第716話 失った心
――
大き過ぎる代償こそあれど、確かに強力なスキルだ。こと肉弾戦に限れば、右に出る者はそういないだろう。
しかし、戦いとはただ単純に力と力をぶつけ合うだけのものではない。
フェイントを含めた駆け引きや頭脳を用いた戦法、危機管理能力、そして恐怖心などの負の感情も時には必要となってくる。
その点、『知性なき者』は諸刃の剣だ。
如何に戦闘能力を高めようが、自我を失ってしまえば当然弱点が見えてくる。
本能のままに暴れるだけの怪物。
それが『知性なき者』の強みであり、同時に弱点でもあった。
鋭く剥き出しの牙が俺の首筋を目掛けて襲い掛かってくる。
生物の弱点である首を狙った一撃。
アマートの中に眠っていた本能がその身体を動かし、俺の命を刈り取ろうとしてきたのだろう。
だが、そのような見え見えの攻撃をくらってやるほど俺は優しくはない。
大きく口を開き迫りくるアマートに対し、俺は咄嗟に紅蓮を左手に持ち替え、空いた右手をアイテムボックスへと繋がる虚空へと突っ込み、ある物を取り出す。
そして虚空から勢い良く手を引き抜くと、そのまま取り出したある物をアマートの口の中に右手ごと押し込んだのであった。
「――ングァ゙!!」
口の中に手を突っ込んだ俺の右手から腕を伝って血が滴り落ちていく。
どうやら骨までは届いていないようだが、アマートの鋭い牙が俺の皮膚を貫き、食い込んでしまっているらしい。
痛みはなかった。
しかし、一向に血が止まる気配はない。
傷を再生しようにもアマートの牙を手から引き抜かない限り、傷は塞がらないまま。
こういった状態で再生ができないのは『
だが、それと同時に傷口がそれ以上広がることもなかった。
「フグァ゙、ンガァ゙!!」
開きっぱなしになったアマートの口から苦しむかのような荒い息遣いと、くぐもった声が漏れ聞こえてくる。
それから暫くの間、アマートの牙が俺の手を食い千切らんと圧力を増してくるが、微動だにすることはなかった。
何故なら――、
「どうだ? 日緋色金の味は」
俺が咄嗟にアイテムボックスから取り出し、アマートの口の中に押し込んだ
いくらアマートの攻撃力と防御力が『知性なき者』で上昇していようとも、紅蓮の材料となった日緋色金を噛み砕けるはずもなし。
ましてや外皮ではなく口内ともなれば、如何に『知性なき者』の能力の上昇率が高かろうが、その強度など程度が知れている。
「随分と頑丈な歯を持ってるんだな。まさか折れるどころか欠けもしないなんて感心しそうになるよ。でも――これで終わりだ」
右手に魔力を集め、日緋色金の塊まで魔力を流し込んでいく。
そして俺は
脳内で大まかな設計図を描き、日緋色金の塊を複数の鋭い棘を生やしたモーニングスターの柄頭に造りかえたのであった。
「――ガァ゙ッ!」
日緋色金製の細く鋭い棘がアマートの口内をズタボロに貫き刺す。
しかし、痛みも恐怖も知らないアマートは口内で起こった変化に気付くことなく、俺の手を噛み千切ろうとより一層強い力を込める。
アマートの口から、そして俺の手から血液が溢れ落ち、時間の経過と共に足元に小さな血溜まりをつくっていく。
これで勝利条件は完全に整った。
もはやここからアマートがどう足掻こうが、勝敗は決して覆ることはない。
「せめてもの情けだ。自我を取り戻してやるよ」
自我を、心を失ったまま死ぬのは残酷過ぎる。
狂戦士ではなく一人の戦士として俺はアマートを葬るべく、『
アマートの血を浴びて熱を帯びていた身体が急速に元の体温まで下がっていく。
そう……俺はアマートから『
そして俺はすぐさまコピーしたばかりの『魂の制約』を使用し、『魂の制約』を対価として制限をかけ、アマートの『知性なき者』の封印に取り掛かる。
その際、『知性なき者』の能力にある
これによりアマートは自己強化が解除され、数秒と経たぬうちに酷く濁っていた紫紺色の瞳に光が戻り――そしてまた徐々に光を失っていく。
既にアマートの心臓は紅蓮によって貫かれ、今にもその鼓動を止めようとしていたのである。
「嗚呼……負けた、の……ですか……」
朧気な意識の中、アマートは敗北を自覚したのか、そう言葉を零すと大量の血液を口の中から吐き出した。
アマートの口内からは既に棘の球体とも呼べるモーニングスターの柄頭は取り除いてある。
ただし止血もしていなければ、当然治療もしていない。
それでも痛みに耐え、口を動かせたのはアマートが本来持つ精神力の高さ故だろうか。
「お祖母、様……」
その虚ろな瞳には真正面に立つ俺のことなど映っていない。
今ここにいない別の誰かの幻影を見ているかのようだった。
「……申し訳、あり…ま……」
アマートの言葉は最後まで紡がれることはなかった。
心臓まで深く突き刺さっていた紅蓮がするりと体内から引き抜かれ、アマートはそのまま力なく血溜まりのある床へと倒れ、動かなくなる。
「……終わったか。うん、制限されてたスキルも戻ってるな」
使用者が死んだからだろう。
自分の情報を見てみると、『魂の制約』によって封じられていたスキルは元に戻っており、またアマートの『知性なき者』を封じるための対価として自ら制限した『魂の制限』も戻っていた。
紅蓮にこびり付いていた血を拭き取り、鞘へと戻す。
それから亡骸となったアマートを一瞥し、背を向ける。
何も感じていないわけではないが、胸に痛みはない。
人を殺したというのに、棘が刺さったかのような小さな痛みさえも感じなくなっている。
自分でも不思議な感覚だった。
人を傷付け、失うことを極端に恐れていた過去の俺はもうどこにもいないのだと改めて思い知る。
「嫌なものに慣れちゃったな……」
床に転がる数々の死体。
部屋中に漂う血の臭い。
俺はそれらを気にすることなく、ディアがいる氷壁の向こう側へと転移したのであった。
――――――――
時は紅介がアマートにとどめを刺す少し前まで遡る。
そこは冬だった。
マギア王国の厳しい冬をも超える厳冬が、狭苦しい部屋の一画に訪れていた。
「――大丈夫、安心して。わたしに貴方を殺すつもりはないから」
凍てつく吹雪がディアと白仮面の男の間で吹き荒れる。
「お前は……お前たちは本当に人間なのか……?」
「うん、わたしは人間だと思ってるよ」
白仮面の男は既に両足で立っていられるほどの状態ではなかった。
打撲、裂傷、火傷、石化、凍傷が全身を蝕み、満身創痍になっていた。
「――おい! 聞こえるか!? アマート、アマートッ!!」
最後の力を振り絞り、氷壁の向こう側にいる
「助けを呼んでも無駄だよ。こうすけが心配しないように音を遮断してあるから。それに……貴方が助けを求めてるアマートって人じゃ、こうすけには勝てないよ、絶対に」
「バケ、モノが……」
目の前が白く霞み、やがて寒さを忘れ、白仮面の男は耐え難い眠りへと誘われていく。
「……お休みなさい。死なないようにあとで怪我を治してあげるから」
最後に心安らぐ優しい音色をしたディアの声を聞き、白仮面の男の意識はそこで完全に途絶えた。
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