第712話 隠された部屋
――どこだ、どこだ、どこだ。
焦燥感ばかりが心の中を埋め尽くしていく。
刻一刻とタイムリミットが迫ってくる予感を胸に抱きながら俺とディアは一切立ち止まることなく塔の中を疾駆の如く走り回る。
「こうすけ、反応は?」
「全然駄目だ。人が多過ぎるっ」
螺旋階段をのぼりながら逐一情報共有を行うが、未だに進展はない。
ここに来て厄介になっていたのは、ウーゴ・バルトローネ公爵が放ったのであろう調査隊もとい騎士たちの存在だ。
向こうも俺たちの邪魔をしているつもりは微塵もないだろう。
だが現実問題、続々と塔内に増え続けている騎士たちの存在が俺たちにとって大きな障害となってしまっていた。
魔力を可視化するディアの力だけでは犯人に辿り着けないことがわかった今、やはり頼りになるのは俺が持つ『
しかし、俺たちと同じように塔内の異常を調査する騎士たちの存在が、気配が、捜索の妨げとなってしまっていたのである。
唯一の救いがあるとすれば、俺とディアが調査協力者として騎士たちにその存在を把握してもらっていることくらいだろうか。
そのお陰でいちいち呼び止められることがないため、かなり自由に動き回ることができていた。
螺旋階段をのぼり、フロアを見つける度にぐるりと駆け回り、目視で確認していく。
騎士とすれ違う度に『始神の眼』を使ってきた反動からか、軽い頭痛がさざ波ように押し寄せてくる。
それでも止めるわけにはいかない。
いつどこに敵が隠れ潜んでいるかわからない以上、一分足りとも気を緩めるわけにはいかない。
チラリと横目でディアの様子を確認する。
呼吸に乱れもなければ、汗一つかいている様子もない。
双方共に体力面での不安はなし。
問題があるとすると、やはりスキルの酷使による脳への疲労の蓄積だけだろう。
「ここにもいないみたいだ。次の階に行こう」
「……ぁ、うんっ」
階段に足をかけようとしたタイミングで、ディアが後ろ髪を引かれたかのように捜索を終えたフロアを振り返り、ぼんやりと見つめていたことに気付く。
「何か気になることでもあった?」
「ううん、気にしないで。ちょっとだけ他の階に比べて人が少なかった気がしただけだから」
気にも留めていなかったことを指摘され、ただひたすらに焦燥感に駆られていた俺はそこでふと我に返る。
言われてみれば、ディアの言う通りこのフロアではあまり騎士の人たちとすれ違わなかった気がしないでもない。
とはいえ、他の階と比べて二、三人少なかった程度の僅かな差だった。
誤差だと簡単に切り捨てることは難しいことではない。
だが、俺はディアの直感を信じて足を止め、その場で目を閉じると脳のリソースの大部分を『観測演算』に割り振った。
そして脳内に表示されたのは、この階層の構造と、円を描くように移動を続ける十二の人の気配。
間隔にこそ多少のズレこそあるが、移動速度がほぼ一定であることから巡回する騎士たちの気配であることは間違いなさそうだ。
俺は目を瞑ったまま今得た情報をディアに伝える。
「特にこれといった異常は――ん……?」
音波を放つソナーのように『観測演算』で魔力の波を何度もフロア全体に放ち、集中状態で探知を続けたことで俺は妙な違和感を抱く。
「これは……」
脳内に表示されたこの階層の間取りの一部が別の部屋に置き換えられ、偽装されていたことに気付く。
一度気付いてしまえば、その違いは明らか。
違和感ではなく『別の何かがある』という確信へとすぐさま変わっていく。
「何かあったの? こうすけ」
「ああ、この階層にある部屋の間取りが偽装されているみたいなんだ」
ほんの微かにモヤがかかったかのように輪郭がはっきりしない部屋が一つ。
極限まで集中していなければ気付けないほどの見事な偽装が施された部屋に向けて俺とディアは駆けたのであった。
何の変哲もない一枚の扉の前に立つ。
規格も素材も他の部屋に建て付けてある扉と全く同じだった。
ディアに視線で合図を送り、ドアノブに手を伸ばす。
事前に室内に人の気配がないことを確認していたとはいえ、気を抜ける場面ではない。
鬼が出るか蛇が出るか。
僅かな躊躇いの後、俺はドアノブを捻り、力任せに鍵ごと扉を破り開けた。
「また扉か? でも……」
扉を開けた先には三メートル程しかない狭く小さな廊下と、またもや一枚の扉が俺たちの前に立ちはだかっていた。
しかし、普通の扉ではない。
鈍く銀色に輝く重厚な一枚の扉。そこにはまるで装飾のように無数の黒い魔石が埋め込まれていた。
魔力を可視化できない俺でもその扉から微かに漏れ出る異様な魔力を否応なしに知覚する。
その不気味な扉にディアの細く白い指先が触れる。
「複数のスキルがこの扉には……ううん、この奥にある部屋全体にもスキルが付与されているみたい。多分こうすけがこの部屋の偽装に気付かなかったのもその影響だと思う」
ディアの推測はほぼ完璧と言っていいほど正確だった。
部屋の前に立った今でも部屋の構造を明瞭に把握できていないことからも、まず間違いないだろう。
「まさか俺が持つ
「こうすけが持ってる『観測演算』の地形把握能力は副次的な能力だから、偽装に特化したスキルに後れを取っても仕方ないよ。わたしだってたった扉一枚隔てただけでこの部屋の存在に気付けなかったから……。それよりもほら、床を見て」
ディアは俺を慰めつつ、話題を別に移す。
その優しさに胸の辺りが温かくなりながらも、俺はディアの視線を追うように床へと視線を落とした。
「拭き取られた後みたいだけど、これは血痕……?」
かなり雑に拭き取ったのだろう。
短い廊下から奥の部屋に続くように赤黒い線状の血痕が微かに残っていた。
しゃがんで鼻から大きく息を吸うと錆臭い血の臭いが鼻腔を刺激する。
「ここで物騒な事件が起きたのは間違いなさそうだ。いや――また今から起きるって言い直した方がいいかもしれないな」
後ろを振り返り、ぶち破った扉を出てその時を待つ。
点在していた十二の気配が左右から俺たちを挟み込むように慌ただしく集結している様子を俺の『観測演算』が捕捉していた。
狭い廊下の中で戦うのは多少なりともリスクを伴う。
あたかもこの階層にいた騎士たちを敵だと決めつけたかのようなその判断が功を奏する。
「お前たち、そこで何をしているっ!」
既に剣を抜き、左右から臨戦態勢を整えた騎士が俺とディアに向かって叱咤と共に険しい眼差しを向けてくる。
その目を見れば一目でわかった。
俺たちの命を刈り取ろうとしていることが。
「何をと言われても。俺たちが協力者であるという伝令は届いているはずですよね? その証拠に俺たちがこの部屋に入ろうとするまで何も言って来なかったじゃないですか」
決して煽っているわけではない。
事実確認を行うことで、万が一のために何かの間違いで俺たちに剣を向けている可能性を考慮しただけだ。
「その部屋への立ち入りは固く禁じられているのだ。直ちに出ていってもらおう」
男性騎士はそう言いながらも剣をおろす素振りを見せない。それは他の騎士たちも同じだった。
「ならヴィドー大公に許可をもらってきます。それなら問題はないでしょうし」
場所さえわかってしまえば、行って戻ってくるまで一分と時間は掛からない。
面倒は面倒だが、もしそれでこの部屋への入室が許されるのならお安い御用だ。
だが、案の定と言うべきか、騎士たちがそれを許すはずがなかった。
より一層激しい殺意を撒き散らし、今にも俺たちに斬りかかろうと僅かに膝を曲げ腰を落とす。
もう十分だ。
これ以上の問答を続けていても仕方がない。
この階層を巡回していた騎士たちは何者かに――いや、マファルダ・スカルパ公爵に糸で操られている。
「――こうすけ」
「ここで
右を向いた俺は紅蓮を構え、ディアに背中を預ける。
左を向いたディアは手のひらを向け、俺に背中を預ける――。
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