか、それを知る者は極一握りに限られるだろうが。


 清々しく笑う俺と、困惑しながら心当たりを探し続けるディア。

 俺たちがそんなことを暫くの間続けていると、ようやくこの部屋の中で異変が起きていたことを察知したのか、ウーゴ・バルトローネ公爵の指揮下に入っているという五人のブルチャーレ公国の騎士たちが大慌てで部屋の中に飛び込んできたのであった。


「ご無事のようで何よりです。つかぬことをお聞きしますが、御二方は一体……?」


 ああ、何とも気まずくて恥ずかしい。

 どうやら俺とディアは騎士たちに変人だと思われてしまったらしい――。


―――――――――――


「ははっ、下の方から随分と楽しそうな笑い声が聞こえてくるね。声の主はフラム君の主で間違いなさそうだ。どうやら無事に解決してくれたようだね」


「おい、ルヴァン。主たちの会話を勝手に盗み聞きするな」


 巨塔ジェスティオーネの最上階――会議の間。

 そこではようやく激しい揺れが止まり、待ちに待った束の間の平穏が訪れていた。

 床には備品や書類の数々が散乱し、軽微ながらも揺れの被害を表している。


 平静、混乱、安堵、そして驚愕。

 数多の感情が渦巻いているが、その中でもとりわけ驚愕の感情が色濃く会議室を支配していた。


「倒壊を免れたのか……? いや、それよりも何故ジェスティオーネがこのような姿に……」


 それまで椅子にしがみつき、揺れに耐えていたダミアーノ・ヴィドーがポツリと呟きを落とす。

 その瞳には生まれ変わったかのように艶を取り戻した室内の光景が映し出されていた。


「俄かには信じられない、そんなところかい? でも僕もダミアーノ君の気持ちが十分過ぎるほどわかるよ。だってそうだろう? この巨大な塔をたった一つの魔法で一瞬のうちに造り変えてしまったのだからね」


 そう言ったルヴァンはその視線を退屈そうに頬杖をつくフラムに向けられていた。


「こんな真似は僕が知る限り地竜族でも不可能だろうね。土を司る竜族の業でなければ、当たり前だけど人の成せる業でもない。まるで神の御業のようだ。そうは思わないかい? フラム君」


 ルヴァンの翡翠色の瞳は好奇の色に染まっていたのだった。

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