第699話 竜王の意思

 ブルチャーレ公国首都ラビリント。

 その北の一画にある高級宿の最上階の部屋の窓が音もなく溶けてなくなり、閉ざしていたカーテンも灰となって消える。


「随分と贅沢な暮らしをしてるではないか。なあ? ルヴァンよ」


 溶けて消えた窓からフラムが堂々と降り立ち、広々とした室内に一人でいたルヴァンに獰猛な笑みを向けた。


「あはは……。相変わらず色々と凄いね、フラム君は。よく僕の居場所がわかったね」


 対するルヴァンは苦笑いを浮かべ、呆れるだけで焦る様子はない。

 フラムが室内に侵入してくるより前から彼女の気配をいち早く察知していたからだ。


 許可なく不法に侵入したにもかかわらず、フラムに悪びれる素振りはない。

 それどころかルヴァンに許可を得ることすらせずに、ルヴァンの対面に置いてあった柔らかな革張りのソファーに腰を下ろし、問いに答える。


「多くの手駒を連れてきたお前がいちいち森に帰っているとは思えなかったからな。この街にいるだろうことはある程度目星が付いていた。あとは簡単だ。時間の問題でしかなかった。街をうろつくエルフを捜し出し、名前を確認していった。闘技場にいたエルフたちの名前は頭の中に入れておいたからな」


「手駒じゃなくて子供たちと言ってもらいたいなぁ……。まあ、いいさ。で、フラム君は僕の子供を偶然見つけ出し、後をつけて来てここに辿り着いたってわけかい? んー……匂いも気配もそれなりに上手く隠せていたと思ってたんだけどなー」


「いや、お前の隠蔽能力は大した物だったぞ? だが、不自然過ぎたな。明かりのついた部屋に誰の気配もなければ、誰の匂いも全くしなかった。自分の匂いだけではなく部屋に染み付いた匂いまで封じ込めたのは悪手だったな」


「なるほどね、今後の参考にさせてもらうことにするよ」


 二人の間に流れる空気には緊張感もなければ、特にヒリついたものもない。

 どちらも自然体のまま会話し、ここに至った経緯とその種明かしを語らった。


 ルヴァンはフラムのために森から採れたハーブを使った冷たいお茶を用意し、フラムはそれを遠慮なく口に運び、喉を潤す。


「ふむ……変わった味だが、悪くないな」


「フラム君にそう言ってもらえるなんて光栄だよ。このハーブティーは僕の子供たちが頑張って作ったものなのさ」


 ルヴァンの庇護下にいるエルフたちの多くは外界との接触をほとんど断ち、長きの時を森の中で過ごしていた。

 そのため、彼らの生活は自給自足がメインとなっている。

 森から恵みを分けてもらい、足りない物があれば自分たちで育て、糧とする生活を送っていたのだ。

 無論、それでも自分たちで補えない物資があれば、ルヴァンやエルフの中から選ばれた代表者たたが人里におり、森で採れた作物や鉱石、他にも森に現れた魔物を討伐することで手に入れた魔石などを売り払い、補給を行っていた。

 ラフォレーゼ公爵から森を借るための対価も、そのようにして手に入れた物から支払っていたのである。


 それからも取り留めのない会話が暫く続き、フラムがハーブティーを飲み干し、グラスの中を空に。

 そして、そのタイミングでいよいよ本題へと移る。


「そろそろ訊かせてもらうぞ、ルヴァン。お前の思惑と目的を」


 フラムの金色の瞳がルヴァンにロックされる。

 ただし、嘘を許さぬという鬼気迫るものではなく、心を開いてほしいと言わんばかりの、どこか温かみのある穏やかな瞳をしていた。

 期待とも取れるフラムの眼差しを受けたルヴァンも、相応の態度で応じる。

 風のような自由気ままな態度を改め、フラムの瞳を優しく見つめ返す。


「……そうだね。思惑も目的もフラム君たちとあまり変わらないんじゃないかな。知っていると思うけど、僕は争いを好まない。今も、そしてこれからも子供たちと平穏に暮らしていたいっていうのが本音さ」


「だろうな。お前の気持ちは何となくだが、察した。しかしだな、風竜族の奴らはどうするのだ? お前の勝手を許しているのか?」


「うーん……どうだろう? 中には僕のことを好ましくないと思っている者もいるかもしれないけど、基本的には許してくれてるんじゃないかな。ほら、君たち炎竜族と違って僕らは血筋を優先しているからね」


 風竜族も地竜族や水竜族と同様に血筋によって竜王の座につく者を定めている。

 歴史と血を重んじるのは人も竜も変わらないが、竜族の場合は人間が考えているものよりも余程重く、絶対的。

 風・地・水の竜族の歴史を遡ってみても初代竜王の血筋を持った者以外で竜王の座を狙った反乱や暴動を起こした者がいないことからも、竜族全体が血筋を重んじていることは明白だった。


 一方で炎竜族だけは違う。

 『力こそが王たる資質』と初代炎竜王が掲げていたこともあり、生まれも出自も関係がない。

 王となる条件は他を服従させられる強さのみ。

 それ故、炎竜族は竜王の座を狙う者が一時は続出したが、フラムが炎竜王になってからは完全に沈静化した。

 それほどまでにフラムの強さが突出しているとも言える。


「血筋、か。まあそれも一つの在り方なのかもしれないな」


 炎竜族と風竜族の違いを理解しているフラムからすれば、ルヴァンの言い分は十分に納得できるものだった。


「理解してくれたようで何よりだよ。というわけで、今回の一件は風竜族全体の意思じゃなくて僕の個人的なものさ。それだけは勘違いしないでほしいな」


「別にどちらであろうと私は気にしないが、つまるところお前は私たちと敵対する意思はないってことでいいのか?」


「あはは……。平穏を望むがフラム君と喧嘩をしようと思うわけがないじゃないか。それに勝ち目のない喧嘩をするほど僕は愚かじゃないつもりだからね。僕はただ竜族が人間の玩具にさせられることが我慢できなかっただけさ。もっとも、竜族が人の世に混沌を齎せようとするのはそれ以上に我慢ならないけどね」


 そう言った途端、ルヴァンの目付きが変わる。

 その瞳には優しさもなければ、温かみもない。まるで無機質な感情なき機械のような冷たい瞳をしていた。


「ふむ、地竜王共のことを知っていたのか」


「もちろんだとも。僕の二つ名は《流浪ロスト》だ。その名の通り各地を転々としている僕には風のうわさで色々な情報が耳に入ってくるのさ。地竜王と一部の配下がシュタルク帝国に肩入れをしていることも、地竜王に対抗するために水竜族がマギア王国を救うべく動いたことも、そしてフラム君とイグニス君がコースケという人間に仕えていることも君たちと出会う前から知っていたさ」


「む……? 確かに主は主だが、仕えていると言われると難しいな。今では対等な仲間という方がしっくり来るぞ」


「ははっ、どうやら僕が思っている以上に面白い関係を築いているみたいだね。大方、フラム君がコースケ君を陰ながら支えつつも、普段は振り回していたりするのかな? うん……良い関係だ。少しフラム君が羨ましく思えてくるよ。僕の場合は仲間というよりは崇拝に近いからね……」


 ルヴァンはエルフという種族を愛してやまない。

 平穏に慎ましく生きていくエルフの生き様に憧れ、魅了されたのだ。

 だからルヴァンはエルフと生活を共にし、まるで自分の子供のように無償の愛を注ぎ続けてきた。

 しかし、竜族であるルヴァンとエルフは別の生物。

 エルフよりも長い時を生き、人智を超えた力を有しているルヴァンはエルフから尊敬され、やがて崇拝にまで至ってしまった。


 崇拝――それはルヴァンが理想としてきた仲間や友とは真逆の位置にあると言っても過言ではない。

 仲間という理想を追い求めてきたルヴァンの目にはフラムとコースケの関係性がとても眩しく見えていた。


 そんなルヴァンの気持ちなどフラムは知る由もない。

 憧れを宿した瞳に気付かぬまま、話を進めていく。


「今回の一件とはまた少し話は異なるが、お前も地竜王に対して思うところがあると思っていいのだな?」


「ああ、そう思ってくれて構わないよ。残念なことだけど、彼らはやり過ぎてしまった。竜の約定を破り、人の世に混沌を齎す地竜王たちを僕は看過できない。この世界のためにも、子供たちのためにもね」


「うむ、その言葉を訊けただけでも今日は十分な収穫があったな。プリュイの奴からも水竜王の意思が私と同じであることを訊いている。炎、水、そして風……これで過半数を超えたというわけだ」


 フラムは口の端を吊り上げ、目を細める。

 その表情でルヴァンは全てを悟り、大きなため息を吐いた。


「やれやれ……。本当にやるつもりなのかい?」


「面倒なのは私だって同じだ。だが、ここまで来てしまったのだ、仕方がないだろう? それに地竜族の奴らからも話を訊きたいしな。開くぞ――『竜王の集いラウンジ』を」

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