第709話 棘と毒
俺たちを出迎えたヴィドー大公の視線・関心・意識、そのどれもがフラムとイグニスに向けられている。
かといって特段不満はない。
蔑ろにされているわけではないことは重々わかっている。
それだけ心に余裕がないということなのだろう。
円卓には既に五人が席に着いていた。
ブルチャーレ公国からはヴィドー大公、ラフォレーゼ公爵、バルトローネ公爵の三人が。ラバール王国からはエドガー国王が。そして、飄々とした態度でこちらに小さく手を振ってくる
「やあ、みんな。今夜は心地の良い風が吹いているとは思わないかい?」
空いていた椅子にヴィドー大公からそれぞれ指定されて着席すると、ルヴァンからそんな気軽な声が届く。
「急になんだ、お前は。私にならともかく、主たちに気安く話しかけてくるな」
シッシッと、ぞんざいに払い除けるように手を振るフラム。どうやら無駄話に付き合うつもりはないらしい。
だが、何を考えてかルヴァンは諦め悪く食い下がってくる。
「見て分かる通り、まだ役者が揃ってなくて暇なのさ。少しくらい僕の話し相手をしてくれよ」
そう言いながらルヴァンが空席に目を向ける。
不自然に一つだけぽっかりと間隔が離れた空席。
しかもその席は偶然か意図的か、フラムとルヴァンに挟まれている。
人によっては悪意を感じる者もいるだろう。最悪だと嘆く者もいるだろう。
「私たちを暇つぶしの道具にするな。たったの十分や二十分、黙って大人しくしていられないのか?」
さながら檻のないの牢獄だ。
逃げ出そうと考えることすら馬鹿馬鹿しくなる完全無欠の牢獄。
そんな席に一体誰が座らせられるのか。
考えるまでもない。
今事件最大の容疑者――マファルダ・スカルパ公爵その人だ。
「付き合いが悪いなあ……。でも、まあいいさ。じっとしておくことにするよ。嵐の前には静けさが必要だからね」
「嵐? 何を言っているんだ、お前は」
「ははは、別に深い意味も理由もないよ。ただ、僕は思うんだ。このまますんなりと万事解決とはいかないんじゃないかってね。一波乱あるんじゃないかな」
張り詰めた空気が漂っているというのに、フラムとルヴァンはまるで意に介する様子もなく、歓談を交わす。
ただし、楽しそうにしているのはルヴァンだけだ。フラムはどちらかといえば、強引に話し掛けてくるルヴァンを冷たくあしらい続けている。
「くだらないな。嵐が来るのなら風ごと燃やし尽くせばいい。大波が立つのなら蒸発させればいい。誰がどう足掻こうと私の障害になることはない」
「うんうん、相変わらず強気だね、フラム君は。でも、今回だけは僕も同意見だ。陰口を叩きたいわけじゃないけど、残念ながらマファルダ君じゃ力不足だ。いや、ここは彼女の名誉のためにも言い方を変えてあげよう。相手が悪すぎただけだってね」
フラムも相当な自信家だが、ルヴァンも負けていない。
その温かみのある優しげな人相とは裏腹に、言葉の端々に隠し切れない棘が、毒があった。
そんな二人の会話を俺を含めた他の者たちは黙って聞いていた。黙らざるを得なかったとでも言うべきかもしれない。
竜族という存在に慣れ切った俺やディアはともかく、他の面々に今ここで口を挟む勇気はなかなか湧いてこないだろう。
あたかも何も聞いていないという体裁を貫き、その時を待つ――。
重厚な扉が鈍い音を立てて開かれる。
開かれた扉の先に立っていたのは全身を鎧で固めた十を超える騎士たちと、それらに厳重に護られた……いや、警戒が故に囲まれたスカルパ公爵だった。
地味ながら如何にも高級そうな艶のある茶色のローブを肩に羽織り、樹木から作られた杖をつきながら遅々とした足取りで室内に足を踏み入れる。
円卓に着く全員の視線がたった一人の老婆に釘付けになる。
その視線に気付いてか、スカルパ公爵は皺が刻み込まれた顔に狂気を含んだ笑みを貼り付けた。
「待たせてしまったかのう?」
と、その時、ちょうど七の鐘が鳴り響く。
腹の底まで鈍く響く鐘の音が頭上方向から貫通し、会議室を振動させる。
そして、やや時を待って鐘の音が止まると、ヴィドー大公が重い口を開いた。
「……スカルパ公爵。まずは着席を願おうか」
その声は明らかに震えていた。
悲しみに満ちた声ではない、怒りの声だ。
もはや憎悪に等しい憤怒を声に乗せ、スカルパ公爵を席へと促した。
これにより、空席が全て埋まる。
騎士たちは既に退室を言い渡されており、室内に残っているのは四大公爵家とエドガー国王、そして俺たちとルヴァンの計十名。
俺は参加者全員の精神状態を確認すべく、このタイミングで『
精神の汚染が確認できなかったことに内心で安堵しつつ、この場の進展を見守ることにした。
「では、まず話を訊くとしよう。マファルダ・スカルパ公爵、何か弁明はあるか?」
嘘偽りを許さないという強い気持ちの籠もったその第一声に、マファルダは肩を竦める。
「まったく、おかしなことを訊くのう。弁明じゃと? 私は何度も言っているじゃろうに。何も知らんとな。やましいこともなければ、隠すようなこともない。清廉潔白の身じゃよ」
しらを切り続けようとするスカルパ公爵にヴィドー大公が厳しい視線を浴びせる。
すると、二人の間にバルトローネ公爵の野太い声が割って入った。
「であれば、何故脱獄をした! 容疑を掛けられている身でありながら、何故そのような愚行を……!」
「単に疲れたからじゃよ。年寄りをあんな不衛生で息苦しい場所に閉じ込めるなんて酷いことをしたとは思わんのか? 責めるなら簡単に脱獄を許した警備責任者を責めるんじゃな。はて、その責任者はウーゴだったかのう?」
「……ッ!!」
「くくっ、こりゃあ一本取られたなあ。だがな、スカルパの婆さん。脱獄した罪は結構重いんだぜ?」
「それは悪いことをしてしまったかのう」
スカルパ公爵の発言からは、まるで反省の色が見えない。
魔武道会で発生した事件に関してはまだ容疑者の段階であることからまだその態度に一定の理解を示すことはできるが、脱獄に関しては別だ。
留置場と刑務所が分かれていないことに、今あれこれ考えることに意味はない。
受刑者だろうが、被告人だろうが、容疑者だろうが、牢から脱出した時点で罪に問われることはラフォレーゼ公爵の発言からわかる。
とはいえ、スカルパ公爵の余裕な態度から察するに、たとえ脱獄に対する罰を受けたとしても大した痛手にはならないようだ。
公爵という高い地位を鑑みると精々、罰金刑あたりで済んでしまうのだろう。
「ねえ、こうすけ」
「ん?」
突然、俺の耳元にディアの囁き声が届く。
混沌の坩堝と化した弁明の場から、俺は意識をディアに向けた。
「――気を付けて。この部屋に満ちていた魔力の流れが変わったみたい。もしかしたら何かあるかもしれない……」
俺では感じられない魔力の流れをディアが機敏に察知する。
その直後のことだった。
ラビリントの中心に聳え立つブルチャーレ公国のシンボルである巨塔ジェスティオーネが揺れたのは。
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