第702話 情報と報酬

「さて、そろそろお引き取り願おうか。なあに、お前さんたちが気にすることではない。これまでの行いが今になって返ってきただけ。全ては儂の自業自得なのだからな」


 男も周囲に集まりつつある人の気配を敏感に察知したのだろう。

 そしてそれらが自身を狙う処刑人であることも同時に理解しているようだ。


「嗅ぎ付けるのが早いと考えるべきか、あるいは初めからこうなることを予期して指示を出していたと考えるべきか……。まあ、どっちでも俺たちには関係ないな」


 そう言いながら俺は男性の背中から降り、立つように視線で促す。

 そして疑似アイテムボックスの中に手を突っ込むと、俺は金が詰まった袋を取り出し、強引に袋を男性に押し付けたのであった。


「これは……?」


 男性はおどろおどろしく袋の中を確認すると、目を大きく見開き、ついには固まってしまった。


「銀貨や銅貨も混ざっているが、合計で金貨三十枚近い金が入ってるはずだ。改めて情報料として先に支払っておく。もちろん、金と情報が見合ってないと思ったら返してもらうが、大金を払ったんだ。それなりに期待させてもらう」


「いや、金をもらったところで儂はじきに……」


「殺される、と?」


「……ああ」


 一拍間を置き、諦念に満ちた表情で弱々しく頷き返してきた男性に俺は軽く肩を竦め、小さく笑ってみせる。


「――俺がラビリントの外まで安全に送る。これなら文句はないだろ?」


「……頼む」


 まだ何か言いたげな表情をしていたが、最終的に男性は俺の提案に乗っかった。いや、乗っかるしか選択肢がなかったとも言えるだろう。


 ここに留まり続けることは、そのまま死を意味する。

 死を回避するにはラビリントの外に出ることしかない状況まで男性は追い詰められてしまった。

 俺がその一端を担ったのは間違いないが、対価として金を支払ったのだ。同情するつもりも罪悪感もほとんどない。そして、男性がこの先どんな人生を歩んでいくことになろうとも一切責任を取るつもりもなかった。


 なにはともあれ、まずは貧民街から脱出するところから始めよう。

 横に立つディアに目をやると、既に準備ができていると言わんばかりに力強く一つ頷き返してきた。


「希望があれば言ってくれ。東西南北、ラビリントの外に出るならどこがいい?」


「南以外で頼む」


 即答だった。

 当然と言えば当然の話だ。

 ブルチャーレ公国の南には広大な砂漠が延々と広がっており、人が住むには適した土地ではないことはあまり知識のない俺でも知っている。

 ましてや、男性はこれから身を隠しながら生きていかなければならない。

 大きな都市や街に住むつもりなのか、あるいは辺境の村に住むつもりなのかはわからないが、魔物が跋扈する砂漠地帯が広がる南方に向かうほど命知らずではないようだ。


「わかった。とりあえず西門の外まで送る。情報を提供してもらった後は馬車を拾うなり、歩くなりして自分でどうにかしてくれ。俺たちにできることはそこまでだ」


 貧民街で生き抜いてきた実績を持つ男性の実力なら、道中で魔物に出くわしたとしても相当強力な魔物じゃない限り、どうにでもなるだろう。


 話が纏まったところで俺は転移を使用。

 貧民街からラビリントの外に出るまでそれなりに距離があるとはいえ、数回に分けて転移すれば何の問題もなく外に出られるだろう。

 魔力の負担的にも三人程度であれば、特段気にするような消費量でもない。


 星明かりだけが輝く夜の空から別の空へと転移を繰り返し、俺たちはあっさりとラビリントの西門の先の人気のない場所へと無事に到着したのであった。


「もう……もうラビリントの外に出たのか……?」


 信じられないといった様子で男性が周囲をキョロキョロと見渡しているが、明かりもなければ人もいない。現在地を確かめる術は東側に見えるラビリントを囲う巨大な外壁とそこから僅かに漏れる街の明かりだけだった。


 念のために追手がいないか周囲を『観測演算オブザーバー』で確認してみたが、それらしい反応はゼロ。

 元よりついてこれるとは思っていなかったが、それでも俺は自然と安堵の息を吐いていた。


「大丈夫そう?」


「今のところは伏兵もしないし、追手もいないみたいだ」


「それなら良かった。でも、あまり時間を掛けない方がいいかも」


「……確かに。俺たちが急にいなくなって大慌てになってるかもしれないか」


 ディアの懸念はもっともだ。

 あれだけ殺気のようなものを撒き散らしながら男性を監視していた様子から察するに、姿を消したことによって上に報告を上げにいってもおかしくはない。


 それにしても、あの貧民街の住民たちの妙な連帯感と言うべきか一体感は何だったのだろうか。

 やはり貧民街は何者かの手によって完全に掌握されていると見るのが自然なのかもしれない。


 何らかの情報を握っているであろう存在が目の前にいるというのに、あれやこれやと考えていても仕方がないし、時間の無駄だ。

 安全確認を終えたし、一息も吐いた。

 すぐさま情報収集に取り掛かるとしよう。


「周囲の警戒は並行して俺がやっておくから、早速話を訊かせてもらおうか。命を救った、金も支払った。それに見合う情報を期待させてもらう」


 脅しと捉えられても構わない。

 優位な状況を作り上げて情報を引き出すのも一つの手。しかも相手が二度と関わることがないであろう悪人であるなら尚の事だ。


 俺の真っ直ぐな視線を向けると男性は不安そうに髭を撫でていた手をゆっくりと離し、重い口を開く。


「――『銀の月光』に、リディオ・リオルディ。これらの名なら良く知っている。儂もあの仕事を受けた一人だからな」


 男性はかなり強張った声色でそう語り出す。

 その一方で俺は胸を高鳴らせていた。

 辿り着いた、ようやく手掛かりを掴んだのだと歓喜の感情を爆発させそうになる。


「イグニスが察知した八人の中にあんたがいたと?」


 それでも俺は努めて冷静さを装い、情報を引き出していく。


「イグニスとやらが誰かは知らんが、おそらく間違いない。あの日の仕事の内容は簡単で奇妙な物だったと記憶している。リディオ・リオルディという貴族の屋敷の周辺を数時間散策しろという曖昧な内容だった。報酬は銀貨二十枚。Sランク冒険者パーティーの『銀の月光』が屋敷に入った姿を確認できれば追加で銀貨三十枚が報酬に加わるというこれ以上ないほど楽で美味しい仕事だった」


 仕事の内容とイグニスの証言に食い違いがないことからも、ある程度信憑性のある話だと思っていいだろう。

 そして、男性が受けた仕事の内容や報酬から推測するに、やはり使い捨ての駒であることも間違いなさそうだ。


 ここまではほぼ全てイグニスの証言と一致している。

 食い違いがあるとすれば、リディオさんに対する偵察ではなかったという点だが、それも追加報酬のために『銀の月光』の姿を捜していたと考えれば、納得のいく範疇の誤差だった。


 謎はまだ多く残っているが、一歩ずつ前進している手応えはある。

 とはいえ、最大の難所はここからだ。

 一体誰が貧民街の住民に仕事を依頼したのか。

 そして、一体誰が貧民街を掌握しているのか。

 この二点が全ての謎を解き明かす鍵になっているはずだ。


「それで、その仕事は誰から受けたものなんだ? 長いこと貧民街にいたあんたなら何か知っているんじゃないか?」


 今が夜でなければ、俺が希望に満ちた瞳をしていることに気付かれていただろう。

 それほど俺は期待と様々な感情を隠し切れずに前のめりになっていた。


 しかしこの後、男性から返ってきた言葉は俺の期待に応えるにはやや物足りないものだった。

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