第707話 七の鐘が鳴る頃に
マファルダ・スカルパの脱獄の知らせは脱獄が完了したその一時間後に巨塔ジェスティオーネの会議室にいたダミアーノ・ヴィドーのもとまで届いた。
ただでさえ魔武道会の後処理で疲労困憊の身体に鞭を打ち、一睡もせずに机に齧りついていたというのに、この追い打ち。
目の前が暗くなる感覚に襲われ、茫然自失しそうになったダミアーノだったが、すぐさま怒りを力へと変え、ウーゴ・バルトローネとパオロ・ラフォレーゼの二名を即刻招集し、緊急会議を開く運びとなった。
「――スカルパ公爵が脱獄した」
怒りで震える声を懸命に抑え込み、ダミアーノは冷静さを取り繕う。
ダミアーノの理性を何とか繋ぎ止めていたのは他人の目があったからに他ならない。
それに会議室の外には騎士や使用人も控えている。
ブルチャーレ公国の大公として、ここで取り乱すわけにはいかない。
そんな使命感だけでダミアーノは怒りで赤く明滅し続ける視界の中、二人に事の顛末を説明していった。
「ヒュ〜。大胆なことをするじゃねえか、スカルパの婆さん。もしかすると、公爵の地位を捨ててこのままとんずらでもするつもりか?」
上機嫌に口笛を吹き鳴らし、金の双眸をギラリと輝かせるパオロ。
ブルチャーレ公国を支えてきた四大公爵家の一つが反乱の兆しを見せている。
国の基盤を揺るがす大事件にもかかわらず、パオロはマファルダの脱獄を凶報ではなく吉報と捉えていた。
それもそうだろう。
パオロは大公の地位を手に入れるためにルミエールにその触手を伸ばし、武力を得ようと企んでいた過去がある。
結局、パオロはイグニスから手痛いしっぺ返しをもらい、大公になることを諦めることになったが、そこで今回の知らせだ。
ヴィドー公爵家とスカルパ公爵家を失墜させなければ得られるはずがなかった大公の地位が、今回の一件を機にスカルパ公爵家をスキップして自分のもとに転がり込んでくるかもしれない。
その期待感がパオロの胸を激しく踊らせていた。
その一方で、ウーゴは普段の覇気のある表情を曇らせ、酷く落ち込んでいた。
マファルダの身柄を預かり、拘束したのはウーゴだ。
脱獄を許してしまったのは自分の監督責任であると重く受け止め、真っ先に謝罪の言葉を口にする。
「……すまない。私のせいで……」
「バルトローネ公爵だけの責任ではない。私も気を緩めてしまっていた。まさか脱獄を企てるとは……」
牢獄に入れ、身柄を一時的に拘束していたとはいえ、現時点では証拠不十分で罪には問えないと考えていた矢先の出来事。
完全に虚をつかれてしまった。
脱獄をすればむしろ立場を悪くするだけなのだ。
故に、そんなことをするはずがないとすっかり思い込んでしまっていたのだ。
もちろん、だからといって警備を疎かにしていたわけではなかった。
「頭を下げあっている場合か? んなことより、さっさとスカルパの婆さんの居場所を突き止めるのが先なんじゃねえのかよ」
いつにも増して積極的に議論を進めようとパオロが動く。
ここでダミアーノの責任を追及することもできたが、ルミエールの一件で立場を悪くしてしまったこともあり、今回は地盤を固めるための点数稼ぎに出たのであった。
罪悪感と焦りもあり、そんな思惑があるとは露ほども見抜けずパオロの議論姿勢に二人は感心し、同調する。
「ラフォレーゼ公爵の言う通りだな。だが、スカルパ公爵の居場所については既に把握済みだ」
「あん? 随分と仕事がはええじゃねえか。俺たちが来る前に掴んでたっつうのか? 流石は大公様ってな」
「……いや、そうではない。私は何もしていないんだ」
「ヴィドー大公でなければ、一体誰が居場所を突き止めたと? まさかラバール王国側から情報の提供が?」
ウーゴの疑問にダミアーノは力なく首を左右に振り、小さくないため息を吐き、言葉を続ける。
「――スカルパ公爵の手の者から情報が届いた。本当にふざけた話だ。まさか自ら居場所を自白してくるとはな。しかも伝言付きで、だ」
「して、その内容は?」
「夜、七の鐘が鳴る頃、ここを――巨塔ジェスティオーネを訪ねる。それまではラビリントにある屋敷で身体を休めるとのことだ」
途端、ウーゴが勢い良く椅子から立ち上がる。
巨体に押された椅子は、けたたましい音を立てて床に倒れるが、ウーゴは椅子を戻そうとはせずにそのままダミアーノに背を向けた。
「どこへ行く、バルトローネ公爵」
「訊くまでもなくわかっているであろう! 私自らスカルパ公爵を捕らえに行くのだ!」
腹の奥底まで響くウーゴの大声量に、ダミアーノは顔色一つ変えず、パオロは呆れ返るかのように肩を竦めてみせた。
「おいおい、おっさん。ちょっとは頭を冷やせや。魔武道会の効果で街には観光客が溢れ、どんちゃん騒ぎが未だに続いてるんだぜ? そんな中を軍隊を連れて闊歩するつもりか? いくらなんでも外聞が悪過ぎるだろうが。それにうちの大公様が何の手も打っていないとでも思ってんのか?」
「もはや恥も外聞もない! 早急にスカルパ公爵を捕らえなければ致命傷になるやもしれぬ!」
唾を飛ばし、パオロに食って掛かるウーゴだったが、それに待ったをかけたのは他でもない大公であるダミアーノだった。
「バルトローネ公爵、どうか今一度席に戻ってほしい。スカルパ公爵の屋敷には監視を放っている。動きがあれば即座に私に報告が届くはずだ」
「監視の者にスカルパ公爵の息がかかっている輩が紛れ込んでいるかもしれぬ! 悠長に報告を待つなど何故できようか!」
「確かにその可能性は否定できないが、事を荒立てるわけにもいかないだろう。スカルパ公爵の嫌疑を公表していない今、我々が大々的に動いてしまえば、全世界にブルチャーレ公国の内情を晒すことにもなりかねない。とりわけシュタルク帝国に弱みにつけこまれることだけは絶対に避けるべきだ。違うか?」
ダミアーノの説得に納得こそいかないものの、多少の理性を取り戻したウーゴは倒れた椅子を軽々と片手で持ち上げて元の位置に戻すと、ドシリと椅子の上に腰をおろした。
その姿を見て、ダミアーノは安堵の息を吐く。
しかし、このような展開になることをマファルダに完璧に読み取られていたなど、この時のダミアーノは毛ほども考えてもいなかった。
「……納得はいっておらぬ。だが、今はヴィドー大公の顔を立てるとしよう」
「助かる。その言葉を訊けただけで十分だ。話を戻そう。スカルパ公爵の言葉が確かなら七の鐘が鳴る頃にこの場に姿を見せるはず。しかし、果たして我々だけで対処できるだろうか? 今回の一件は竜族が絡んでいる。いや、スカルパ公爵が竜族を巻き込もうとしていると言った方が適切だろう。状況証拠からして十中八九、スカルパ公爵の狙いは竜族だ。だが情けないことに我々は竜族に関する知識が浅い。スカルパ公爵が竜族に対して何を抱き、それに対して竜族がどう思っているのか皆目見当もつかないのが実情だ。そこで私は考えた。今宵、開かれるであろう会議に
イグニスのことが余程トラウマなっていることもあり、パオロは眉をひくつかせ、嫌悪感を顔に出していたが、異論を唱えずに肯定という名の沈黙を選択。
一方でウーゴは異論こそなかったが、純粋な疑問として声を上げる。
「異論はない。が、風竜王ルヴァン殿とどう連絡を取ろうというのか」
エドガーはもちろんのこと、紅介たちとの連絡手段も確立されていると言っても過言ではなかった。
容認されるのか拒否されるのかは別の話として、エドガーを介して連絡を取ることは難しいことではない。
しかし、ルヴァンはどうか。
今の居場所もわからなければ、居住地すらもわからないのだ。ウーゴの指摘通り、連絡を取る術がないと考えるのが普通だろう。
だが、ダミアーノはその疑問に対する答えを既に手にしていた。
予め円卓の上に引っくり返して置いてあった一枚の紙を手に取ると、その紙を二人に見える位置までずらした。
「これは……手紙?」
「そうみてえだな」
「ああ。今朝、気づかぬ間に円卓の上に置いてあった」
その紙には達筆な文字でたった一行の短い文章が書かれていた。
――『話し合いには僕も参加させてもらうよ。風の王より』、と。
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