第708話 清算へ

 魔武道会が閉幕し、一日経っても祭りの余韻を楽しむ人々の賑わいは静まらない。


 三時間程度の短い睡眠の後、俺たちはマリーとナタリーさんを心ゆくまま楽しませるために首都ラビリントの観光名所巡りを行い、至福の時を過ごした。

 魔武道会での一件が頭の中から片時も離れることはなかったが、それでもマリーたちを楽しませることはできただろう。


 空には薄っすらと夜の帳が下り始め、一日の終わりを告げてくる。

 時刻は午後五時三十分。

 ここ数日、ほぼ毎日のように観光と祭りを十分過ぎるほどに楽しんだ弊害とでも言うべきだろうか。

 マリーは電池切れ寸前になったのか、重たくなった瞼に耐え切れず、目を細めて危うい足取りでウトウトし始める。

 その姿を見かねたフラムがマリーに背中を貸し、今日は少し早めに宿へと戻ることになった。


 マリーをベッドに寝かしつけた後、大人だけで夜を迎える。

 とはいっても、やることは特にない。だが、そんな時間も貴重で幸せな一時だ。

 テーブルの上に出店で買った料理を並べ、ちょっとした談笑をしながら料理をつまんでいく。

 ちなみに酒を飲んでいるのはナタリーさんだけだった。

 昼頃に商店で購入したちょっとお高いワインを大人びた雰囲気を醸し出しながら、その味と香りを楽しんでいる。


「はぁ……美味しい。お酒を飲んだのはいつぶりかしら」


 ワイングラスに入った紅い液体を揺らしながら見つめ、うっとりするナタリーさん。

 顔が薄っすらと赤みを帯びているところから察するに、あまりお酒には強くなさそうだ。


「皆は飲まないの? このワイン、とっても美味しいわよ」


 俺は間髪入れずに首を横に振る。

 飲酒に関する年齢制限の問題はないが、俺はどうやら酒が得意ではないらしい。

 酔う、酔わないの問題ではない。純粋にあの独特の苦味が苦手なのだ。


「ううん、わたしは大丈夫。お酒よりも果実水とか紅茶の方が好きだから」


 どうやらディアも俺と同じ味覚の持ち主らしい。

 子供舌なのか、あるいは慣れの問題なのか、酒というものを好きになれる日が来る気が全くしなかった。


「フラムちゃんはどう? お酒、強いでしょ?」


「んー、強いというよりもそもそも何も感じないからな……。わざわざ進んで飲もうとは思わないぞ。それにそのワインはナタリーが楽しみにしていた物だろう? 酒の味がわからない私たちに分けるよりも、一人でゆっくりと楽しむがいい」


「あらそう? うふふ、ならそうさせてもらうわね」


 これは余談だが、今日買ったワインの本数は一本や二本じゃない。お土産を含めて数種類のワインを五本ずつ買っていたのだ。

 しかも何故か俺が支払うと言っても頑なに遠慮し、自分のポケットマネーで買っていたのである。

 そんな大切なワインを、味もわからない素人である俺たちが飲むのは些か憚られるというもの。

 普段は全く空気を読むことをしないフラムでも今回ばかりは空気を読んだようだ。


 部屋に飾ってある大きな振り子式の置き時計の針が午後六時三十分を指す。

 やはりというべきか、案の定というべきか、ナタリーさんはお酒に弱かったらしく、顔を真っ赤に染めて虚ろな目になっていた。


「そろそろお休みになられては如何でしょう?」


「ありがとう、イグニスくん。私ったらお酒に弱いくせに飲み過ぎてしまったわ。お言葉に甘えて休ませてもらおうかしら」


「では、寝室までお連れしましょう」


 イグニスが手を貸し、ナタリーさんをマリーが眠る寝室へと案内すると、すぐに戻ってきた。


 これでようやく準備を進められる。

 今から向かえば約束の時間に十分間に合うだろう。


 万が一に備えて、この部屋には俺が持つ伝説級レジェンドスキル『影法師ドッペル』によって生み出した実体を伴う分身体を置いていく。

 分身体の戦闘能力は本体である俺に遠くは及ばないが、それでも十分過ぎる力を有している。もし仮に強敵が現れたとしても、俺が駆けつけるまでの時間稼ぎくらいなら何とかこなせるはずだ。

 最後の仕上げに『魔力の支配者マジック・ルーラー』の魔力遮断の結界を部屋全体に張り、さらにゲートも設置しておけば問題はないだろう。


「こうすけ、準備は終わった?」


「ああ、バッチリだ。それじゃあ、行こうか。全てを片付けるために」


 俺たちが今から向かう場所は巨塔ジェスティオーネだ。


 それは今日の昼頃のことだった。

 地図を片手に俺たちが観光名所を巡っている最中、気配を完璧に殺していたロザリーさんが唐突に接触してきたのである。

 秘密部隊に所属しているロザリーさんが意味もなく接触してくるわけもなく、エドガー国王からの伝言を持ってきたという。

 曰く、今日の午後七時に巨塔ジェスティオーネで開かれるスカルパ公爵への尋問を兼ねた会議に参加して欲しいとのこと。


 強制ではなく打診。

 当然、断ることもできたが、俺たちは二つ返事で了承し、今に至るというわけだ。


 宿を出ると、そこには一台の黒塗りの馬車が停まっていた。

 見るからに胡散臭い馬車だったが、間違いない。俺たちを迎えに来てくれたようだ。

 その証拠に御者台の上にはメイド服姿のロザリーが馬の手綱を握り、こちらを見つめてきている。


 頭を下げて軽く挨拶を交わし、俺たちは人目から逃れるようにすぐさま馬車の中へ。

 そのまま馬車はカタカタと小さな音を立てて巨塔ジェスティオーネに向かって進んでいった。




 街の中心に聳え立つ巨塔。

 その高さは言うまでもなくラビリントで一番。

 世界最大のダンジョン『深淵迷宮』の入り口であり、観光名所の一つでもあることもあって、日が沈んだにもかかわらず、馬車の外から賑わう人々の声があちらこちらから聞こえてくる。

 だが、それも数分のことだった。


 突如として静寂の中に包みこまれる。

 まるで全く別の場所に転移したかのような錯覚にとらわれるが、そんなことはない。

 『観測演算オブザーバー』がしっかりと無数の人々の気配が周囲にあることを俺の脳内に伝えてくる。


「ここは……隠し通路?」


 ディアは外の景色を遮断していたカーテンを捲りながら、御者台に座るロザリーさんにそんなことを問い掛けていた。


「塔内に通じる一般の方には知らされていない別の入り口です。もうじき到着致します」


 それから数分もしないうちに馬車がゆっくりと停止する。

 ロザリーさんに扉を開けてもらい、馬車から降りると、目の前にはどこまでも続くのではないかと思わせるほどの長い長い螺旋階段が続いていた。


「ここからはこの階段をのぼっていきます。足もとにご注意を」


 真っ暗とは言わないが、明かりが乏しく薄暗い螺旋階段をのぼっていく。

 数百段は優に超えているだろうが、この世界にエレベーターなんて物があるはずもなく、地道にのぼっていくしかない。


 百、二百と続き、数を数えるのをやめてから暫く。

 俺たちはようやく階段をのぼり終え、目的地に到着した。


 巨大な二枚扉が俺たちを出迎える。

 派手な装飾が施されていない質素な扉。

 だが、その強度はそこらの木製の扉とは訳が違う。ミスリルを惜しげもなく使用した実用性重視の扉だった。

 しかも、何やらその扉には魔法まで施されている。

 魔力を何となく知覚することしかできない俺ではどんな魔法が掛けられているのかまではわからないが、無意味なものではないのだろう。


 ロザリーさんが一歩後ろに下がり、俺たちが扉の前に立つと、二枚扉の両脇に立っていた騎士が鍛え上げられた両腕を使い、扉を押し開ける。


 ギー、と鈍い音を立てて扉が開かれると、そこには広々とした空間が。その中央には直径五メートルはあろう大きな円卓が置かれていた。


「お越しいただき、感謝する。コースケ殿、ディア殿、イグニス殿、そして――炎竜王ファイア・ロードフラム殿」


 円卓の最奥に座っていたダミアーノ・ヴィドー大公から歓迎の言葉を掛けられる。

 だが、その心は俺とディアにはほとんど向けられていなかった。

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