第703話 掴めぬ影

「……難しいことを訊いてくれる。お前さんが知りたいのは仲介役の人間なんて下っ端じゃなく、もっと上の人間なのだろう?」


「もちろんだ。簡単に切って捨てられる尻尾を追っていても無意味だからな」


「そうか……」


 男性はそこで一度言葉を切ると、癖になっているのか長い髭に手を伸ばし、撫で始める。

 それから難しい顔をしながら悩むこと数十秒。

 ゆっくりと口を開くと、自信を失わせた悩ましい声色で話していく。


「……ここからは儂の憶測が混じってしまうが、あの日儂らに仕事を回してきたのは十中八九、貴族だろう。それもかなり上のお偉いさんだ」


「何か根拠はあるの?」


 純粋な疑問を持ったのかディアが可愛らしく首を傾げ、尋ねる。


「お天道様の下で温々と暮らしてきた嬢ちゃんにはわからないだろうが、あそこで生きてきた儂らにとって、追加報酬を合わせて銀貨五十枚の仕事なんてのは破格の額なんだよ。しかも一人頭五十枚だ、美味しいなんてもんじゃない。仕事の内容も屋敷の周辺を練り歩くだけ。羽振りの良さだけを考えてみても、それなりに金を持った人間で間違いない」


 追加報酬込みとはいえ、一人頭銀貨五十枚。

 もしあの日、『銀の月光』が屋敷に姿を現していれば、依頼主は合計で銀貨四百枚――金貨で換算すると四枚を支払う用意があったということになる。

 しかし、金貨四枚――日本円にして四十万――という額を稼ぐのは正直、貴族や冒険者でなくてもそう難しい額とは言い難い。

 もちろん、仲介手数料などを考慮すれば費用はもう少し嵩むだろうが、それでも精々金貨十枚がいいところだろう。


 たった……と言えるほどの額ではないのかもしれないが、どちらにせよ金貨十枚程度の用意があっただけで上級貴族だと断定するには根拠が弱いように思えてならない。


 そんな俺の思考を表情から男性は読み取ったのか、言葉を続ける。


「お前さんは儂らの仕事の相場を知らないから不思議に思うのだろうな。暗殺や強盗等の重犯罪にあたる仕事なら相応の報酬が与えられるが、何の罪にも問われない仕事だけでこれほどの報酬が与えられることはまずない。あの日の仕事に、きな臭さを感じて辞退した者もいた、と言えばちょっとは納得してもらえるか?」


「ああ、そういうことか……」


 勝手な印象だけで裏の仕事の方が報酬が高いと思い込んでしまっていたが、男性の言葉で俺はようやく理解する。

 貧民街の住民のほとんどは真っ当な仕事に就けないからこそ、裏の仕事に手を出さざるを得ないのだ。

 それがたとえ報酬が低くとも生き抜くためならば引き受けなければならない。

 脛に傷を持つ人間に対し、法に触れない仕事を与えるばかりか、労力以上の報酬を与える人間など、相当なもの好きか、訳ありの人間以外には誰もいないだろう。

 あまりにも釣り合わない高額報酬によって、むしろ危機感を抱き、辞退する者が現れたのも今思えば理解できる話だった。


「納得してくれたようで何よりだ。だが、儂が真の依頼主が上の貴族だと思ったのはそれだけが理由ではない。あの日、街の様子が少しおかしかったのが最大の理由だ」


「……街の様子?」


 イグニスからあの日の街の様子がおかしかったなどの報告は一切なかった。

 強いて挙げるとするならば、風竜王ルヴァンが現れ、そして逃げられたということくらいだろうか。

 それ以外に特にこれといった報告はなかったし、あの優秀なイグニスが街の異変に気付けなかったとも思えない。

 偶然、イグニスが気付けなかったのか、あるいはイグニスでは気付けない特殊なものだったのか。


 俺は半信半疑になりつつも、男性の次の言葉を待った。


「ああ。今でこそ嬢ちゃんに全身を綺麗にしてもらったが、普段通りの儂らの身なりで貧民街の外に出れば、すぐに憲兵隊が犯罪の臭いを嗅ぎつけ、寄ってたかってくる。自分で言うのもなんだが、酷い体臭を撒き散らし、ボロボロな格好で街の中をうろつく怪しい人間がいるんだ。むしろ声を掛けて来ない方が不自然だろう? だがあの日、儂らの前に憲兵隊が姿を見せることはなかった。それも数時間も、だ。リオルディという男爵の屋敷があるあの一帯は貴族や大商人の多くが住む高級住宅街。当然、街の治安を守る憲兵隊は他に比べてかなり多くの人員が配備されている。しかし、あの日だけは違った。まるで憲兵隊を住宅街から追い払ったかのようにどこにもいなかったんだ。そんなことは儂の経験上、一度としてなかったことからもただの偶然とは思えない。何者かが裏で糸を操り、巡回する憲兵隊の配置を変えたのではないかと儂は強く疑っている」


「そんな真似ができるのは貴族……それもかなりの権力者じゃないと難しいってことか」


 根拠としてはやや弱い気もしないでもないが、男性の推測には納得できる部分も多かった。


 飴細工店の前でマリーを襲った自称何でも屋。

 奴も俺に締め上げられる前に憲兵隊に捕まり、そして路地裏で秘密裏に解放されていたことを踏まえると、権力者によって憲兵隊が操られている可能性は否定できないどころか、男性の推測の信憑性をより高めてくる。


 無論、憲兵隊全員が操られているとまでは思っていない。

 四大公爵家が統治するブルチャーレという国の性質上、国の治安を守る憲兵隊全体が一貴族に買収されているとは考え難いからだ。

 ともなると、一部の憲兵隊だけが裏で操られていると考えた方が余程腑に落ちる。

 そして、そんなことが可能なのはやはり四大公爵家のいずれかになるだろう。


 結局のところ、真犯人の正体を追っていくと四大公爵家に行き着く。

 だが、そこまでだ。

 最後の最後でどうしても詰め切れない。


「あんたに仕事を振った仲介人は毎日貧民街を訪れたりしないのか?」


 やはり仲介人を押さえなければ、真犯人には辿り着けない。

 そう結論付け、男性に仲介人の動向を訊いてみるが、芳しくない答えしか返って来なかった。


「あの日の仕事を最後に一切姿を見せていないな。そのせいでお前さんたちも知っての通り、極貧生活を強いられていたわけだ」


「……ちっ」


 思わず舌打ちが漏れ出る。

 後一歩、後一歩がどう足掻いても届かない。


 所詮、俺たちはこの国の貴族でもなければ、この国の人間ですらないのだ。

 改めて武力だけでは何も解決できないことを思い知らされ、苛立ちが募っていく。


 さらに追い打ちをかけるかのように、男性からの無情な通達が鼓膜を打つ。


「申し訳ないが、儂がお前さんたちに提供できる情報はこのくらいだ。……金を返した方がいいか?」


「――いい。迷惑料だと思って持っていってくれ」


 情報料が釣り合っているかどうかなんてどうでも良くなっていた。

 これ以上、目の前にいられても意味はない。

 ならば、さっさと消えてくれと八つ当たり気味に強い言葉になってしまっていた。


「そうか。だったら有り難くもらっておく」


 そう言い残し、男性は背中をくるりと向け、遅々とした足取りで俺たちのもとから離れていく。

 呼び止めるつもりはない。けれども、俺の視線は男性の去りゆく背中に釘付けになっていた。


 一メートル、五メートルと徐々にその背中が離れていく。

 すると、何を思ったのか男性は足をピタリと止めると首だけを捻り、口を開いた。


「些末な情報かもしれないが、伝え忘れたことがある。おそらく偽名だとは思うが、儂らに仕事を回してきた仲介人の名はマスケラ――確かそう名乗っていたはずだ。気味の悪い真っ白な仮面を着けた男だった。すまないな、言い残したのはそれだけだ。ではな」


 今度こそ本当に男性は足を止めることをなく、俺たちの視界の外へと消えていったのだった。

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