第710話 揺れる巨塔

「揺れてる……?」


 思わず俺はボソリとそう呟いていた。

 感覚を研ぎ澄ましていなければ気付かないほどの小さな揺れ。

 ディアの忠告がなければ、まず気付くことはなかっただろう。


 俺のその一言を切っ掛けに、他の面々も巨塔ジェスティオーネが揺れていることに気付き始める。


「あん? 強風でも吹いてんのか?」


「風程度で揺れるほどジェスティオーネは脆くはない。きっとそのうち収まるだろう」


 そう話すパオロ・ラフォレーゼ公爵とダミアーノ・ヴィドー大公には特段慌てている様子はなかった。

 真っ先に地震を疑っていなかったあたり、ブルチャーレ公国では地震が発生することが滅多にないのかもしれない。


 しかし、揺れは収まるどころか、次第に大きくなっていく。

 揺れにより塔全体が軋み、小さな悲鳴を上げる。

 立ったいられないほどの大きな揺れではなかったが、無視できるレベルではなくなっていた。


「な、何が起きているというのだ……。バルトローネ公爵、外で待機している騎士に伝令を。大至急、この揺れの原因を特定させるんだ」


「任せれよ!」


 話し合いどころの騒ぎではなくなっていた。

 会議を一時中断すると、揺れにも負けない力強い足取りでバルトローネ公爵が扉の外に出ていく。

 その間にも三十秒、一分と時間が経っていたが、一向に揺れが収まる気配がない。


「こうすけ、これって……」


「ああ、嫌な予感が当たったみたいだ」


 地震にしては揺れが長過ぎる。

 この揺れの正体が人の手によるものであることは明らかだった。


 揺れに対処すべく、まず俺は『魔力の支配者マジック・ルーラー』を発動。速やかに室内を魔力阻害の結界で覆い、他者による魔力干渉を防ぎにかかる。


 しかし、それでも揺れが収まることはなかった。

 それが意味するところはこの部屋だけが揺れているわけではなく、巨塔ジェスティオーネ全体が揺れているということだ。

 ならば、と魔力阻害の結界の範囲を広げてみるが、塔全体をカバーするにはあまりにも建物が大きすぎたため、途中で断念する。

 魔力の大半を費やせば結界を塔全体に張り巡らせることは時間を掛ければできただろう。

 けれども、それでは非効率的過ぎる。

 それに、この揺れが塔だけに限定されているのかもわかっていないのだ。

 いくらディアから魔力を補充できるとはいえ、確証のない事象に大半の魔力を費やすことは危機管理の面から考えても避けるべきだと考えたのである。


 結界を諦めた俺は、次に『観測演算オブザーバー』に脳のリソースの大半を割き、怪しげな動きを見せている者がいないか確認を行っていく。


 が、これも駄目。

 塔の上階にいる人間の数だけでも百を超えており、そこからさらに塔の外やダンジョンのある地下まで探索範囲を広げてしまうと、きりがない。

 ましてや、一人ひとりの動きを詳細に把握することなど俺一人では到底不可能だった。


 揺れは大きくまだ続いているが、パニックになるほどではない。

 それよりも問題は塔の耐久性だろう。

 石材と鉄やミスリルなどの金属で建てられたであろう巨塔ジェスティオーネはおそらく地震に備えるための耐震設計にはなっていないはず。

 魔法的な強化は施されているかもしれないが、これほど長い間揺れ続けているともなれば、いつ塔が揺れに耐え切れなくなり、倒壊してもおかしくはない。


 あまりうかうかしている時間はなさそうだ。

 俺は視線でディアに合図を送ると席から立ち上がり、ヴィドー大公に言葉を掛ける。


「自分とディアの二人で一度外の様子を見て来ます。フラム、イグニス、この場は任せた」


「うむ」「承りました」


 心強い返事が戻ってくる。

 フラムとイグニスをここに残したのは、二人がこの会議に必要不可欠だと判断したからだ。

 対して俺とディアはブルチャーレ公国側の人間からしてみれば、フラムたちのおまけのような存在。

 どちらが残るべきかは考えるまでもなかった。


 こうして俺とディアは部屋を出るや否や、塔を揺らし続ける犯人を捜すべく駆け出した。


―――――――


 揺れが止まる兆しは未だに見えてこない。

 塔内にいる者たちの平衡感覚に乱れを生じさせ、目眩が襲い掛かる。


「揺れにはだいぶ慣れてきたけど、あまり気分の良いものではないね。君たちは大丈夫かい?」


「この程度のことで私が体調を崩すとでも?」


「あはは……誰もフラム君の心配なんてしていないよ」


 揺れに動じることなく他人の心配をするルヴァン。

 この場に残ったのは三名の竜族とダミアーノ、パオロ、そしてマファルダだけ。

 長時間に渡る揺れのせいでパオロだけは顔色を悪くさせていたが、ダミアーノとマファルダは顔色一つ変えることはなかった。

 平時であれば、ダミアーノもマファルダも揺れによって体調を悪くさせていただろう。


 しかし、今は平時とは程遠い。

 追及するダミアーノ、追及から逃れるマファルダの二人は使命感と緊張感によって、幸か不幸か揺れによる体調不良を感じる余裕すらなく睨み合いを続けていた。


 フラム以外から返事がないことにルヴァンは微笑を浮かべながら軽く肩を竦める。


「どうやら要らない心配だったみたいだね。だったら、さっさと話を進めようじゃないか」


 ルヴァンの視線がマファルダの横顔にロックされる。

 マファルダはその視線に気付きながらも無視を続けてダミアーノと無言の戦いを繰り広げるつもりだったが、次のルヴァンの言葉で止めざるを得なくなってしまう。


「この塔を揺らしているのは君の手の者だろう? ――マファルダ君」


「……フッ、一体何の根拠があって私に罪を擦り付けようとしているのかのう?」


 一瞬返事に間が空いてしまったが、それを感じさせない堂々とした態度でルヴァンの言葉を鼻で笑って返す。

 それに対してルヴァンは証拠や根拠を提示するわけでもなく、不気味に笑う。


「ははっ、ははははっ! 僕はその強気な君の態度は嫌いじゃないよ。根性があるというか、老獪というべきか。うん、今回は僕のだったことにしてあげるよ。どうせ僕たちが出る幕なんてないだろうからさ」


 風を司る王――ルヴァンの聴覚は他の竜族とは一線を画していた。

 元より竜族の聴覚は人間とは比較にもならないほど優れている。が、風に乗った音を拾うことで聴覚をより強化できるルヴァンには、全てに於いて卓越した能力を有しているフラムをもってしても到底敵わない。

 そんなルヴァンの耳には塔の地上付近から風に乗って舞い上がってきた人々の声が窓の外から届いていた。


 つい先程までこの会議室は部屋に張られた遮音の結界によって防音性を高めていたことで、ルヴァンの聴覚をもってしても外の音を拾うことはできなかった。

 だが、紅介が『魔力の支配者』の魔力阻害によって遮音の結界を破壊したことで防音性が著しく低下し、外の声を拾うことが可能となっていたのである。


 それにより、ルヴァンは誰よりも早く塔を揺らす犯人たちの大まかな位置を特定し、さらには犯人たちの会話から誰の指示によって犯行に及んだのかまで情報を掴んでいたのであった。


「それは……どういう意味かのう?」


「いや、何でもないさ。ただの独り言だから」


 訝しげな表情を浮かべるマファルダにルヴァンは柔らかな笑みを向けると、妄想の中に浸った。


(随分と愉快な余興を用意してくれたようだね、マファルダ君は。まさかこの巨塔を破壊し、しかもその責任を僕たち竜族に擦り付けようだなんて企むとはね。本当に面白い発想だと思うよ、僕は。他人事だったら君のことを応援していたかもしれないね。でも、君は運に見放されているようだ。……いいや、違うか。マファルダ君は彼らを軽視し過ぎている。彼らの力量を見誤ってしまっている。だから君は僕たち竜族ばかりに気を取られていたツケを払うことになるんだよ)


「ねえねえ、フラム君」


「急になんだ? それと、その気色悪い声をやめろ」


 浮かれ過ぎたあまりにややトーンを上げて声を掛けてしまったルヴァンにフラムが冷水を浴びせるが、ルヴァンは気にすることなく笑って、こう言う。


「君の仲間はやっぱり強いのかい?」


「当然だ」


フラムは胸を張り、自信満々にそう返事をしたのであった。

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