第701話 末路
「……」
俺の質問を訊き、男性は押し黙る。
ビンゴと言うにはまだ早計かもしれないが、男性の反応から察するに俺たちが知らない何らかの情報を持っていると思って間違いなさそうだ。
このチャンスをみすみす見逃すわけにはいかない。
俺は追い打ちを掛けるようにさらに言葉を重ねる。
「『銀の月光』と投資の契約を結んだリディオ・リオルディ男爵の屋敷にここの住民が偵察をしに来ていたことは既に掴んでるんだ。それも一人や二人じゃない。八人もの人員が派遣されていた。相手が男爵とはいえ、ここの住民が貴族を敵に回すような仕事を安請け合いするとは思えない。かなりの大きな仕事としてここに依頼が回ってきた。違うか?」
若干の嘘を交えつつ男性に回答を迫る。
イグニスからの報告は貧民街の人間だろうという、あくまでも推測に過ぎない話を訊いただけだったが、その部分を断定してみせることで男性に揺さぶりを掛けてみたのである。
仮に的外れであっても問題にはならない。
その場合は貧民街の住民がこの問題に関与していないという情報を得られるからだ。
返答が肯定でも否定でも男性の言葉の真偽さえ見抜くことができれば、成果は十分……とはいくらなんでも言い難いが、そこまで悪いものではないだろう。
が、男性から返ってきた言葉は俺の想定とは掛け離れた、肯定とも否定とも異なるものだった。
「……お前たちはどこの手の者だ」
その言葉一つで男性が俺たちを警戒したことが手に取るようにわかる。
危機感、焦燥感、そして得体の知れない恐怖を俺たちに抱き始めているようだ。
しかし、男性は一つ大きな勘違いをしている。
俺とディアのことを俺たちが預かり知らぬ何者かの差し金か何かだと思っている節があった。
「……? わたしたちはわたしたちの意思でここに来ただけ。そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」
男性の心の機微を敏感に察したディアが警戒心を解くための言葉を掛けた。
だが、ディアの言葉をそう簡単に鵜呑みにするほど男性は生温い性格の持ち主ではないようだ。
半ば治外法権と化している貧民街で、伊達に長年に渡って生き抜いてきたわけではないということなのだろう。
人を信じず、人を頼らず、孤独に生きる。
己の力だけで生き抜く確かな実力と狡猾さがなければ生きていけない過酷な日々を送ってきたはずだ。
男性の蓄積された経験と研ぎ澄まされた直感が俺たちのことを敵だと認識し始めた。
どっしりと腰をおろしていた瓦礫の上から男性が立ち上がる。
身体の線は細く、武器らしい武器を隠し持っている様子もない。
ただし、上背は俺よりも高く、さらには瓦礫の上に立っていることも相まって背丈以上の重圧を感じる。
瞬く間に剣呑な雰囲気が漂い始める。
それまで希薄だった男性の存在感がみるみるうちに膨れ上がり、一触即発の状況となっていく。
年寄りだからといって油断できる相手ではないことを俺は
俺が持つ
男性の持つ
そもそも、暴力が支配する貧民街をただの老人が生き抜けるはずがないのだ。
ましてや建物の中に隠れるわけでもなく、夜の帳が下りたこの暗闇の中で堂々と路地を陣取って座っていた人間が弱いわけがない。
「俺たちは話を訊きに来ただけだ。物騒な真似はしたくない」
これまでのやり取りからして血の気が多いタイプではなさそうだと判断した俺は、男性を宥めにかかる。
「……」
しかし、言葉だけではこちらの意思が伝わることはなかった。男性はより一層威圧感を放ち、無言の威嚇を行ってくる。
もはや時間の問題だった。
何かしらの合図さえあれば、男性は容赦なく俺たちに襲い掛かってくるだろう。
故に、俺はそうなる前に先手を打つ。
気取られず、抵抗させず、最小限の行動で相手に俺の実力を示すことで白旗を上げさせるとしよう。
瞬きするだけの時間があれば十分だ。
俺は瞬時に『
そして、その大きな隙を見逃さずに俺はさらに自分自身を男性の上空に転移させて首根っこを掴むと、落下の勢いと自身の体重を利用し、砂埃が溜まっていた地面へと男性を捻じ伏せた。
「――かはっ!」
肺の中にあった空気をほぼ全て吐き出したのか、男性は短い声を上げるだけでそれ以降は声を上げずに手足を懸命に動かし、抵抗をみせる。
だが、男性の背中に膝を押し付け、全力で男の首を押さえつけた俺から逃れる術などあるはずもなく、やがて男性は抵抗を諦め、肺の中に微かに残っていた空気を振り絞り、苦しげな声を上げた。
「まい……った……」
その声を訊いた俺は膝に籠めていた力を僅かに緩め、呼吸することを許す。
「はあっ……はあっ……」
男性が持つスキルからしてここからの逆転は不可能。
体格の差こそあれど身体能力・筋力共に俺の方が圧倒的に上。加えてディアも控えているともなれば、この降参宣言は賢明な判断だと言えるだろう。
「少しは頭を冷やしてくれたか? 俺たちは話を訊きたいだけなんだ」
高圧的な態度はあえてそのままに男性の背中の上に跨りながら言葉を投げかけた。
主導権は完全に俺の手の中にある。
これで逃げも隠れもさせはしない。
万が一に備え、自殺されないように注意を払わなければならないが、今のところ男性からはそんな様子は見受けられない。
ただし、この後すぐに返ってきた言葉は俺の想定になかったものだった。
「……もう良い、殺せ。儂の口から話せることは何もない」
男性はそう言い、全身を脱力させて大の字になる。
そしてゆっくりと目を瞑ると、己の死を受け入れ始めていた。
「意味がわからないな。どうして俺があんたを殺さなきゃ……」
「何度も言うけど、わたしたちは話を訊きに来ただけ。貴方の命を奪うつもりなんてないし、内容によっては相応の報酬だって払うつも――」
俺に追従する形でディアがそうフォローを入れると、途端に男性は皮肉じみた笑い声を上げる。
「――ははっ、ははははっ。お前さんたちはまるでわかっていない。よいか? もし儂がお前さんたちに情報を売ったとしよう。さすれば一時的に懐が潤うかもしれないな。だが、余所者に情報を売ったことが漏れれば、そう遠くない未来に儂は道端で骸になっていることだろう。裏切り者と謗られるだけで留まるはずもなし。当然、二度と仕事が回ってくることもなければ、儂の命を刈り取るために狩人が放たれるかもしれない。食い扶持を稼ぐだけでも大変だと言うのに、死と隣り合わせの日々を送る未来を考えると、今お前さんたちに殺された方が余程楽なのだよ」
納得はできないが、理解はできる話だった。
事実、『観測演算』が反応を示すいくつかの気配の位置からして、今こうして俺が男性を拘束しているところを誰かに見られている可能性は否定できない。
聴覚を強化するスキルなどを持つ者がいれば、ここまでの会話を全て盗み聞きされていることも十分考えられるだろう。
もし今ここで俺が男性を開放したとしても、この先貧民街で生きていくことは難しいのかもしれない。
裏切り者のレッテルを貼られ、命を追われる日々を送るくらいなら楽に死にたいと思ってしまうのも、また理解できる話だ。
かといって、酷く冷たいことを言ってしまえば、男性がこの先どうなろうとも知ったことではない。
これまでの人生で散々悪事に手を染めてきたことは想像に難くないし、俺が救ってやる義理もなければ、救われて良い人間でもないだろう。
俺は男性の価値と男性の命を天秤にかけようとして、そこで考えるのをやめた。
「貧民街から――ラビリントから出ていって田舎でひっそりと暮らすことはできないのか?」
「あまり非現実的なことを聞かないでくれ。大した貯蓄もなければ、そもそもラビリントの外に出られるわけがない。門を潜り抜ける前に憲兵隊に捕まるのが関の山だろうな」
「指名手配されるほど、たくさん悪事を働いてきたの?」
「それは少し違うな、嬢ちゃん。人相書きが出回るほどの悪事を儂は仕事以外でやったことは一度としてない。だが、儂は秘密を知ってしまっている。そのような人間をラビリントという檻から出してもらえるほど、この国は甘くないってことだ。――おっとっと、少し口が軽くなってしまったな」
最後の一言で察する。
男性は暗に告げてきたのだ。ここまでが俺たちに教えられる限界のラインだと。
しかし、まだ足りない。
訊きたいことはまだまだ山のようにある。
けれども、俺たちをぐるりと取り囲む邪魔者たちの存在が、これ以上男性から情報を引き出すことを許してはくれないという雰囲気を殺気と共にじわりじわりと漂わせ始めていた。
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