第714話 《白仮面》

 紅蓮の一振りの前では並の防具など紙切れに等しい。

 黒装束の下に着込んでいた鎖帷子くさりかたびらごと白い仮面を着けた男を斬り伏せ、僅か一刀で死に至らしめる。


「う……あぁ……」


 微かな呻き声を上げ、男はピクリとも動かなくなった。

 その際、数滴の血液が俺の頬に触れる。

 身体が熱を帯び、俺の中で眠っていた『血の支配者ブラッド・ルーラー』が目を覚ますが、脳内に流れ込んできた仮面の男のスキルに有益な物は一つもなかった。

 即座に破棄を選択し、身体の熱を冷ますと、俺はすぐさま別のターゲットに向かって走り出す。


 残り六人。

 まだまだ数的不利であることには変わりない。

 だが、俺が『影法師ドッペル』で生み出した実体を伴う分身による囮のお陰で相手はまだ混乱の中。

 俺の分身を見事に殺してみせた連携力は今では見る影もない。

 それでも声を上げて大騒ぎしていないあたり、数多の修羅場を掻い潜ってきた実績があるのかもしれないが、その僅かな隙を見逃す俺ではなかった。


 出入り口である扉を見張っていたうちの一人を倒した俺はそのすぐ近くにいた次の標的に向かって距離を縮める。

 既に倒した男もそうだが、次の相手もなかなかの実力者だった。


 けれども俺の相手ではない。

 実力がかけ離れ過ぎている。


 暗殺や諜報に向いたスキルをいくつも持っているようだが、正面からの戦闘に於いて役立つ物は限りなく少ない。

 そればかりか俺がこの部屋全体に『魔力の支配者マジック・ルーラー』による魔力阻害の結界を張り巡らせているため、結界の対象外に設定している俺とディア以外は満足に魔法一つ使うこともできなくなっている。


 つまるところ、否応なしに魔法に頼らない戦法を相手は取らざるを得なくなっているのだった。


 ――魔法が使えない。

 その異常事態に白い仮面の集団は今頃気付いたのか、慌てた素振りで懐から暗器を取り出し始める。


 俺が次の標的にした仮面の女も例外に漏れず、何処からともなく謎の液体を滴らせた短剣を取り出していたが、もはや手遅れ。

 短剣を握った右手ごと紅蓮で刎ね飛ばし、次の一撃で心臓を穿ち、大量の血液を撒き散らしながら床に倒れ伏した。


 床に転がった死体は二つ……いや、元から転がっていた騎士たちの死体を含めると、その数は十を超えているだろうか。


 これで二対五。

 数の上ではまだ負けているが、主導権はだいぶ俺たちに傾いてきている。

 何より大きいのは二人を倒したことで部屋の一部スペースを俺とディアで完全に掌握できたことだろう。

 これによって背中を壁の隅に預けることで、背後から急襲される心配をする必要がなくなった。

 通常の戦闘なら逃げ場を失わないためにも隅に追いやられないように立ち回るべきだろうが、転移能力を持つ俺には関係のない話だ。


 道は開かれた。

 ここからは俺一人じゃなく、ディアの力も頼りにさせてもらうとしよう。


「援護は任せて」


 ディアからの心強い言葉が背中越しに届く。


「ああ、――任せた!」


 これでようやく文字通りディアに背中を預けられる。

 憂うことは一つもなくなった。

 信頼できる仲間に背中を預け、そして背中を押された俺は次の標的に向かって力強く踏み出す。


 仲間が二人も倒されたにもかかわらず、仮面の集団は混乱の中からすっかりと抜け出していた。


「……やれ」


 部屋の中心にいる男がくぐもった声で命令を告げた。

 すると、然程広くない室内だというのに超高速で放たれた一本の短い矢が俺の眉間を目掛け飛んでくる。


 鏃に毒が塗られていたり、矢そのものに強力なスキルが付与されている可能性が捨て切れない以上、不用意に触れることは危険だ。

 かといって回避を選べば、矢は勢いを殺さずそのままディアに向かっていってしまう。

 一射で俺とディアを狙ったその技量は称賛に値する見事なものだったが、まだ足りない。まだまだ届かない。


 直後、俺は紅蓮に『不可視の風刃インビジブル・エア』を纏わせ――一閃。

 無色透明な風の刃が矢を真っ二つに切り裂き、そしてその直線上に立っていた白い仮面を着けた二人の男女を両断した。


「ば、化け物がっ……!」


 ここに来てようやく窓際に立っていた仮面の男から苛立ちを伴った動揺の声が漏れ聞こえてくる。

 あっという間に仲間が四人も倒されたのだ。

 如何に『死』に慣れていようが、動揺するなという方が無理があるだろう。


 錆びた鉄のような臭いがより濃く室内に漂う。

 一分も掛からないうちに扉付近にいた仮面の者たちは片付いた。


 残すところは三人。室内に限れば二対二の同数だ。

 敵からしてみれば数的優位がなくなってしまった。

 その上、いとも容易く仲間を屠った俺が無傷のまま立ち塞がっているのだ。

 勝機は皆無――そう考えるのも無理はない話だった。


 『観測演算オブザーバー』が塔の壁面に張り付いていた敵の動きを教えてくれる。

 その気配は仲間を救うべく窓から室内に戻るのではなく、命からがら逃げ出すかのように地面に向かって飛び降りていったのだ。


 多少なりとも腕に覚えがある者なら、ある程度の高さから落下しても容易く着地に成功するだろう。

 だが、決して逃がしはしない。

 直線上に落下していったのは致命的なミスだ。空中で幾度と軌道を変えていれば逃げ切れていたに違いない。


 俺は虚空に向かっておもむろに紅蓮を突き刺す。

 すると、紅蓮の刃先は真っ黒な闇の中にその姿を消し、やがて俺の腕に強い負荷が掛かったのを確認し、俺は紅蓮を虚空から引き抜いた。


 赤黒い血液が紅蓮から滴り落ちる。

 それは紛れもなく人の血だった。

 そう……俺は塔の壁面に張り付いていた者の落下先に刃先だけを転移させ、その身体を貫いたのである。


 今頃、地上では塔から死体が落ちてきたことでちょっとした騒ぎになっているかもしれないが、俺が気にするところではない。

 ウーゴ・バルトローネ公爵率いる騎士団の方々が上手く対処してくれることを願うだけだ。


「これでもうお前たちだけだ。さっさと終わりにしようか」


 窓際に立つ男、そして怪しげな黒柱が天井に突き刺さる部屋の中心部に立つ男にそれぞれ視線を向ける。

 無論、ただ視線を向けたわけではない。改めて『始神の眼』で彼らが持つスキルの精査を行っていた。


 視たところ、窓際に立つ男に大した力はない。

 スキル構成から鑑みに、隠密と支援に特化しているようだ。

 対して、部屋の中央に立つ男は他の仮面の者たちとは一線を画す力を有していた。

 隠密でもなければ、暗殺でもない。純粋な戦闘能力に特化したスキルを所持しているようだ。


 視界に表示された名は――アマート。

 土と水系統魔法、その他にもいくつものスキルを所持しているが、それらはアマートという男が持つ力の一端に過ぎない。


 俺が警戒すべきスキルは二つ。

 どちらも伝説級レジェンドに位置する強力無比なスキルだった。


 アマート


 伝説級スキル『魂の制約リミテーション』Lv7

 封印したスキル数に応じた肉体・スキルの強化、対象と自身のスキルを等価制限、身体能力上昇・特大、全耐性上昇・特大


 伝説級スキル『知性なき者バーバリアン』Lv3

 自我の消失、痛覚無効、対魔法アンチマジック、自己回復、身体能力上昇・極大、魔力量上昇・極大、全耐性上昇・極大、動体視力上昇・極大


 一目見ただけで厄介極まりない力を持っていることがわかる。

 どちらのスキルにも言えることだが、扱い難い分かなり強力なスキルになっている。


 未だにアマートが戦いに介入してこなかったのも頷ける話だ。

 一度『知性なき者』を使用してしまえば自我を失い、敵味方の判別がつかなくなるため、ここまで戦闘に参加せず自重していたのだろう。

 だが、窮地に追い込まれた今、アマートが己に枷をつけ続ける意味はない。


 仮面の下から覗き見える酷く濁った紫紺色の瞳が俺を捉える。

 ただし、その瞳からは何の感情も伝わって来ない。


「――我らは《白仮面マスケラ》。全てはお祖母様のために」

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