第717話 砂上の楼閣
「あっ、こうすけ。ちょうどこっちも終わったところだよ」
酷く冷え切った氷壁の向こう側に転移した俺を出迎えたのは傷一つない姿をしたディアだった。
服装に乱れはなく、戦った後とは思えないほど涼しげな顔をしている。
だが、部屋に刻まれた戦いの痕跡とボロボロになって床に倒れている白仮面の男の存在が、ここで戦闘が起きたことを如実に表していた。
「死んでは……ないみたいだね」
傷だらけの白仮面の男に目をやると、そのボロボロな見た目に反して微かに胸が上下に動き、呼吸していることがわかる。
元より、ディアの相手にはならないと踏んでいたが、まさかここまで一方的に戦いを終わらせられるなんて、俺はディアのことを過小に……いや、過保護に思い過ぎていたようだ。
「少し待ってて。このまま放置したら危ないかもしれないから治療しておくね」
「ああ、お願いするよ」
白仮面の治療を始めたディアを横目に、俺は部屋の片付けを始める。
まずは氷壁を砕き、それから床に転がる死体の数々を一箇所に纏めておく。
俺が倒した白仮面の者たち以外の騎士たちの遺体は後で弔ってもらうためにも別の場所に移動させておいた方がいいだろう。
こうして手早く後始末を終えた俺は再度ディアの元に向かった。
「うん、これなら大丈夫かな」
どうやらディアも治療を終えたタイミングだったらしく、白仮面の男の前から立ち上がり、ちょうど目が合う。
「結構時間が掛かってたみたいだから心配してたけど、大丈夫そうだね」
ディアの治癒魔法の腕は超が付くほど一流だ。
骨の一本や二本折れていようが、ものの数秒で治してしまう。
そんな彼女がたったの数分程度とはいえ、たった一人の治療にこれほど時間を掛けたことに俺は僅かな心配と意外感を抱いていた。
「意識が戻らない限界を見極めるのにちょっとね。全快させるのは簡単だけど、そうするとまた暴れられちゃうかもしれないから。たぶん後三十分は起きないんじゃないかな」
なるほど、納得だ。
生かさず殺さずとは少し異なるが、ディアなりに面倒事を避けるための措置をしてくれたとのことだった。
力ずくで連行するつもりでいたが、これなら肩に乗せて簡単に運べるだろう。
ディアにお礼を告げ、未だぐったりとしている白仮面の男を肩に担ぐ。
もうこの部屋に留まり続ける意味はない。
そう思ったのも束の間、ふと天井に突き刺さる無骨な黒柱が視界の中に入り、俺は柱の前で足を止めていた。
「これは……?」
見るからにただの柱ではない。
そもそも床と接していない時点で柱ではなく杭とでも呼ぶべきだろうか。
「たぶんだけど、この塔を安定させるための結界みたいなものだと思う。でも、何かおかしい……。色んな魔力が入り混じったせいで結界そのものが不安定になってる。このままじゃ大変なことになるかもしれない……」
ディアの真剣な声色からして、崩壊寸前と言ったところなのかもしれない。
俺にはこの黒柱の重要性がわからないため、結界が崩壊した後、どういった事態になるのかほとんど見当がついていないが、流石にこのまま放置しておくわけにはいかないだろう。
「結界を修復できればそれが一番なんだろうけど、そんなスキルは持ってないしなぁ……。ディアはどう?」
「わたしの力でも無理だと思う。必要のない混じった魔力だけを抜き取ったとしても、結界そのものを直さないと駄目だから、わたしたちじゃどうすることも……」
俺もディアもお手上げともなると選択肢は一つしかない。
このことをヴィドー大公に報告して、然るべき人物にこの場の対応を任せるしかないだろう。
問題があるとすれば、果たしてそれまで結界が保つのかどうかだ。
制限時間は神のみぞ知る。
まさしく運否天賦になってしまうが、もはやどうすることもできそうにない。
と、その時だった。
神の悪戯か、
「最悪だっ……!」
足から伝わってくる揺れは然程大きくはなかった。
しかし、俺たちの頭上――天井が大きな軋みを上げ、細かな石片が降り注いできたのである。
「こうすけ! 柱が!」
「ああ、わかってる!」
止まる気配のない大きな揺れに耐え切れなくなったのか、黒柱に一本の巨大な亀裂が入り、今にも天井から抜け落ちてしまうのではないかと思うほど、グラつき始める。
神の悪戯に四の五の文句を言っている場合ではなくなった。
何ができるのかはわからない。
それでも今ここにいる俺たちが対応に当たらなければならないことは一目瞭然だった。
「一か八か『
「うんっ!」
大慌てで肩に担いでいた白仮面の男を床におろし、天井に突き刺さる黒柱に手をかざす。
正直、これは賭けにもなっていなった。ただの悪足掻きに過ぎない。
俺が持つ『魔力の支配者』には確かに『スキルの抽出』という能力が存在している。
だがしかし、この能力は使い勝手の悪いスキルと言わざるを得ない代物なのだ。
大前提として、この能力で抽出したスキルは自分の物にはできない。
ありとあらゆるスキルを対象の血液に触れることで一つだけコピーできる『
しかも対象が人や魔物などの生物であった場合、瀕死もしくは仮死状態に等しい酷く弱った状態でしかその効果を発揮することができないという条件付き。
生物からスキルをコピーすることに特化した『血の支配者』を持っている俺からしたら、ほとんど使い道のない死に能力と言っても過言ではなかった。
唯一の利点としては生物に限らずスキルを抽出できるという点なのだが、如何せんその利点を活かすには並々ならぬ労力が必要だった。
まず第一に、器が必要な点だ。
抽出したスキルを自身に移し替えることができない以上、別の物質に付与するしかなく、さらにはスキルの等級に相応しい器が必須となる。
魔石や鉱石などが器として良く馴染むことがこれまで行った実験で判明している。
今回の場合、黒柱に何のスキルが付与されているのかわからない以上、上等な器を用意した方がいいだろう。
これだけなら然程労力にはならない。
魔石も鉱石も俺のアイテムボックスの中に十分過ぎるほど収納してあるからだ。
だが、最も大変なのはスキルを抽出するために多大な集中力と時間が掛かる点であった。
とりわけ時間の部分が致命的だ。
どれだけ等級の低いスキルでも少なく見積もって五分は欲しい。
今回の場合は塔全体を支えていたほどの強力な結界――スキルだと言うこともあり、最低でも二十分……いや、三十分は必要となってくるだろう。
器に移し替えるだけでもそれだけの時間が必要なのだ。
そこからさらに別の作業時間を加えると、とてもじゃないがそれまで塔が保つとは思えない。
神経を研ぎ澄まし、右の手のひらで黒柱に触れる。
左手には日緋色金の塊を握り、スキルの抽出を試みる。
「厳しいか……」
ディアのお陰か、黒柱から伝わる揺れはだいぶ収まっている。
しかし、黒柱に触れた瞬間に俺は『間に合わない』と覚っていた。
真っ暗闇の中でスキルの
スキルの等級が高いほど増えていくピースの数。
やはり最低でも数十分単位の時間が必要だ。
これでは間に合わない。
最悪の事態が――塔の崩壊が先に訪れてしまう。
「――こうすけ、無理なら無理で大丈夫だから」
目を瞑り、集中していた俺の耳元にディアの声が届く。
「えっ? けど……」
手を止めてディアの顔を見つめる。
すると、不思議とその顔は確かな自信で満ち溢れていた。
「心配しないで。強度が足りないのなら、補強すれば良いだけだって気付いたから。――ここからはわたしに任せて」
次の瞬間、ディアを取り巻くように魔力の激流が迸った――。
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